
『橋のない川』(はしのないかわ)は、住井すゑ著で、被差別部落問題をテーマとした、全7部(5500枚)に及ぶ長編小説でした。1957年(昭和32)から、茨城県稲敷郡牛久町(現在の牛久市)で執筆を開始、第1部(950枚)は部落問題研究所の機関誌『部落』に連載されて、1961年(昭和36)9月15日に新潮社から刊行されます。
以後は、書き下ろしで第7部は、1992年(平成4)に刊行して完結します。明治時代後期の奈良県のある被差別部落(小森部落)を舞台に、理不尽な差別の実態と、開放を求める人々の生きざまが描かれ、最終的には京都市・岡崎で行われた水平社宣言をもって締めとしました。
36年かけての大作で、1部~7部までの累計発行部数は800万部を超え、隠れたロングセラー小説となります。尚、1969年~1970年(今井正監督)と1992年(東陽一監督)の2度にわたって映画化されました。
以後は、書き下ろしで第7部は、1992年(平成4)に刊行して完結します。明治時代後期の奈良県のある被差別部落(小森部落)を舞台に、理不尽な差別の実態と、開放を求める人々の生きざまが描かれ、最終的には京都市・岡崎で行われた水平社宣言をもって締めとしました。
36年かけての大作で、1部~7部までの累計発行部数は800万部を超え、隠れたロングセラー小説となります。尚、1969年~1970年(今井正監督)と1992年(東陽一監督)の2度にわたって映画化されました。
〇住井すゑ(すみい すえ)とは?
大正時代から平成時代に活躍した小説家・児童文学者です。明治時代後期の1902年(明治35)1月7日に、奈良県磯城郡平野村満田(現在の田原本町)の富裕な家庭に生まれ、田原本技芸女学校在学中に「少女世界」等の雑誌に投稿、田原本高等女学校を卒業しました。
1919年(大正8)に17歳で上京して講談社の編集記者となりましたが、翌年に女性社員差別に抗議して辞め、19歳で農民作家犬田卯(しげる)と結婚します。1921年(大正10)に、長編小説『相剋』を出版(住井すゑ子名義)して作家としてデビュー、1924年(大正13)に夫と共に、農民文芸研究会をつくり、1927年(昭和2)には、農民文芸会に改組しました。
1929年(昭和4)に『大地にひらく』が読売新聞創設55周年記念懸賞小説2位に当選、翌年には、無産婦人芸術連盟に参加し、機関誌「婦人戦線」に寄稿を始め、講演「母性は起つ」を行うなど、女性解放・農民文学運動に打ちと込みます。1931年(昭和6)の満州事変以降、プロレタリア文学運動への弾圧が激しくなり、1935年(昭和10)には、夫の郷里である茨城県稲敷郡牛久村城中(現在の牛久市)に転居、4人の子育てをしながら、農業と執筆活動に従事しました。
1940年(昭和15)に『農婦譚』、1941年(昭和16)に『子供の村』、短編小説集『土の女たち』、1942年(昭和17)に『子供日本』、1943年(昭和18)には、長編『大地の倫理』を刊行するなどします。太平洋戦争後は、児童文学でも活躍し、1952年(昭和27)に『みかん』で第1回小学館児童文化賞、1954年(昭和29)には、『夜あけ朝あけ』で第8回毎日出版文化賞を受賞しました。
1957年(昭和32)に夫・犬田卯が亡くなったのを契機に、翌年から被差別者の人間的解放を願った大河小説『橋のない川』に着手、1973年(昭和48)までに第1部から第6部を刊行してロングセラーとなり、1969~70年と1992年の2度にわたって映画化されます。1978年(昭和53)に自宅敷地内に「抱樸舎」を建て、時事問題や文化などをテーマに、著名人を講師に招いて公開学習会を続け、読者と積極的に交流し続けました。
1992年(平成4)に小説『橋のない川』第7部を刊行しましたが、1997年(平成9)6月16日に、茨城県牛久市において、老衰のため95歳で亡くなっています。
1919年(大正8)に17歳で上京して講談社の編集記者となりましたが、翌年に女性社員差別に抗議して辞め、19歳で農民作家犬田卯(しげる)と結婚します。1921年(大正10)に、長編小説『相剋』を出版(住井すゑ子名義)して作家としてデビュー、1924年(大正13)に夫と共に、農民文芸研究会をつくり、1927年(昭和2)には、農民文芸会に改組しました。
1929年(昭和4)に『大地にひらく』が読売新聞創設55周年記念懸賞小説2位に当選、翌年には、無産婦人芸術連盟に参加し、機関誌「婦人戦線」に寄稿を始め、講演「母性は起つ」を行うなど、女性解放・農民文学運動に打ちと込みます。1931年(昭和6)の満州事変以降、プロレタリア文学運動への弾圧が激しくなり、1935年(昭和10)には、夫の郷里である茨城県稲敷郡牛久村城中(現在の牛久市)に転居、4人の子育てをしながら、農業と執筆活動に従事しました。
1940年(昭和15)に『農婦譚』、1941年(昭和16)に『子供の村』、短編小説集『土の女たち』、1942年(昭和17)に『子供日本』、1943年(昭和18)には、長編『大地の倫理』を刊行するなどします。太平洋戦争後は、児童文学でも活躍し、1952年(昭和27)に『みかん』で第1回小学館児童文化賞、1954年(昭和29)には、『夜あけ朝あけ』で第8回毎日出版文化賞を受賞しました。
1957年(昭和32)に夫・犬田卯が亡くなったのを契機に、翌年から被差別者の人間的解放を願った大河小説『橋のない川』に着手、1973年(昭和48)までに第1部から第6部を刊行してロングセラーとなり、1969~70年と1992年の2度にわたって映画化されます。1978年(昭和53)に自宅敷地内に「抱樸舎」を建て、時事問題や文化などをテーマに、著名人を講師に招いて公開学習会を続け、読者と積極的に交流し続けました。
1992年(平成4)に小説『橋のない川』第7部を刊行しましたが、1997年(平成9)6月16日に、茨城県牛久市において、老衰のため95歳で亡くなっています。
<住井すゑの主要な著作>
・長編小説『相剋』(1921年)
・『大地にひらく』(1929年)読売新聞創設55周年記念懸賞小説2位当選
・『農婦譚』(1940年)
・『子供の村』(1941年)
・短編小説集『土の女たち』(1941年)
・『子供日本』(1942年)
・長編『大地の倫理』(1943年)
・『みかん』(1952年)第1回小学館児童文化賞受賞
・『夜あけ朝あけ』(1954年)第8回毎日出版文化賞受賞
・長編『橋のない川』第1部(1961年)、第2部(同年)、第3部(1963年)、第4部(1964年)、第5部(1970年)、第6部(1973年)、第7部(1992年)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 記念日 | 国際デーの一つ、「国際民主主義デー」です | 詳細 |
| 1305年(嘉元3) | 第90代の天皇とされる亀山天皇の命日(新暦では10月4日) | 詳細 |
| 1600年(慶長5) | 関ヶ原の戦いが起き、東軍が勝利する(新暦10月21日) | 詳細 |
| 1932年(昭和7) | 「日満議定書」が調印される | 詳細 |
| 1945年(昭和20) | 文部省が「新日本建設ノ教育方針」を公表する | 詳細 |
| 1964年(昭和39) | 八郎潟干拓の干拓式が行われる | 詳細 |