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 今日は、昭和時代前期の1940年(昭和15)に、「奢侈品等製造販売制限規則」(七・七禁令)の実践のために、大阪で女子モンペ部隊が、「贅沢全廃強調大行進」を行った日です。
 「奢侈品等製造販売制限規則」(しゃしひんとうせいぞうはんばいせいげんきそく)は、近衛文麿が中心となって、新体制運動が行われる中で、当時の商工省(現在の経済産業省)及び農林省(現在の農林水産省)が「国家総動員法」を根拠に、1940年(昭和15)7月6日に発布(昭和15年商工省・農林省令第2号)し、翌7月7日より施行した省令でした。不急不用品・奢侈贅沢品・規格外品等の製造・加工・販売を禁止するもので、一般には施行日をとって「七・七禁令」(しちしちきんれい)とも呼ばれています。
 戦時下に於いては、不要不急な生活用品よりも戦争必需品を優先に製造せよということで、例えば金銀を使う織物(西陣織り・友禅など)、宝石類、そして一定金額以上の娯楽関係品(人形・レコード)、カメラ、シャープペンシル、果物(メロン・イチゴ)などが対象となりました。「ゼイタクは敵だ」がスローガンとして叫ばれ、製造・販売の面でも国民生活が統制されていくことになります。
 さらに、同年8月16日に、「国民奢侈生活抑制方策要綱」と「贅沢全廃運動」が制定され、国民に「七・七禁令」の実践を呼びかけました。「奢侈不健全ナル生活ヲ刷新シ質実剛健ニシテ且明朗なる新生活様式」の達成に向け、新聞でも、すでに所持している贅沢品を使用してはならない、などと呼びかけられ、「パーマネントはやめませう」が流行語になり、「モンペ普及運動」として婦人会などでモンペが奨励されます。
 その中で、「防空壕を作るモンペ部隊」、「大阪で、女子モンペ部隊が、贅沢全廃強調大行進を行う」などの実践が示されました。
 以下に、「奢侈品等製造販売制限規則」を掲載しておきますから、ご参照下さい。

〇「奢侈品等製造販売制限規則」 (全文)  1940年(昭和15)7月6日 

奢侈品等製造販売制限規則 (昭和十五年七月六日 商工農林省令第二号)

昭和十二年法律第二十九号第二条の規定に於依り奢侈品等製造販売制限規則左の通定む
  奢侈品等製造販売制限規則

第一条
 物品の製造(加工を含む以下同じ)を業とする者は主務大臣の指定したる物品を製造することを得ず、但し主務大臣(主務大臣特に定めたるときは地方長官)の許可を受けたる場合及当該物品指定の際、現に製造中のものについては此の限に在らず

第二条
 物品の生産(製造及加工を含む以下同じ)または販売を業とする者は主務大臣の指定したる年月日以後は左に揚ぐる物品及びその中古品を売渡すことを得ず、但し主務大臣(主務大臣特に定めたるときは地方長官)の許可を受けたる場合はこの限に在らず
 (一) 前条の規定により主務大臣の指定したる物品
 (二) 他の法令により製造を禁止されたる物品(当該法令に依る製造の許可ありたるものを除く)
 (三) 主務大臣の指定したる物品前項第二号の他の法令は主務大臣之を定む
 第一項の規定は前条但書の許可を受け製造したる物品を売渡しまたはこれを買受けて売渡す場合及び第一項但書の許可ありたる物品を買受けて売渡す場合には之を適用せず

第三条
 主務大臣前条第一項の指定をなしたる場合において必要ありと認むるときは物品の生産又は販売を業とする者に対し同条同項の指定したる年月日前に於ける同条同項に揚ぐる物品の売渡に関し売渡数量または売渡先の制限、その他必要なる命令をなすことあるべし

第四条
 物品の生産又は販売を業とする者は主務大臣の指定したる物品については主務大臣の定めたる規格または品質に該当するもの(価格統制令第七条の規定により額の指定ありたる種類の物品にして主務大臣の指定したるものに付いては該当額の指定において定めたる規格又は品質に該当するもの)を除くの外これを売渡すことを得ず、但し主務大臣(主務大臣特に定めたるときは地方長官)の許可を受けたる場合はこの限にあらず
 前項の規定は前項但書の許可ありたる物品を買受けて売渡す場合にはこれを適用せず

第五条
 第一条但書、第二条第一項但書または前条第一項但書の許可の申請は輸出せらるること明なる物品を製造しまた売渡す場合その他やむを得ざる事由ある場合に限りこれをなすことを得

第六条
 前条の申請をなさんとする者は左に揚ぐる事項を記載したる申請書二通を主務大臣または地方長官に提出すべし
 (一) 申請者の住所または主たる事務所の所在地及び業務の種類
 (二) 製造または売渡さんとする物品の名称、品種及び数量(第四条第一項但書の許可を受けんとする場合にありては当該物品の規格または品質を併せ記載すべし)
 (三) 許可を受けんとする事由の詳細
 主務大臣または地方長官必要ありと認むるときは前項の申請書を提出すべき者に対し前項の申請書の外必要なる書類の提出を命ずることを得
 前二項の規定に依り提出すべき申請書及び必要なる書類にして主務大臣に提出すべきものは地方長官を経由すべし

第七条
 依託製造、委託販売其の他何等の名義を以てするを問わず第一条、第二条又は第四条の規定に依る禁止を免るる行為をなすことを得ず

第八条
 第二条及び第四条の規定は物品の生産または販売を業とする者該当物品を関東州満洲及び支那以外の地に輸出する場合にはこれを適用せず

【附則】本則は昭和十五年七月七日よりこれを施行す
【参照】昭和十二年九月十日公布法律第二十九号は輸出入品等に関する臨時措置に関する件なり

「官報」より

〇モンペ(もんぺ)とは?

 多くは農山村における男女が、仕事着に用いる山袴の一種でしたが、太平洋戦争中に婦人標準服の活動衣として着用が奨励されてから、全国的に一般化しました。和服における袴の形状をした下半衣で、腰、膝にゆとりがあり、裾が細く絞られています。
 1942年(昭和17)2月19日に厚生省が、婦人標準服の活動衣としてこれを定め、「モンペ普及運動」として奨励されました。その後の戦局悪化に伴い、空襲時の防空用に女性の着用が義務付けられ、半ば強制されます。戦後は、その機能性から農作業着として全国的に使用されました。
 
〇新体制運動(しんたいせいうんどう)とは?

 近衛文麿が中心となり、ドイツのナチ党やイタリアのファシスト党を模して、ファッショ的政治体制樹立のため、一国一党の国民組織を結成しようとした政治運動でした。日中戦争の泥沼化、1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻による第2次世界大戦の突発、それに伴うインフレ、物資不足、労農争議の増加など、政治・経済上の危機の増大、国民の不満の鬱積等の中で、現状を打開する方策がいろいろと検討されます。
 近衛文麿の側近の後藤隆之助、有馬頼寧、風見章らは,官僚や学者等を集めた「昭和研究会」をつくり、新しい国民組織をつくり上げて国民を統合し、新しい社会体制を建設する構想をまとめました。それに基づいて、1940年(昭和15)6月24日に、近衛文麿が枢密院議長を辞任し、記者会見において声明を出して、「新体制運動」が開始されます。
 軍部も「米内内閣打倒、近衛内閣樹立」運動を行い、その結果、7月22日に発足した第2次近衛内閣は、これをうけて基本国策要綱で「国内体制の刷新」と「強力な新政治体制の確立」をうたい、新体制準備会が結成されました。そして、各政党、労働組合も自発的に解散し、10月12日には、「大政翼賛会」が発足して、日本型のファシズム体制の確立へと向かいます。
 この過程で、国民は隣組、部落会、町内会などの地方自治組織と官製国民運動団体という2つのルートを通じ、ファシズム体制に組織されていくことになりました。 

☆「新体制運動」関係年表(新体制運動開始~太平洋戦争開戦まで)

<1940年(昭和15)>
・6月24日 近衛文麿による新体制運動が開始される
・7月6日 「奢侈品等製造販売制限規則」(七・七禁令)が交布され、翌日施行される
・7月22日 第2次近衛内閣が発足する
・7月 日本労働総同盟が解散される
・8月1日 東京府が食堂・料理屋などでの米食使用を禁止し、販売時間制を実施する
・8月1日 東京に「ぜいたくは敵だ!」の立看板1,500本が立てられる
・8月15日 立憲民政党が解党、大日本農民組合が解散される
・8月19日 新協・新築地両劇団員100余人が検挙される
・8月30日 文部省が学生生徒の映画・演劇鑑賞を土曜・休日に限ると通達する
・9月 鉄道省によって駅構内の英語表記が全面撤廃される
・9月11日 内務省が「部落会町内会等整備要領」を通達し、隣組(隣保班)が制度化される
・9月27日 日独伊三国同盟が調印される
・10月6日 大阪で、女子モンペ部隊が、贅沢全廃強調大行進を行う
・10月10日 「牛乳および乳製品配給統制規則」が交布される
・10月12日 「大政翼賛会」が発足する
・10月24日 農林省令「米穀管理規則」が交布される
・10月31日 東京でダンスホールが完全閉鎖される
・10月31日 タバコの改名が発表される(ゴールデンバット→金鵄、チェリー→桜、カメリア→椿など)
・11月1日 砂糖・マッチ切符制の全国実施がされる
・11月2日 「国民服令」が公布施行され、男子の服装として国民服が定められる
・11月10日 紀元2600年祝賀行事が行われる(昼酒が許可されもち米が特配される)
・11月23日 大日本産業報国会が結成される

<1941年(昭和16)>
・1月1日 全国の映画館で、ニュース映画の強制上映が実施される
・1月11日 「新聞紙等掲載制限令」が公布される
・1月16日 大日本青少年団が結成される
・1月23日 「人口政策要綱」が閣議決定される(「生めよ殖やせよ」の推進)
・1月25日 東京などの商店で午後9時閉店を実施する
・3月1日 「国民学校令」が交布され、尋常小学校(6年)・高等小学校(2年)が、国民学校(初等科6年・高等科2年)に変更される
・3月7日 「国防保安法」が交布される
・3月10日 「治安維持法」改正(予防拘禁制を追加)が交布される
・3月19日 時間外電報が廃止され、慶弔電報の取扱い中止される
・3月19日 厚生省が婦人標準服研究会を組織する
・3月31日 朝鮮総督府、朝鮮語を学習科目から外す
・4月1日 「生活必需物資統制令」が交布される
・4月1日 六大都市で米穀配給通帳制(1日1人2合3勺=約330g)実施、米の配給受け取りに必要となる
・4月上旬 中学校新入生の制服が男子は国民服に戦闘帽、女子は襟を右前にしたへちま型となる
・5月8日 初の「肉なしデー」が実施され、以後月2回とされる(肉屋・食堂で肉の不売実施)
・5月19日 東京市が夏季ビールの配給は1世帯8本と決定する
・6月7日 家庭用食用油の切符制が実施される
・7月1日 全国の隣組、いっせいに常会を開く(以後毎月1日実施)
・7月21日 文部省教学局から『臣民の道』が刊行される
・8月10日 鉄道省がガソリン節約のためガソリンカーの運転を削減する
・8月30日 「金属類回収令」が交布される
・8月30日 大学に教練担当現役将校が配属される
・9月1日 東京市で砂糖・マッチ・小麦粉・食用油の集成配給切符制が実施される
・9月1日 ガソリンを使用するタクシーが禁止される
・10月1日 一般家庭用ガスの使用制限が実施される
・10月4日 「臨時郵便取締令」が公布され、外国郵便を開封検閲するようになる
・10月10日 農林省が芋類の増産と桑園の整理を通牒する
・10月19日 婦人国民服が公募され、入選発表される
・11月 たばこが値上げされる(敷島35銭、朝日25銭、光18銭)
・11月22日 「国民勤労報国協力令」が交布され、14~40歳の男子と14~25歳の未婚女子の年30日以内の勤労奉仕が義務化される
・12月8日 米英両国に宣戦布告、太平洋戦争始まる
・12月8日 日米開戦により、新聞・ラジオの天気予報、気象報道が中止される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1559年(永禄2)戦国時代の絵師狩野元信の命日(新暦11月5日)詳細
1831年(天保2)棋士・将棋十二世名人小野五平の誕生日(新暦11月9日)詳細
1920年(大正9)小説家・評論家・翻訳家・ジャーナリスト黒岩涙香の命日詳細
1933年(昭和8)「社会政策ニ関スル具体的方策案」が閣議決定される詳細
1938年(昭和13)北炭夕張炭鉱(天龍坑)で炭塵爆発が起こり、死者161人、負傷者21人が出る詳細
1942年(昭和17)「戦時陸運ノ非常体制確立ニ関スル件」が閣議決定される詳細