
岡田善雄(おかだ よしお)は、昭和時代前期の1928年(昭和3)3月10日に、広島県呉市において生まれ、広島県立呉第一中学校(現在の呉三津田高校)を経て、1943年(昭和18)に海軍兵学校に入学しました。太平洋戦争敗戦後の1945年(昭和20)に海軍兵学校(第75期)を卒業し、高知高等学校を経て、1952年(昭和27)に大阪大学医学部を卒業します。
1953年(昭和28)に大阪大学微生物病研究所助手(防疫学部)となり、1957年(昭和32)に世界で最初に細胞融合に関する論文を発表、1962年(昭和37)に大阪大学微生物病研究所助教授となり、1971年(昭和46)には、「細胞融合現象の解析」で、朝日賞を受賞しました。1973年(昭和48)に大阪大学微生物病研究所教授となり、1975年(昭和50)に「HVJによる細胞融合現象の発見と細胞工学的応用」で武田医学賞、1978年(昭和53)には、日本人類遺伝学会賞を受賞します。
1979年(昭和54)に「HVJによる細胞融合現象の発見と研究」で、藤原賞、1980年(昭和55)には、「細胞融合現象の解析と細胞工学的応用」で、日本学士院賞恩賜賞を受賞しました。1982年(昭和57)に大阪大学細胞工学センター長(~1987年3月)、文化功労者となり、1987年(昭和62)に文化勲章を受章、1989年(平成元)には、広島県名誉県民となります。
1990年(平成2)に財団法人千里ライフサイエンス振興財団理事長(~2007年3月)となり、1991年(平成3)に大阪大学を定年退官して名誉教授、1993年(平成5)には、日本学士院会員となりました。2000年(平成12)に勲一等瑞宝章を受章、2001年(平成13)には、『細胞融合と生命科学』を刊行しましたが、2008年(平成20)1月16日に、大阪府府吹田市において、解離性大動脈瘤によって、79歳で亡くなり、従三位を追贈されています。
1953年(昭和28)に大阪大学微生物病研究所助手(防疫学部)となり、1957年(昭和32)に世界で最初に細胞融合に関する論文を発表、1962年(昭和37)に大阪大学微生物病研究所助教授となり、1971年(昭和46)には、「細胞融合現象の解析」で、朝日賞を受賞しました。1973年(昭和48)に大阪大学微生物病研究所教授となり、1975年(昭和50)に「HVJによる細胞融合現象の発見と細胞工学的応用」で武田医学賞、1978年(昭和53)には、日本人類遺伝学会賞を受賞します。
1979年(昭和54)に「HVJによる細胞融合現象の発見と研究」で、藤原賞、1980年(昭和55)には、「細胞融合現象の解析と細胞工学的応用」で、日本学士院賞恩賜賞を受賞しました。1982年(昭和57)に大阪大学細胞工学センター長(~1987年3月)、文化功労者となり、1987年(昭和62)に文化勲章を受章、1989年(平成元)には、広島県名誉県民となります。
1990年(平成2)に財団法人千里ライフサイエンス振興財団理事長(~2007年3月)となり、1991年(平成3)に大阪大学を定年退官して名誉教授、1993年(平成5)には、日本学士院会員となりました。2000年(平成12)に勲一等瑞宝章を受章、2001年(平成13)には、『細胞融合と生命科学』を刊行しましたが、2008年(平成20)1月16日に、大阪府府吹田市において、解離性大動脈瘤によって、79歳で亡くなり、従三位を追贈されています。
〇岡田善雄の主要な著作
・『細胞融合』 (1971年)
・『細胞行動と器官形成』 (1973年)
・『細胞融合と細胞工学』(1976年)
・『体細胞遺伝学』 共著(1981年)
・『細胞の増え方』(1989年)
・『細胞融合と生命科学』(2001年)
☆岡田善雄関係略年表
・1928年(昭和3)3月10日 広島県呉市において、生まれる
・1943年(昭和18) 広島県立呉第一中学校(現在の呉三津田高校)を卒業し、海軍兵学校に入学する
・1945年(昭和20) 海軍兵学校(第75期)を卒業する
・1952年(昭和27) 大阪大学医学部を卒業する
・1953年(昭和28) 大阪大学微生物病研究所助手(防疫学部)となる
・1957年(昭和32) 世界で最初に細胞融合に関する論文を発表する
・1962年(昭和37) 大阪大学微生物病研究所助教授となる
・1971年(昭和46) 「細胞融合現象の解析」で、朝日賞を受賞する
・1971年(昭和46) 「細胞融合現象の解析」で、朝日賞を受賞する
・1973年(昭和48) 大阪大学微生物病研究所教授となる
・1975年(昭和50) 「HVJによる細胞融合現象の発見と細胞工学的応用」で、武田医学賞を受賞する
・1978年(昭和53) 日本人類遺伝学会賞を受賞する
・1979年(昭和54) 「HVJによる細胞融合現象の発見と研究」で、藤原賞を受賞する
・1980年(昭和55) 「細胞融合現象の解析と細胞工学的応用」で、日本学士院賞恩賜賞を受賞する
・1982年(昭和57) 大阪大学細胞工学センター長(~1987年3月)、文化功労者となる
・1987年(昭和62) 文化勲章を受章する
・1989年(平成元) 広島県名誉県民となる
・1990年(平成2) 財団法人千里ライフサイエンス振興財団理事長(~2007年3月)となる
・1991年(平成3) 大阪大学を定年退官し、名誉教授となる
・1993年(平成5) 日本学士院会員となる
・2000年(平成12) 勲一等瑞宝章を受章する
・2001年(平成13) 『細胞融合と生命科学』を刊行する
・2008年(平成20)1月16日 大阪府府吹田市において、解離性大動脈瘤によって、79歳で亡くなり、従三位を追贈される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1103年(康和5) | 第74代の天皇とされる鳥羽天皇の誕生日(新暦2月24日) | 詳細 | |||||
1905年(明治38) | 小説家・詩人・文芸評論家伊藤聖の誕生日 | 詳細 | |||||
1938年(昭和13) | 第1次近衛内閣が「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず…」(第一次近衛声明)という声明を出す | 詳細 | |||||
1941年(昭和16) | 大日本連合青年団、大日本連合女子青年団、大日本少年団連盟、帝国少年団協会を統合、大日本青少年団が結成される | 詳細 | |||||
1942年(昭和17) | 青壮年による大政翼賛会の外郭団体として、大日本翼賛壮年団が結成される | 詳細 | |||||
1986年(昭和61) | 洋画家梅原龍三郎の命日 | 詳細 |