
藤田喬平(ふじた きょうへい)は、大正時代の1921年(大正10)4月28日に、東京府豊多摩群大久保町(現在の東京都新宿区百人町)に生まれました。目白商業学校を経て、東京美術学校(現在の東京芸術大学)工芸科彫金部へ進み、彫金を学びましたが、1944年(昭和19)に同校を卒業後、1946年(昭和21)の第1回日展に、金属による立体的な造形作品「波」を出品し初入選、染織家の長浜重太郎が主宰する真赤土工芸会に参加、ガラス工芸に転向し、1947年(昭和22)に岩田工芸硝子に入社します。
しかし、1949年(昭和24)に同社を退職し、ガラス作家として独立、1955年(昭和30)には、市川市北方に転居しました。1957年(昭和32)に上野松坂屋にて初の個展「藤田喬平手吹きガラス器新作展」を開催、1961年(昭和36)には、日本橋高島屋にて「藤田喬平硝子工芸創作展」が開催され、以降毎年開催されるようになります。
1964年(昭和39)に個展で発表した「虹彩」が、同年「現代日本の工芸」展(国立近代美術館京都分館)に招待出品されました。1973年(昭和48)の個展で飾筥「菖蒲」を発表し、以後この「菖蒲」シリーズは晩年まで制作が続けられることとなります。
1976年(昭和51)に日本ガラス工芸協会会長(~2003年)に就任、翌年にイタリアのベネチアを訪れたのを機に、色ガラスの技法を学びました。1986年(昭和61)の第25回「日本現代工芸美術展」に招待出品し、文部大臣賞を受賞、1989年(平成元)には、飾筥「春に舞う」で、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となります。
1994年(平成6)に勲三等瑞宝章を受章、1996年(平成8)に宮城県松島に藤田喬平美術館が開館、1997年(平成9)には、文化功労者として顕彰を受け、紺綬褒章を受章しました。1998年(平成10)にアメリカ、ガラス・アート・ソサエティーより、ライフタイム・アチーブメントアワードを受賞、1999年(平成11)には、市川市名誉市民となります。
2002年(平成14)に文化勲章を受章しましたが、2004年(平成16)9月18日に、東京都千代田区の病院において、肺炎のため、83歳で亡くなりました。
しかし、1949年(昭和24)に同社を退職し、ガラス作家として独立、1955年(昭和30)には、市川市北方に転居しました。1957年(昭和32)に上野松坂屋にて初の個展「藤田喬平手吹きガラス器新作展」を開催、1961年(昭和36)には、日本橋高島屋にて「藤田喬平硝子工芸創作展」が開催され、以降毎年開催されるようになります。
1964年(昭和39)に個展で発表した「虹彩」が、同年「現代日本の工芸」展(国立近代美術館京都分館)に招待出品されました。1973年(昭和48)の個展で飾筥「菖蒲」を発表し、以後この「菖蒲」シリーズは晩年まで制作が続けられることとなります。
1976年(昭和51)に日本ガラス工芸協会会長(~2003年)に就任、翌年にイタリアのベネチアを訪れたのを機に、色ガラスの技法を学びました。1986年(昭和61)の第25回「日本現代工芸美術展」に招待出品し、文部大臣賞を受賞、1989年(平成元)には、飾筥「春に舞う」で、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となります。
1994年(平成6)に勲三等瑞宝章を受章、1996年(平成8)に宮城県松島に藤田喬平美術館が開館、1997年(平成9)には、文化功労者として顕彰を受け、紺綬褒章を受章しました。1998年(平成10)にアメリカ、ガラス・アート・ソサエティーより、ライフタイム・アチーブメントアワードを受賞、1999年(平成11)には、市川市名誉市民となります。
2002年(平成14)に文化勲章を受章しましたが、2004年(平成16)9月18日に、東京都千代田区の病院において、肺炎のため、83歳で亡くなりました。
〇藤田喬平の主要な作品
・鉄のオブジェ「波」(1946年)日展初入選
・流動ガラス「虹彩」(1964年)
・飾筥「菖蒲」(1973年)
・飾筥「春に舞う」(1989年)芸術院恩賜賞受賞
☆藤田喬平関係略年表
・1921年(大正10)4月28日 東京府豊多摩群大久保町(現在の東京都新宿区百人町)に生まれる
・1944年(昭和19) 東京美術学校(現在の東京芸術大学)工芸科彫金部を卒業する
・1946年(昭和21) 第1回日展に、金属による立体的な造形作品「波」を出品し初入選、染織家の長浜重太郎が主宰する真赤土工芸会に参加する
・1947年(昭和22) 岩田工芸硝子に入社する
・1949年(昭和24) 岩田工芸硝子を退社し、ガラス作家として独立する
・1955年(昭和30) 市川市北方に転居する
・1957年(昭和32) 上野松坂屋にて初の個展「藤田喬平手吹きガラス器新作展」が開催される
・1961年(昭和36) 日本橋高島屋にて「藤田喬平硝子工芸創作展」が開催される
・1964年(昭和39) 日本橋高島屋第4回個展にて、流動ガラス「虹彩」を発表する
・1967年(昭和42) 日本橋高島屋第7回個展にて、流動ガラス十数点を発表する
・1973年(昭和48) 日本橋高島屋第13回個展にて、飾筥最初の作品「菖蒲」を発表する
・1974年(昭和49) 神奈川県立近代美術館「日本のガラス展」を出品する
・1975年(昭和50) デンマークの「世界のスタジオグラス展」に招待出品する
・1976年(昭和51) 日本ガラス工芸協会会長に就任する
・1977年(昭和52) イタリアのベネチアを訪れたのを機に,色ガラスの技法を学ぶ
・1978年(昭和53) 日本橋高島屋第18回個展にて、ベネチアムラーノ島にて制作の新作カンナ文様ガラス器を発表する
・1980年(昭和55) 『藤田喬平手吹きガラス作品集』(アート社)を刊行する
・1981年(昭和56) スウェーデン・オレフォス社にてクリスタル・ガラス作品を制作、千葉県立美術館にて第1回「千葉美術工芸展」に、代表理事として出品する
・1983年(昭和58) 『藤田喬平版画集』(現代版画センター)を刊行する
・1984年(昭和59) 日本橋高島屋第25回個展にて、「風」「創生」など新たな造形上の大作を発表する
・1985年(昭和60) NHK日曜美術館「アトリエ訪問-ガラスに日本美をこめて-」に出演する
・1986年(昭和61) 第25回「日本現代工芸美術展」に招待出品し文部大臣賞を受賞、『 雅びの夢-藤田喬平ガラス』(京都書院)を刊行する
・1989年(平成元) 飾筥「春に舞う」で、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となる
・1991年(平成3) 朝日新聞社主催「古稀記念 藤田喬平の世界」展を開催(東京、大阪、京都、横浜高島屋巡回)する
・1992年(平成4) 富山市文化センターにて「藤田喬平ガラス造形の世界展」を開催する
・1994年(平成6) 勲三等瑞宝章を受章する
・1996年(平成8) 宮城県松島に藤田喬平美術館が開館する
・1997年(平成9) 文化功労者として顕彰を受け、紺綬褒章を受章、イタリアのベネチアを訪れる
・1998年(平成10) アメリカ、ガラス・アート・ソサエティーよりライフタイム・アチーブメントアワードを受賞する
・1999年(平成11) 市川市名誉市民となる
・2000年(平成12) 『2000年記念出版 藤田喬平のガラス』(求龍堂)を刊行、日本橋三越にて「〈一期一会〉小倉遊亀・藤田喬平展」を開催、千葉県立現代産業科学館にて「市川の文化人展-藤田喬平の世界展」を開催する
・2001年(平成13) デンマーク コペンハーゲン、デンマーク工芸美術館にて個展を開催、卒寿記念個展を開催する
・2002年(平成14) 文化勲章を受章する
・2003年(平成15) 日本ガラス工芸協会会長を辞める
・2004年(平成16)9月18日 東京都千代田区の病院において、肺炎のため、83歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
711年(和銅4) | 元明天皇の詔勅により太安麻呂が『古事記』の編纂に着手する(新暦11月3日) | 詳細 |
1428年(正長元) | 正長の土一揆で京都・醍醐附近の地下人が徳政を要求して蜂起する(新暦10月26日) | 詳細 |
1868年(明治元) | 日本画家横山大観の誕生日(新暦11月2日) | 詳細 |
1869年(明治2) | 東京・築地に明治新政府により海軍操練所(海軍兵学校の前身)が設立される(新暦10月22日) | 詳細 |
1927年(昭和2) | 小説家徳富蘆花の命日(蘆花忌) | 詳細 |
1931年(昭和6) | 柳条湖事件が起き、満州事変が始まる | 詳細 |