
飛越地震(ひえつじしん)は、江戸時代後期の1858年(安政5年2月26日)午前1時頃に起きた、越中・飛騨国境(現在の富山・岐阜県境)の跡津川断層を震源とする大地震(推定マグニチュード7.0~7.1)で、安政飛越地震とも呼ばれてきました。その後、余震が朝まで続き、一説には夜明け頃までに40余回にわたって大震、小震を繰り返したと言われています。
土砂災害、とりわけ立山連峰・大鳶山、小鳶山の大崩壊による河川の閉塞、その後の2回にわたる決壊によって、下流域に大災害をもたらしました。この地震は、岐阜県北部、富山県境に近い跡津川断層の活動によるものと推定され、この断層沿いでは家屋の倒壊率が50%を越え、中沢上および森安では100%の倒壊率であり、震度7相当が推定されています。これにより、死者426人、負傷646人、家屋の全半壊・流失2,190戸と甚大な被害が出ました。
この地震は、1854年(嘉永7年11月4日)の安政東海地震(マグニチュード8.4)、翌日の安政南海地震(マグニチュード8.4)を機に元号が「安政」に改められた後、11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌安政2年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)、10月2日の安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)、安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)などの連続した大きな一連の地震の一つとされ、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。
土砂災害、とりわけ立山連峰・大鳶山、小鳶山の大崩壊による河川の閉塞、その後の2回にわたる決壊によって、下流域に大災害をもたらしました。この地震は、岐阜県北部、富山県境に近い跡津川断層の活動によるものと推定され、この断層沿いでは家屋の倒壊率が50%を越え、中沢上および森安では100%の倒壊率であり、震度7相当が推定されています。これにより、死者426人、負傷646人、家屋の全半壊・流失2,190戸と甚大な被害が出ました。
この地震は、1854年(嘉永7年11月4日)の安政東海地震(マグニチュード8.4)、翌日の安政南海地震(マグニチュード8.4)を機に元号が「安政」に改められた後、11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌安政2年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)、10月2日の安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)、安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)などの連続した大きな一連の地震の一つとされ、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。
〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)
・1854年(嘉永7年6月15日)- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7年11月4日)- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7年11月5日)- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7年11月7日)- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2年2月1日)- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2年8月3日)- 陸前で地震
・1855年(安政2年9月28日)- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2年10月2日)- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3年7月23日)- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3年10月7日)- 江戸で地震
・1857年(安政4年閏5月23日)- 駿河で地震
・1857年(安政4年8月25日)- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5年2月26日)- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)