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 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、日本民俗学会(会長:柳田國男)が設立された日です。
 日本民俗学会(にほんみんぞくがっかい)は、民俗学の研究と普及および会員相互の連絡を図ることを目的とした全国学会です。前身は、1935年(昭和10)に柳田國男の還暦を機に開催された民俗学講習会に参集した全国の研究者の要望によって結成された「民間伝承の会」でした。
 太平洋戦争後の1949年(昭和24)4月8日に、新しい社会的な動向に対処するために、日本民俗学会の名称に改め、初代会長に柳田國男が就任しています。機関誌名も当初は、『民間伝承』を踏襲していましたが、1953年(昭和28)に『日本民俗学』に改め、1958年(昭和33年)に『日本民俗学会報』としたものの、1970年(昭和45)には再び『日本民俗学』に戻しました。
 2014年(平成26)11月1日に、市民や社会に対する学会の公共性を推進するために法人に移行し、一般社団法人日本民俗学会に移行しています。2024年(令和6)現在の会員数は、約2,300人(個人会員1,963人、海外会員22人、団体会員282団体)となりました。

〇柳田國男(やなぎた くにお)とは?

 明治時代後期から昭和時代中期に活躍した民俗学者・官僚で、日本の民俗学の創始者です。1875年(明治8)7月31日、播磨県神東郡田原村辻川(現在の兵庫県神崎郡福崎町辻川)に、漢学者・医者松岡操の6男として生まれました。
 16歳で上京し、尋常中学共立学校(現在の開成高等学校)、郁文館中学校を経て、第一高等中学校に進み、1897年(明治30)には、東京帝国大学法科大学政治科(現在の東京大学法学部政治学科)へ入学します。卒業後、1900年(明治33)に農商務省に入省り、農村の実態を調査・研究するようになりました。
 翌年5月には 柳田家の養嗣子となって、柳田姓となりました。この頃、田山花袋、国木田独歩、島崎藤村、小山内薫らとも交流し、抒情派の詩なども書いたりします。1908年(明治41)には、法制局参事官に宮内書記官を兼任するようになりましたが、自宅で「郷土研究会」を始めました。
 この中で、民俗的なものへの関心を深めていき、1910年(明治43)に、代表作「遠野物語」を発表するに至ります。そして、1913年(大正2)に雑誌『郷土研究』を刊行し、民俗学への探究を進めました。
 それらによって、1940年(昭和15)に朝日文化賞を受賞、1947年(昭和22)には、 自宅に民俗学研究所を設立、1949年(昭和24)に日本学士院会員に選任され、日本民俗学会の初代会長にも就任します。これ等の功績により、1951年(昭和26)に文化勲章を受章し、その後も民俗学研究に尽力しましたが、1962年(昭和37)8月8日、東京都世田谷区の自宅においいて、87歳で亡くなりました。
 著作には、「遠野物語」、「桃太郎の誕生」、「蝸牛考」、「民間伝承論」、「海上の道」、「海南小記」などがあります。

☆日本民俗学会関係略年表

・1935年(昭和10) 民間伝承の会(前身)が設立される
・1949年(昭和24)4月8日 日本民俗学会が発足する
・1953年(昭和28) 機関誌名を『民間伝承』から『日本民俗学』に改める
・1958年(昭和33) 機関誌名を『日本民俗学』から『日本民俗学会報』に改める、
・1970年(昭和45) 機関誌名を『日本民俗学会報』から『日本民俗学』に戻す
・2014年(平成26)11月1日 一般社団法人日本民俗学会が設立される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1896年(明治29)「移民保護規則」にかわり、「移民保護法」が公布(施行は6月1日)される詳細
1940年(昭和15)「国民体力法」が公布(施行は同年9月25日)される詳細
1942年(昭和17)政府の外郭団体としての財団法人大日本体育会が発足する詳細
1948年(昭和23)東宝争議(第3次)が勃発する詳細
1959年(昭和34)俳人・小説家高浜虚子の命日(椿寿忌)詳細
1984年(昭和59)電子工学者岡部金治郎の命日詳細