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 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、「都新聞」で尾崎士郎著『人生劇場青春編』の連載が開始された日です。
 『人生劇場』(じんせいげきじょう)は、尾崎士郎著の自伝的長編小説で、1933年(昭和8)3月18日から「都新聞」に『青春編』が掲載されました。その後、『愛慾編』 (1934~35年) 、『残侠編』 (1936年) 、『風雲編』 (1938~39年) 、『離愁編』 (1943年) 、『夢現編』 (1947年) 、『望郷編』 (1951~52年) 、『蕩子編』 (1959年) と断続的に8編が発表され、完結しています。
 愛知県吉良町(現在の西尾市)から上京し、早稲田大学に入学した青成瓢吉(あおなりひょうきち)が、学園騒動を引き起こすところを描いて好評を博し、大正~昭和時代へと移る社会の動きを背景に、義理と人情の仁侠(にんきょう)の世界を描写し、日本的心情があふれていたこともあって、評価を得ました。特に、『青春編』は、評価も高く、川端康成が絶賛して、ベストセラーともなり、文芸懇話会賞を受賞し、作者の作家としての地位を定めた代表作とされています。

〇尾崎士郎(おざき しろう)とは?

 昭和時代に活躍した小説家です。明治時代後期の1898年(明治31)2月5日に、愛知県幡豆郡横須賀村(現在の西尾市)で、綿実買問屋「辰巳屋」として郵便局もやっていた父・嘉三郎、母・よねの三男として生まれました。
 横須賀尋常高等小学校(現在の市立横須賀小学校)から、1910年(明治43)に愛知県立第二中学校(現在の県立岡崎高等学校)に入学します。在学中に政治に関心をもち雄弁家として知られ、雑誌『世界の日本』の懸賞募集に「いかにして選挙権を拡張すべき乎」を寄稿して、三位入選しました。
 1916年(大正5)に上京して、早稲田大学政治学科に入り、普選運動や社会主義運動にも関わりましたが、1919年(大正8)に中退します。翌年、『近世社会主義発達史論』を刊行し、1921年(大正10)には、『獄中より』で時事新報の懸賞小説第二席に入選しました。
 その後、『逃避行』を著して社会主義運動から離脱して文学に転じ、作家生活に入り、1926年(大正15)に宇野千代と結婚(1930年離婚)します。1933年(昭和8)から都新聞連載の『人生劇場』で文芸懇話会賞を受賞、流行作家となりました。
 戦時中は陸軍宣伝班員として、戦地に赴き、民族心を喚起する小説や著作を多く書いたため、戦後公職追放となります。1950年(昭和25)に追放解除となり、翌年に『天皇機関説』によって文芸春秋読者賞を受賞して文壇に復帰、それからは歴史小説を多く書き、中間小説作家として活躍しました。
 また、随筆誌『風報』 (1954~62年) を発刊し、自伝随筆集『小説四十六年』(1962年)、『一文士の告白』(1963~64年)なども書きましたが、1964年(昭和39)2月19日に、東京において、66歳で亡くなっています。尚、没後に文化功労者が追贈されました。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1473年(文明5)武将・守護大名山名持豊(宗全)の命日(新暦4月15日)詳細
1874年(明治7)医学者・九州帝大教授・東京帝大教授・日本医師会会長稲田龍吉の誕生日詳細
1881年(明治14)自由民権派の日刊新聞「東洋自由新聞」が創刊される詳細
1925年(大正14)大正日暮里大火が起き、全半焼約2,100戸を出す詳細
1945年(昭和20)小磯国昭内閣で「決戦教育措置要綱」が閣議決定される詳細
1965年(昭和40)愛知県犬山市に「博物館明治村」が開村する詳細