今日は、平成時代の1993年(平成5)に、児童文学者・帝塚山学院大学学長庄野英二が亡くなった日です。
庄野英二(しょうの えいじ)は、大正時代の1915年(大正4)11月20日に、山口県荻町(現在の萩市)において、帝塚山学院の初代校長だった父・庄野貞一の次男として生まれ、生後まもなく大阪市帝塚山へ移りました。府立の農業学校を経て、関西学院専門部文学部哲学科で学び、在学中の1935年(昭和10)に坪田譲治の『お化けの世界』を読み感動し、夏休みに上京し、坪田譲治の門をたたきます。
1936年(昭和11)に卒業し、1937年(昭和12)に陸軍に入隊、中国を転戦、1940年(昭和15)に負傷して一時帰還、1942年(昭和17)には、ジャワ俘虜収容所に勤め、武田麟太郎、佐藤春夫と交友しました。太平洋戦争後マレーに抑留され、1946年(昭和21)に大尉で帰国復員し、翌年には、坪田譲治主宰の「童話教室」創刊号に『朝風の話』を発表し、本格的な創作活動を開始します。
1948年(昭和23)に結婚し、帝塚山学院の教員となり、1951年(昭和26)には、民間放送の開局に伴い、ラジオの童話、小説、劇などを多数発表しました。1955年(昭和30)に第一童話集『こどものデッキ』をミネルヴァ書房より自費出版、1960年(昭和35)には、随筆集『ロッテルダムの灯』を自費出版し、翌年には、この著作で、第9回日本エッセイストクラブ賞、大阪府芸術賞を受賞します。
1963年(昭和38)に理論社より童話『星の牧場』を刊行、翌年には、この著作で、第2回野間児童文芸賞、第4回日本児童文学者協会賞、第11回サンケイ児童出版文化賞を受賞しました。1965年(昭和40)に塚山学院高等学校長となり、少年小説『雲の中の虹』、童話集『小鳥のデッキ』を刊行、1966年(昭和41)には、帝塚山学院大学が創設され教授となり、『雲の中の虹』で第4回NHK児童文学賞(奨励賞)を受賞します。
1968年(昭和43)に童話『うみがめ漂流記』、1972年(昭和47)に『アレン中佐のサイン』、1975年(昭和50)に短編集『鹿の結婚式』を刊行、1977年(昭和52)には、童話『アルファベット群島』を刊行し、第7回赤い鳥文学賞を受賞しました。1978年(昭和52)に全11巻の『庄野英二全集』を偕成社より刊行、1983年(昭和57)には、帝塚山学院大学学長(~1989年)となり、足立巻一、大谷晃一と同人誌『苜蓿』(もくしゅく)を創刊します。
1990年(平成2)に第13回巌谷小波文芸賞を受賞しましたが、1993年(平成5)11月26日に、大坂府大阪市において、78歳で亡くなりました。尚、弟は、小説家の庄野潤三(じゅんぞう)です。
1948年(昭和23)に結婚し、帝塚山学院の教員となり、1951年(昭和26)には、民間放送の開局に伴い、ラジオの童話、小説、劇などを多数発表しました。1955年(昭和30)に第一童話集『こどものデッキ』をミネルヴァ書房より自費出版、1960年(昭和35)には、随筆集『ロッテルダムの灯』を自費出版し、翌年には、この著作で、第9回日本エッセイストクラブ賞、大阪府芸術賞を受賞します。
1963年(昭和38)に理論社より童話『星の牧場』を刊行、翌年には、この著作で、第2回野間児童文芸賞、第4回日本児童文学者協会賞、第11回サンケイ児童出版文化賞を受賞しました。1965年(昭和40)に塚山学院高等学校長となり、少年小説『雲の中の虹』、童話集『小鳥のデッキ』を刊行、1966年(昭和41)には、帝塚山学院大学が創設され教授となり、『雲の中の虹』で第4回NHK児童文学賞(奨励賞)を受賞します。
1968年(昭和43)に童話『うみがめ漂流記』、1972年(昭和47)に『アレン中佐のサイン』、1975年(昭和50)に短編集『鹿の結婚式』を刊行、1977年(昭和52)には、童話『アルファベット群島』を刊行し、第7回赤い鳥文学賞を受賞しました。1978年(昭和52)に全11巻の『庄野英二全集』を偕成社より刊行、1983年(昭和57)には、帝塚山学院大学学長(~1989年)となり、足立巻一、大谷晃一と同人誌『苜蓿』(もくしゅく)を創刊します。
1990年(平成2)に第13回巌谷小波文芸賞を受賞しましたが、1993年(平成5)11月26日に、大坂府大阪市において、78歳で亡くなりました。尚、弟は、小説家の庄野潤三(じゅんぞう)です。
〇庄野英二の主要な著作
・第一童話集『デッキ』(1955年)
・随筆集『ロッテルダムの灯(ひ)』(1961年)第9回日本エッセイストクラブ賞、大阪府芸術賞受賞
・長編童話『星の牧場(まきば)』(1963年)第2回野間児童文芸賞、第4回日本児童文学者協会賞、第11回サンケイ児童出版文化賞受賞
・童話集『雲の中の虹』(1965年)第4回NHK児童文学賞(奨励賞)受賞
・童話集『うみがめ丸漂流記』(1968年)
・童話集『アルファベット群島』(1977年)第7回赤い鳥文学賞受賞
・小説『ユングフラウの月』(1978年)
・童話集『いななく高原』上下(1979年)
・童話集『孫太郎南海漂流記』(1980年)
・童話集『アルピエロ群島』(1981年)
・詩画集『王の悲しみ』(1984年)
・童話集『海のシルクロード』(1985年)
・詩画集『たきまくら』(1985年)
・詩画集『胡蝶蘭(こちょうらん)』(1986年)
・自伝的エッセイ『新しい靴』(1987年)
・文学的自叙伝『鶏冠詩人伝』(1990年)
☆庄野英二関係略年表
・1915年(大正4)11月20日 山口県荻町(現在の萩市)において、帝塚山学院の初代校長だった父・庄野貞一の次男として生まれ、大阪市帝塚山へ移る
・1935年(昭和10) 関西学院専門部文学部哲学科在学中に坪田譲治の『お化けの世界』を読み感動し、夏休みに上京し、坪田譲治の門をたたく
・1936年(昭和11) 関西学院専門部文学部哲学科を卒業する
・1937年(昭和12) 陸軍に入隊し、中国、南方を転戦する
・1940年(昭和15) 負傷して一時帰還する
・1942年(昭和17) ジャワ俘虜収容所に勤め武田麟太郎、佐藤春夫と交友する
・1946年(昭和21) 大尉で帰国復員する
・1947年(昭和22) 坪田譲治主宰の「童話教室」創刊号に『朝風の話』を発表し、本格的な創作活動を開始する
・1948年(昭和23) 結婚し、帝塚山学院の教員となる
・1951年(昭和26) 民間放送の開局に伴い、ラジオの童話、小説、劇などを多数発表する
・1955年(昭和30) 第一童話集『こどものデッキ』をミネルヴァ書房より自費出版する
・1960年(昭和35) 随筆集『ロッテルダムの灯』を自費出版する
・1961年(昭和36) 『ロッテルダムの灯』で、第9回日本エッセイストクラブ賞、大阪府芸術賞を受賞する
・1963年(昭和38) 理論社より童話『星の牧場』を刊行する
・1964年(昭和39) 『星の牧場』で第2回野間児童文芸賞、第4回日本児童文学者協会賞、第11回サンケイ児童出版文化賞を受賞する
・1965年(昭和40) 帝塚山学院高等学校長となり、少年小説『雲の中の虹』、童話集『小鳥のデッキ』を刊行する
・1966年(昭和41) 帝塚山学院大学が創設され教授となり、『雲の中の虹』で第4回NHK児童文学賞(奨励賞)を受賞する
・1968年(昭和43) 童話『うみがめ漂流記』を刊行する
・1972年(昭和47) 『アレン中佐のサイン』を岩波書店より刊行する
・1975年(昭和50) 短編集『鹿の結婚式』を創文社より刊行する
・1977年(昭和52) 童話『アルファベット群島』を偕成社より刊行、第7回赤い鳥文学賞を受賞する
・1978年(昭和52) 全11巻の『庄野英二全集』が偕成社より刊行する
・1983年(昭和57) 帝塚山学院大学学長となり、足立巻一、大谷晃一と同人誌『苜蓿』(もくしゅく)を創刊する
・1989年(平成元) 帝塚山学院大学学長を辞める
・1990年(平成2) 第13回巌谷小波文芸賞を受賞する