YS11
 今日は、平成時代の2006年(平成18)に、国産旅客機YS-11(日本航空機製造製)が、日本エアコミューター(JAC)により、最後の旅客飛行を行った日です。
 YS-11(わいえす いちいち)は、日本で初めて開発製造された(日本航空機製造が製造)短距離用双発ターボプロップエンジン方式の旅客機でした。1959年(昭和34)に基礎設計が終わり、実機を製作するため日本航空機製造株式会社が設立され、1962年(昭和37)7月11日に試作1号機が完成し、同年8月30日に初飛行、続いて同年12月には2号機も飛びます。
 この機体は、全金属製の低翼単葉の双発プロペラ機で旅客60人乗り、エンジンはロールスロイス・ダート・ターボプロップ (3060馬力) 2を使用し、プロペラの直径を特に大きくして、離陸滑走路長1,110m,着陸 1,100mと離着陸距離を短くしたのが特徴でした。全長26.3m、全幅32m、自重15.4t、総重量 24.5tあり、速度は最大時速600km、巡航時速470km、航続距離1,200kmです。
 1965年(昭和40)4月1日に日本国内航空の東京~徳島~高知線で初就航し、国内では民間航空のほか自衛隊や海上保安庁が採用、182機を生産、国外へも76機が輸出され、アメリカ合衆国、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、ギリシア、フィリピン、インドネシアなどで使われました。しかし、赤字のため1973年(昭和48)に生産が打ち切られ、1983年(昭和58)には、日本航空機製造も解散しています。
 運航については、2006年(平成18)9月30日に日本エアコミューター(JAC)が定期旅客輸送を打ち切り、国内航空会社の旅客輸送からはすべて姿を消しました。民間外では、2011年(平成23)には、海上保安庁や海上自衛隊での運用も廃止となったものの、航空自衛隊では改造されたものが運航されてきました。

〇日本航空機製造YS-11関係略年表

・1956年(昭和31) 運輸省が発表した「国内用中型機の安全性の確保に関する研究」の委託を受けて基礎研究が行われる
・1957年(昭和32)1月20日 水田三喜男通商産業大臣と池田勇人大蔵大臣の大臣交渉で予算を獲得することができる
・1957年(昭和32)5月 「財団法人 輸送機設計研究協会(通称:輸研)」が東京大学内に設立され、小型旅客輸送機の設計が始まる
・1958年(昭和33)12月11日 日本飛行機の杉田工場でモックアップを完成披露した。試作機の予算を獲得するためのデモンストレーションがある 
・1959年(昭和34)6月1日 官民共同の特殊法人として日本航空機製造(日航製、NAMC)が設立され、輸研は解散する
・1962年(昭和37) 01号機を使用して静荷重試験が実施される
・1961年(昭和36)7月 02号機を使用した疲労試験が開始される
・1962年(昭和37)7月11日 飛行試作機1号機(1001)が三菱小牧工場でロールアウトする
・1962年(昭和37)8月30日 日航製は200人以上のマスメディアを招き、実況中継放送の中で1号機が初飛行する 
・1962年(昭和37)10月 全日本空輸(全日空)との間で20機の予備契約が調印され、量産を開始する 
・1962年(昭和37)12月18日 皇太子明仁親王を招いての完成披露式典が羽田空港で開かれる
・1964年(昭和39)8月 運輸省(現国土交通省)の型式証明を取得し、国内線向けの出荷と納入を開始する
・1965年(昭和40)3月30日 量産1号機(2003)を運輸省航空局に納入する
・1965年(昭和40)4月 航空各社への納入が始まる
・1965年(昭和40)4月1日 日本国内航空の東京~徳島~高知線で初就航する
・1965年(昭和40)9月 FAAの型式証明も取得して、輸出の体制が整う
・1965年(昭和40)4月10日 民間航空会社に最初として東亜航空に納入される
・1965年(昭和40)10月 フィリピンのフィリピナス・オリエント航空に引き渡される
・1966年(昭和41)9月15日~10月13日 北米へ渡航、アメリカ合衆国のサンフランシスコ・デンバー・セントルイス・ワシントンD.C.・マイアミを飛ぶ
・1966年(昭和41)11月13日 松山空港沖の海中に墜落し、乗員乗客50名全員が死亡する(全日空松山沖墜落事故)   
・1967年(昭和42)1月25日~3月15日 南アメリカのペルー・アルゼンチン・チリ・ブラジルをデモ飛行する
・1967年(昭和42)10月11日・12日 ベネズエラをデモ飛行する
・1967年(昭和42)12月2日~12日 カナダをデモ飛行する
・1968年(昭和43)8月27日~10月28日 イギリス・西ドイツ・スウェーデン・イタリア・ユーゴスラビア・ギリシャ・サウジアラビア・パキスタン・ネパール・ビルマ・タイ・マレーシアをデモ飛行する
・1969年(昭和44)2月27日~3月1日にメキシコをデモ飛行する
・1967年(昭和42)末 小牧工場は月産1.5機から2機に増産する
・1968年(昭和43)末 確定受注が100機を超える
・1969年(昭和44)4月17日 全日空に量産100号機(通算102号機)を納入し、輸出は7カ国15社に達する
・1969年(昭和44)7月 当初の量産計画(150機)を上回る180機の量産計画が認可される
・1970年(昭和45)3月末 80億円の赤字となる
・1970年(昭和45)8月12日 豪雨の中、台北松山空港へ強行着陸を試み墜落し、乗員乗客31人中死亡14人、負傷17人を出す(中華航空206便墜落事故)
・1971年(昭和46)3月末 145億円の赤字となる
・1971年(昭和46)7月3日 函館空港北方の七飯町横津岳に墜落し、乗員乗客68名全員が死亡する(ばんだい号墜落事故)   
・1973年(昭和48)3月 総数182機を生産し、生産終了となる
・1981年(昭和56)12月28日 閣議で、日本航空機製造の業務の民間への移管と1982年(昭和57年)度中の解散が正式決定される
・1983年(昭和58)3月11日 中標津空港へ着陸降下中に手前で墜落し、乗員乗客53人中重傷18人、軽傷34人を出す(日本近距離航空機中標津空港事故)
・1983年(昭和58)3月23日 日本航空機製造は解散する
・1994年(平成6)3月8日 南紀白浜~東京便を最後に日本エアシステム(JAS)から引退する
・2006年(平成18)9月30日 日本エアコミューター(JAC)が定期旅客輸送を打ち切り、国内航空会社の旅客輸送からはすべて姿を消す
・2011年(平成23)1月 海上保安庁所有の機が全機退役させられる
・2011年(平成23)5月31日 海上自衛隊での全機用途廃止となる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

894年(寛平6)菅原道眞の建白により遣唐使の廃止が決定する(新暦11月1日)詳細
1351年(観応2)臨済宗の僧夢窓疎石(夢窓國師)の命日(新暦10月20日)詳細
1943年(昭和18)御前会議で「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」を決定が決定され、「絶対国防圏」が定められる詳細
1961年(昭和36)木曽川から知多半島に水を引く愛知用水が完成する詳細
1978年(昭和53)小説家山岡荘八の命日詳細
1992年(平成4)「世界遺産条約」が日本国内で発効する詳細