今日は、幕末明治維新期の1868年(慶応4)に、新政府が「徳川慶喜追討令」を出した日ですが、新暦では1月31日となります。
「徳川慶喜追討令」(とくがわよしのぶついとうれい)は、新政府によって出された、江戸幕府第15代将軍だった徳川慶喜を追討するよう各方面に命じたもので、高札としても掲げられました。1867年(慶応3)12月に、朝廷では西郷隆盛や公家の岩倉具視などが中心となって王政復古の大号令を出し、天皇を中心とする政府の樹立を宣言するクーデターが起こります。
その後、徳川慶喜に官職や領地の返還が命じられましたが、これに不満をもつ旧幕府軍と新政府軍との間で、翌年1月3日に、鳥羽・伏見の戦いが起きたものの、新政府軍の勝利に終わり、徳川慶喜が江戸に逃げ帰りました。そこで、1月7日にこの追悼令が出され、徳川慶喜を厳しく批判し、慶喜征討への協力を呼びかけることになります。
新政府は、全国を帰順させるため、鎮撫総督(翌月先鋒総督兼鎮撫使と改称)を各地に派遣し、これらの新政府軍と旧幕府軍との間で、東日本を中心に、戊辰戦争と呼ばれる戦いが、1869年(明治2)5月まで続けられ、新政府軍の勝利となりました。
以下に、「徳川慶喜追討令」の文書と御触書の写しを掲載しておきますので、ご参照下さい。
その後、徳川慶喜に官職や領地の返還が命じられましたが、これに不満をもつ旧幕府軍と新政府軍との間で、翌年1月3日に、鳥羽・伏見の戦いが起きたものの、新政府軍の勝利に終わり、徳川慶喜が江戸に逃げ帰りました。そこで、1月7日にこの追悼令が出され、徳川慶喜を厳しく批判し、慶喜征討への協力を呼びかけることになります。
新政府は、全国を帰順させるため、鎮撫総督(翌月先鋒総督兼鎮撫使と改称)を各地に派遣し、これらの新政府軍と旧幕府軍との間で、東日本を中心に、戊辰戦争と呼ばれる戦いが、1869年(明治2)5月まで続けられ、新政府軍の勝利となりました。
以下に、「徳川慶喜追討令」の文書と御触書の写しを掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「徳川慶喜追討令」1868年(慶応4)1月7日
正月七日征討大號令
德川慶喜天下ノ形勢不得已ヲ察シ大政返上將軍職辭退相願候ニ付
朝議ノ上斷然被
聞食候處只大政返上ト申而已ニテ於
朝廷土地人民御保チ不被遊候テハ
御聖業難被爲立候ニ付尾越二藩ヲ以テ其實効御訊問被爲遊候節於慶喜ハ奉畏候得共麾下并會桑ノ者共承服不仕萬一暴擧可仕哉モ難計ニ付只管鎭撫ニ盡力仕居候旨尾越ヨリ及言上候間
朝廷ニハ慶喜眞ニ恭順ヲ盡シ候樣被
思食既往ノ罪不被爲問寬大ノ御處置可被
仰付候處豈圖ランヤ大阪城ヘ引取候ハ素ヨリノ詐謀ニテ去ル三日麾下ノ者ヲ引率シ剩前々御暇被遣候會桑等ヲ先鋒トシ
闕下ヲ奉犯候勢現在彼ヨリ兵端ヲ開キ候上ハ慶喜反状明白始終奉欺
朝廷候段大逆無道最早於
朝廷御宥恕ノ道モ絶果不被爲得已追討被
仰付候兵端既ニ相開候上ハ速ニ賊徒御平治萬民塗炭ノ苦ヲ被爲救度
叡慮ニ候間今般仁和寺宮征討將軍ニ被任候ニ付テハ是迄偸安怠情ニ打過或ハ兩端ヲ抱キ候者ハ勿論假令賊徒ニ從ヒ譜代臣下ノ者タリ共悔悟憤發爲國家盡忠ノ志有之候輩ハ寬大ノ思食ニテ御採用可被爲在候依戰功此行末德川家ノ儀ニ付歎願ノ儀モ候ヘハ其筋ニヨリ御許容可有之候然ルニ此御時節ニ至リ不
辨大義賊徒ト謀ヲ通シ或ハ潛居爲致候者ハ朝敵同樣嚴刑ニ可被處候間心得違無之樣可致候事
但シ征討大將軍被置候上ハ即時前件號令可被發ハ勿論ニ候ヘ共猶旗下粗暴ノ徒壅蔽爰ニ至リ候事哉ト彼是深重之
思召ヲ以御遲延ノ處三日ヨリ今七日ニ至リ坂兵日々雖敗走益出兵呉々不得止斷然本文ノ通被仰出候各藩陪從吏卒ニ至ル迄方向ヲ定メ爲天下奉公可有之候事
「太政類典・第一編」より
徳川征伐御触書之写
徳川慶喜天下之形勢不得止察候、
大政返上将軍職辞退相願候ニ付、
朝議之上断然被聞食候処、只大政返上ト
申而已ニテ於朝廷土地人民御保被遊候テハ、
御聖業難被為立候ニ付、尾越二藩を以
其実効御訊聞被遊候節、於慶喜ハ奉
畏入候得共、麾下并会桑之者共承服不仕、
万一暴挙可仕哉モ難計候ニ付、只管鎮撫ニ尽力
仕居候旨、尾越より及言上候間、
朝廷ニハ慶喜真ニ恭順相尽候様、被思召既往之
罪不被為間寬太之所置可被仰付之処、豈図哉
大坂城へ引取候者素より詐謀、剰前之御暇
松田三左衛門家文書「徳川征伐御触書之写、神祗御改御触書之写」より
〇戊辰戦争(ぼしんせんそう)とは?
幕末明治維新期の1868年(慶応4/明治元)から1869年( 明治2)にかけて、明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中心とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った内戦で、鳥羽伏見の戦いから始まり、各地で戦乱が起きましたが、越後と東北、北海道で激戦となりました。名称は、慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来しています。これにより、明治政府が国内を掌握し、明治維新の改革が進められることになります。
☆戊辰戦争関係略年表(日付は旧暦です)
<1868年(慶応4/明治元)>
・1月3日 「鳥羽伏見の戦い」で「戊辰戦争」が始まる
・1月6日 徳川慶喜が大坂城を脱出し、海路で江戸へ逃れる
・1月7日 新政府が「徳川慶喜追討令」を出す
・2月12日 徳川慶喜は、上野寛永寺に入って謹慎し、恭順を示す
・3月14日 西郷隆盛と勝海舟の会談が行われ、江戸での戦闘が回避される
・4月11日 江戸開城が無血で行われる
・閏4月11日 奥羽諸藩による白石列藩会議が始まる
・5月3日 奥羽25藩が「奥羽列藩同盟」を結成する
・5月6日 長岡藩など北越6藩が新たに加わり「奥羽越列藩同盟」となる
・5月15日 上野山にいる彰義隊を新政府軍が一日で破る(上野戦争)
・7月14日 白河口の戦いで、新政府軍が勝利する
・7月29日 奥州の二本松城、越後の長岡城が陥落する
・8月23日 新政府軍が会津藩若松城下に侵攻し、会津側は若松城で籠城戦を開始する
・9月8日 明治に改元される
・9月9日 米沢藩が新政府軍に寝返える
・9月10日 仙台藩が降伏する
・9月22日 会津藩が降伏し、「会津戦争」が終わる
・10月26日 榎本武揚軍が箱館を占領する
・11月15日 暴風雨のため榎本武揚軍の旗艦開陽丸が沈没する
<1869年(明治2)>
・3月9日 箱館の榎本武揚軍追討のため、新政府軍艦隊が江戸湾を出発する
・5月11日 箱館総攻撃が始まる