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 今日は、幕末明治維新期の慶応3年に、倒幕派によって朝廷から「王政復古の大号令」が発せられ、新政府が発足した日ですが、新暦では、1868年1月3日となります。
 王政復古の大号令(おうせいふっこのだいごうれい)は、幕末明治維新期の1868年1月3日(慶応3年12月9日)、明治天皇の名によって天皇親政が宣言された政変でした。同じ年の10月14日(1967年11月9日)に大政奉還が行われ、倒幕の大義名分がなくなったので、長州・薩摩両藩が中心となった討幕派が決行したクーデターです。
 その内容は、江戸幕府を廃止し、同時に摂政・関白等もなくして、天皇のもとに新たな三職を置いて有力な藩が共同で政治を行う形をとる新政府の樹立を宣言したものでした。これによって、徳川慶喜の辞官(内大臣の辞職)納地(領地返上)を決定し、新政府から締め出すことになり、幕府側の反発を招き、戊辰戦争へと向かうことになります。
 以下に、「王政復古の大号令」を注釈・現代語訳付で掲載しておきますので、ご参照下さい。

☆王政復古の大号令 (全文) 1868年1月3日(慶応3年12月9日)

徳川内府[1]従前御委任ノ大政返上[2]、将軍職辞退ノ両条、今般断然聞シ食サレ被。抑癸丑[3]以来未曽有ノ国難、先帝[4]頻年宸襟[5]ヲ悩サレ候御次第、衆庶ノ知ル所ニ候。之ニ依テ叡慮[6]ヲ決セラレ、王政復古、国威挽回ノ御基立テサセラレ候間、自今摂関幕府等廃絶、即今、先ス仮ニ、総裁[7]・議定[8]・参与[9]ノ三職ヲ置カレ、万機[10]行ハセラルヘシ。諸事神武創業ノ始[11]ニ原キ、縉紳[12]、武弁[13]、堂上[14]、地下[15]ノ別ナク、至当[16]ノ公議ヲ竭シ[17]、天下[18]ト休戚[19]ヲ同ク遊サルヘキ叡慮[6]ニ付各勉励、旧来驕惰ノ汚習ヲ洗ヒ、尽忠報国ノ誠ヲ以テ奉公到スヘク候事。
一 内覧、勅問御人数、国事御用掛、議奏、武家伝奏、守護職[20]、所司代[21]総テ廃セサレ候事。
一 三職人躰
 総裁
  有栖川帥宮  
 議定
  仁和寺宮  
  山階宮  
  中山前大納言  
  正親町三条前大納言  
  中御門中納言  
  尾張大納言  
  越前宰相  
  安芸少将  
  土佐前少将 
  薩摩少将  
 参与
  大原宰相  
  万里小路右大弁宰相  
  長谷三位 
  岩倉前中将  
  橋本少将 
   尾藩三人  
   越藩三人  
   芸藩三人  
   土藩三人  
   薩藩三人  
一 太政官始、追々興サセラルヘク候間、其ノ旨心得居ルヘク候事。
一 朝廷礼式、追々御改正在ラセラルヘク候得共、先摂籙・門流[22]ノ儀止メラレ候事。
一 旧弊御一洗ニ付、言語ノ道洞開[23]セラレ候間、見込之レ有ル向ハ貴賎ニ拘ラス忌憚無ク献言致スヘシ、且人材登庸第一ノ御急務ニ候故、心当ノ仁之レ有候ハゝ、早々言上有ルヘク候事。
一 近年物価格別騰貴、如何共スヘカラサル勢、富者ハ益富ヲ累ネ、貧者ハ益窘急ニ至リ候趣、畢竟政令不正ヨリ致ス所、民ハ王者ノ大宝、百事御一新ノ折柄、旁宸衷ヲ悩マセラレ候、智謀遠識救弊ノ策コレ有リ候ハゝ、誰彼無く申出ツヘク候事
一 和宮[24]御方、先年関東ヘ降嫁アラセラレ候エトモ、其後将軍薨去、且、先帝攘夷成功ノ叡願ヨリ許セラレ候処、始終、奸吏[25]ノ詐謀[26]ニ出、御詮之レ無キ上ハ、旁、一日モ早ク御還京促セラレタク、近日、御迎公卿差立ラレ候事

右ノ通リ後確定、一紙ヲ以テ仰出タサレ候事
 慶応三年十二月九日

「法令全書」より

【注釈】

 [1]徳川内府:とくがわないふ=江戸幕府第15代将軍徳川慶喜(内大臣)のこと。
 [2]大政返上:たいせいへんじょう=大政奉還のこと。⇒詳細
 [3]癸丑:きちゅう=癸丑年(干支で表す年号)のことで、つまり、1853年(嘉永6)の黒船来航を表している。
 [4]先帝:せんてい=前の天皇、ここでは孝明天皇のこと。
 [5]宸襟:しんきん=天皇の御心。
 [6]叡慮:えいりょ=天皇のお考え。
 [7]総裁:そうさい=明治新政府の官職名で全体をとりまとめる長(有栖川宮熾仁親王を任命)。
 [8]議定:ぎじょう=明治新政府の官職名で合議して決める人(親王2人、公卿3人、藩主5人を任命)。
 [9]参与:さんよ=明治新政府の官職名で事業・計画などにかかわる人(公卿5人、藩士15人を任命)。
 [10]万機:ばんき=天下の政治。政治上の多くの重要な事項。
 [11]神武創業之始:じんむそうぎょうのはじめ=神武天皇が即位した始めから。
 [12]縉紳:しんしん=身分の高い人。公卿。
 [13]武弁:ぶべん=武家。
 [14]堂上:とうしょう=昇殿を許された四・五位以上の人。殿上人。
 [15]地下:じげ=昇殿を許されなかった官人(六位以下の人)。地下人。平民。一般人。
 [16]至当:しとう=正当。
 [17]公議ヲ竭シ:こうぎをつくし=論議をつくし。
 [18]天下:てんか=世間一般のこと。
 [19]休戚:きゅうせき=喜びと悲しみ。喜憂。
 [20]守護職:しゅごしょく=京都守護職(江戸幕府の職名)のことで、宮廷の警備や京都市中の治安維持にあたった。
 [21]所司代:しょしだい=京都所司代(江戸幕府の職名)のことで、京都の警備、朝廷・公家の監察などを行った。
 [22]摂籙・門流:せつろく・もんりゅう=摂関家。
 [23]洞開:どうかい=あけ放つこと。開放すること。
 [24]和宮:かずのみや=孝明天皇の妹で公武合体策によって、第14代将軍徳川家茂に降嫁した。⇒詳細
 [25]奸吏:かんり=心のよこしまな役人。不正をはたらく役人。
 [26]詐謀:さぼう=いつわりのはかりごと。 相手をだますはかりごと。

<現代語訳> 王政復古の大号令

内大臣徳川慶喜がこれまで天皇から御委任されていた大政の奉還を行い、将軍職も辞退したいという両方の申し出を、今回きっぱりとお聞き入りになられた。さて、癸丑年(嘉永6年)のペリー黒船来航以来、今までに一度もなかった国難が続き、先の孝明天皇が連年大御心を悩ませられるに至った理由は皆が知るところである。これによって、明治天皇はお考えを決せられて、王政復古、国威回復の根本方針を確立されたので、これからは摂政・関白・幕府などをなくし、直ちにまず仮に総裁・議定・参与の三職を置かれ、政治上の多くの重要事項を実施していくことになった。すべてのことは神武天皇が始められた原点にもとづき、公卿・武家・殿上人・一般の分け隔てなく適切な論議をつくし、国民と喜びと悲しみを共有されるお考えなので、各自勤め励み、今までのおごり怠けた悪い習慣を洗い流し、忠義をつくして国恩に報いるに誠の心をもって奉公するようにせよ。

一 内覧・勅問御人数・国事御用掛・議奏・武家伝奏・守護職・所司代、すべて廃止するようにせよ。
一 三職の人事
 総裁
  有栖川帥宮(熾仁親王)
 議定
  仁和寺宮(嘉彰親王)
  山階宮(晃親王)
  中山前大納言(中山忠能)
  正親町三条前大納言(正親町三条実愛)
  中御門中納言(中御門経之)
  尾張大納言(徳川慶勝)
  越前宰相(松平慶永)
  安芸少将(浅野長勲)
  土佐前少将(山内豊信)
  薩摩少将(島津忠義)
 参与
  大原宰相(大原重徳)
  万里小路右大弁宰相(万里小路博房)
  長谷三位(長谷信篤)
  岩倉前中将(岩倉具視)
  橋本少将(橋本実梁)
   尾張藩3人(荒川甚作・田中不二麻呂・田宮如雲)
   福井藩3人(毛受鹿之助・坂井十之丞・中根雪江)
   広島藩3人(桜井元憲・久保田秀雄・辻将曹)
   土佐藩3人(後藤象二郎・神山郡廉・福岡孝弟)
   薩摩藩3人(岩下方平・西郷隆盛・大久保利通)
一 太政官はじめ追々組織を整備されるので、その旨を心得ておくようにせよ。
一 朝廷の礼式を追々に改正されるようにしているが、摂関家についてはなくすようにせよ。
一 悪い習慣を改めようとして、意見を言うことができる道筋を開くので、見込があるものは貴賎にかかわらないで遠慮なく進言するようにせよ。かつ、人材の登用が、一番の急務となっているので、心当りの人材がある者は、すばやく、申し上げるようにせよ。
一 近年、物価がとりわけ騰貴して、どうしようもない状態であり、富める者は益々富を蓄積し、貧しい者はますます貧窮している様子、結局政治上の命令が正しくないところから生じている、民は天皇の大きな宝であり、すべてのことを刷新しようとしている所なので、この機に、天皇もお心を悩ませられている。知恵のある考え、道理、救う手立てがある者、誰でもよいから申し出るようにせよ。
一 和宮様は、先年関東(江戸幕府)ヘ降嫁させられたけれど、その後将軍(徳川家茂)が亡くなり、かつ先帝(孝明天皇)は、攘夷成功のお考えより許せられたところなのに,始終よこしまなはかりごとに出で、実行しない上は、この機に、一日も早く京都に帰られるように催促するため、近日中に、御迎えの公卿を差し向かわせるようにせよ。

 右の通り確定の後、一紙をもって仰せ出されるようにせよ。
  慶応3年12月9日

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