
池田菊苗(いけだ きくなえ)は、山城国京都において、薩摩藩の京都藩邸の留守居役池田春苗の次男として生まれましたが、幼名は完二郎と言いました。9歳の時に東京に出て約2年間英語を勉強し、京都に帰ってからも宣教師から英語を学びます。
1880年(明治13)の16歳の時、大阪衛生試験所長村橋次郎から化学を学び、翌年に親に内緒で家出して上京、1882年(明治15)には、大学予備門に入学しました。予備門理科を卒業後、東京帝国大学(現在の東京大学)理学部化学科に入学し、桜井錠二教授に師事、1889年(明治22)には、卒業して大学院へ進学します。
1891年(明治24)に高等師範学校教授となり、1896年(明治29)には、東京帝国大学理科大学化学科の助教授に就任しました。1899年(明治32)に物理化学の研究のためドイツに留学、ドイツ・ライプツィヒ大学のオストワルド教授に師事、1901年(明治34)には、ロンドンに滞在し、夏目漱石と同じ下宿に住み親交を持ち、帰国後、東京帝国大学物理化学教授に昇進します。
1902年(明治35)に理学博士の学位を取得、1907年(明治40)には、甘味、酸味、塩味、苦味の4基本味以外の味成分を「うま味」と名づけ、単離研究に着手しました。1908年(明治41)に昆布の旨み成分がグルタミン酸ナトリウムであることを発見、グルタミン酸ナトリウムを主成分とする調味料の製造方法を発明し特許を取得します。
1909年(明治42)にうまみ調味料「味の素」が鈴木製薬所(現味の素株式会社)から発売され、1912年(大正元)には、勲三等瑞宝章を受章しました。1913年(大正2)に日本化学会会長、1917年(大正6)に理化学研究所の創立に参加して化学部長、1919年(大正8)には、帝国学士院会員となります。
1922年(大正11)に理化学研究所主任研究員となり、1923年(大正12)には、東京帝国大学を退職し、正三位となりました。1926年(大正15)に帝国発明協会恩賜記念賞・大賞を受賞、1931年(昭和6)には、自宅に研究室を設けて、香気、臭気など特異な分野を研究します。
1932年(昭和7)に理化学研究所を退職、日本学術会議の化学関係担当常置委員長となったものの、1936年(昭和11)5月3日に、東京において、71歳で亡くなりました。尚、他に酸性白土を利用した乾燥剤など日本の特許40件、欧米などの特許20件を取得しています。
没後の1985年(昭和60)には、日本の産業財産権制度百周年記念事業の一環で、日本の十大発明家として顕彰されました。
1880年(明治13)の16歳の時、大阪衛生試験所長村橋次郎から化学を学び、翌年に親に内緒で家出して上京、1882年(明治15)には、大学予備門に入学しました。予備門理科を卒業後、東京帝国大学(現在の東京大学)理学部化学科に入学し、桜井錠二教授に師事、1889年(明治22)には、卒業して大学院へ進学します。
1891年(明治24)に高等師範学校教授となり、1896年(明治29)には、東京帝国大学理科大学化学科の助教授に就任しました。1899年(明治32)に物理化学の研究のためドイツに留学、ドイツ・ライプツィヒ大学のオストワルド教授に師事、1901年(明治34)には、ロンドンに滞在し、夏目漱石と同じ下宿に住み親交を持ち、帰国後、東京帝国大学物理化学教授に昇進します。
1902年(明治35)に理学博士の学位を取得、1907年(明治40)には、甘味、酸味、塩味、苦味の4基本味以外の味成分を「うま味」と名づけ、単離研究に着手しました。1908年(明治41)に昆布の旨み成分がグルタミン酸ナトリウムであることを発見、グルタミン酸ナトリウムを主成分とする調味料の製造方法を発明し特許を取得します。
1909年(明治42)にうまみ調味料「味の素」が鈴木製薬所(現味の素株式会社)から発売され、1912年(大正元)には、勲三等瑞宝章を受章しました。1913年(大正2)に日本化学会会長、1917年(大正6)に理化学研究所の創立に参加して化学部長、1919年(大正8)には、帝国学士院会員となります。
1922年(大正11)に理化学研究所主任研究員となり、1923年(大正12)には、東京帝国大学を退職し、正三位となりました。1926年(大正15)に帝国発明協会恩賜記念賞・大賞を受賞、1931年(昭和6)には、自宅に研究室を設けて、香気、臭気など特異な分野を研究します。
1932年(昭和7)に理化学研究所を退職、日本学術会議の化学関係担当常置委員長となったものの、1936年(昭和11)5月3日に、東京において、71歳で亡くなりました。尚、他に酸性白土を利用した乾燥剤など日本の特許40件、欧米などの特許20件を取得しています。
没後の1985年(昭和60)には、日本の産業財産権制度百周年記念事業の一環で、日本の十大発明家として顕彰されました。
〇池田菊苗関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)
・1864年(元治元年9月8日) 山城国京都において、薩摩藩の京都藩邸の留守居役池田春苗の次男として生まれる
・1880年(明治13) 大阪衛生試験所で化学を学び始める
・1881年(明治14) 親に内緒で家出して上京する
・1882年(明治15) 大学予備門に入学する
・1889年(明治22) 帝国大学理科大学化学科(現在の東京大学理学部化学科)を卒業し、大学院へ進学する
・1891年(明治24) 高等師範学校教授に就任し、従七位となる
・1896年(明治29) 東京帝国大学理科大学化学科の助教授に就任する
・1899年(明治32) 物理化学の研究のためドイツに留学、ドイツ・ライプツィヒ大学のオストワルド教授に師事する
・1901年(明治34) ロンドンに滞在し、夏目漱石と同じ下宿に住み親交を持ち、帰国後、東京帝国大学物理化学教授に昇進する
・1902年(明治35) 理学博士の学位を取得する
・1904年(明治37) 従五位となる
・1907年(明治40) 甘味、酸味、塩味、苦味の4基本味以外の味成分を「うま味」と名づけ、単離研究に着手する
・1908年(明治41) 昆布の旨み成分がグルタミン酸ナトリウムであることを発見、グルタミン酸ナトリウムを主成分とする調味料の製造方法を発明し特許を取得する
・1909年(明治42) うまみ調味料「味の素」が鈴木製薬所(現味の素株式会社)から発売される
・1912年(大正元) 勲三等瑞宝章を受章する
・1913年(大正2) 日本化学会会長となる
・1917年(大正6) 理化学研究所の創立に参加し、化学部長となる
・1919年(大正8) 帝国学士院会員となる
・1922年(大正11) 理化学研究所主任研究員となる
・1923年(大正12) 東京帝国大学を退職し、正三位となる
・1926年(大正15) 帝国発明協会恩賜記念賞・大賞を受賞する
・1931年(昭和6) 自宅に研究室を設けて、香気、臭気など特異な分野を研究する
・1932年(昭和7) 理化学研究所を退職、日本学術会議の化学関係担当常置委員長となる
・1936年(昭和11)5月3日 東京において、71歳で亡くなる
・1985年(昭和60) 日本の産業財産権制度百周年記念事業の一環で、日本の十大発明家として顕彰される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1658年(万治元) | 江戸幕府が旗本4人を火消役に任命し、定火消が始まる(新暦10月4日) | 詳細 |
1775年(安永4) | 俳人加賀千代女(千代尼)の命日(新暦10月2日) | 詳細 |
1873年(明治6) | 教育家・婦人ジャーナリストの先駆者羽仁もと子の誕生日 | 詳細 |
1904年(明治37) | 「屯田兵条例」が廃止され、屯田兵制度が終わる | 詳細 |
1951年(昭和26) | 「サンフランシスコ平和条約」が調印される | 詳細 |
「日米安全保障条約」(旧)が調印される | 詳細 |