ichiokusoubusou01
 今日は、昭和時代前期の1944年(昭和19)に、小磯国昭内閣が、本土決戦に備えて一億総武装を唱え、最高戦争指導会議の設置を決定(翌日発足)した日です。
 最高戦争指導者会議(さいこうせんそうしどうしゃかいぎ)は、太平洋戦争末期に、戦争指導の基本政策の策定、政治、戦術の調整にあたった最高戦争指導機関でした。東条英機内閣が倒れた後、1944年(昭和19)7月22日に成立した小磯国昭内閣によって、それまでの大本営政府連絡会議が国務と統帥の協調や陸海軍の協調を欠いていたとして、首相が強力に戦争指導に関与できる機関として設置されます。
 構成員は首相、外相、陸相、海相、参謀総長、軍令部総長で、必要に応じて枢密院議長や他の国務大臣、参謀次長、軍令部次長が列席し、内閣書記官長、内閣総合計画局長官、陸海軍省軍務局長4名が幹事となりました。しかし、目的とした大本営と政府との一元的な政治指導は実現せず、軍部と政府との連絡調整機関にとどまります。
 それでも、同年の独ソ和平斡旋・対重慶和平工作や翌年のポツダム宣言受諾を決定し、敗戦後の8月22日に廃止されました。尚、1945年(昭和20)6月22日には、昭和天皇も臨席した御前ニ於ケル最高戦争指導会議構成員会議が開催され、「時局収拾策・ソ連を仲介とした対米英和平」を決定しています。
 以下に、「最高戰爭指導󠄃會議ニ關スル件」1944年(昭和19)8月4日大本營政府連󠄃絡會議決定を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「最高戰爭指導󠄃會議ニ關スル件」 1944年(昭和19)8月4日大本營政府連󠄃絡會議決定

第一、方針

 最高戰爭指導󠄃會議ヲ設置シ戰爭指導󠄃ノ根本方針ノ策定及政戰兩略ノ吻合調整ニ任ス

第二、要󠄃領

一、本會議ハ宮中ニ於テ之ヲ開キ重要󠄃ナル案件ノ審議ニ當リテハ

 御親臨ヲ奏請󠄃スルモノトス

二、本會議ノ構󠄃成󠄃員ハ左ノ通󠄃リトス

 參謀總長
 軍令部總長
 內閣總理大臣
 外務大臣
 陸軍大臣
 海軍大臣
 必要󠄃ニ應シ其他ノ國務大臣、參謀次󠄄長及軍令部次󠄄長ヲ列席セシムルコトヲ得

三、本會議ニ幹事ヲ置キ內閣書記官長及陸海軍省兩軍務局長ヲ以テ之ニ充ツ

 必要󠄃ニ應シ所󠄃要󠄃ノ者ヲシテ說明ノ爲出席セシムルコトヲ得

四、本會議ニ幹事補佐ヲ置キ大本營、內閣、陸海外各省高等官中若干人ヲ以テ之ニ充ツ

 備考本會議ハ官制上ノモノトナサス

    「ウィキソース」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

770年(神護景雲4)第46代・48代の天皇とされる孝謙天皇(称徳天皇)の命日(新暦8月28日)詳細
1830年(文政13)幕末の思想家・教育者吉田松陰の誕生日(新暦9月20日)詳細
1897年(明治30)幕末の土佐藩士・政治家後藤象二郎の命日詳細
1944年(昭和19)初の集団学童疎開列車が東京の上野駅を出発する詳細
1965年(昭和40)憲法・行政法学者・貴族院議員佐々木惣一の命日詳細
1992年(平成4)小説家松本清張の命日詳細