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 今日は、明治時代後期の1901年(明治34)に、与謝野晶子の第一歌集『みだれ髪』が発刊された日です。
 『みだれ髪』(みだれがみ)は、与謝野晶子の処女歌集で、明治時代後期の1901年(明治34)に、東京新詩社と伊藤文友館の共版として刊行されました。6章399首の歌を収録していますが、月刊文芸誌『明星』に発表した歌を中心に構成され、与謝野鉄幹への強い恋慕の感情が表現されています。
 古い伝統の色濃い時期に、人間の情熱と恋愛、特に女性の官能的解放を自由奔放に歌いあげ、大きな注目を浴びました。この歌集は、新詩社の浪漫主義運動の推進に一役を買い、『明星』派以外の歌人にも大きな影響を与えています。洋画家藤島武二の華麗な装丁・挿画も内容にふさわしいとされました。 

<収載されている代表的な歌>
・「やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君」
・「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき」
・「くろ髪の 千すじの髪の みだれ髪 かつおもひみだれ おもいみだるる」
・「なにとなく 君に待たるる ここちして 出(い)でし花野の 夕月夜かな」
・「春みじかし 何に不滅の命ぞと ちからある乳を 手にさぐらせぬ」

〇与謝野 晶子(よさの あきこ)とは?

 明治時代後期から、昭和時代前期にかけて活躍した歌人、詩人です。明治時代前期の1878年(明治11)12月7日、大阪府堺市の老舗和菓子屋「駿河屋」を営む、父・鳳宗七、母・津祢の三女として生まれましたが、本名は、与謝野志ようといいました。
 堺女学校補習科卒業後、家業の菓子屋を手伝いながら古典を独習します。1900年(明治33)に東京新詩社に加入し、翌年に22歳で上京することになりました。
 その後、処女歌集『みだれ髪』を刊行し、浪漫派の歌人として注目されるようになります。そして、「明星」の主宰者与謝野鉄幹と結婚することになりました。
 それからは、鉄幹と共に浪漫主義詩歌運動を進めながら、社会評論、文化学院の創設など、多方面で活躍することになります。歌集「火の鳥」、「小扇」、「舞姫」や詩歌集「恋衣」を残したほか、日露戦争に出征した弟を思う反戦詩「君死にたまふこと勿れ」や、源氏物語の現代語訳などでも知られました。12人の子どもを産み、育てましたが、1940年(昭和15)に脳出血で右半身不随になり、1942年(昭和17)5月29日に、東京市杉並区荻窪の自宅において、63歳で亡くなっています。

<代表的な歌>
・「金色の 小さき鳥の かたちして いちょう散るなり 夕日の丘に」
・「梟(ふくろふ)よ 尾花の谷の 月明に 鳴きし昔を 皆とりかへせ」
・「誰見ても 親はらからの ここちすれ 地震をさまりて 朝に至れば」

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

774年(宝亀5)第51代の天皇とされる平城天皇の誕生日(新暦9月25日)詳細
952年(天暦6)第61代の天皇とされる朱雀天皇の命日(新暦9月6日)詳細
1716年(享保元)俳人山口素堂の命日(新暦9月30日)詳細
1808年(文化5)フェートン号事件が起きる(新暦10月4日)詳細
1940年(昭和15)立憲民政党が解党して、戦前の日本で全政党が解散に至る(大政翼賛会へ合流)詳細
1945年(昭和20)「大東亜戦争終結ノ詔書」(玉音放送)がラジオで流されて、太平洋戦争敗戦が国民に伝えられる詳細