
森嶋通夫(もりしま みちお)は、大阪府大阪市において、生まれましたが、幼少期は神戸に在住しました。七年制の旧制浪速高等学校を卒業後、1942年(昭和17)に京都帝国大学経済学部に入学しましたものの、翌年には、学徒出陣により徴兵され、大日本帝国海軍に入隊、敗戦を海軍中尉とし迎えます。
1946年(昭和21)に京都大学を卒業し、1948年(昭和23)に同大学経済学部助手となり、1950年(昭和25)には助教授に昇任し、『動学的経済理論』を発表して注目されました。1951年(昭和26)に人事に抗議し京都大学を退職、大阪大学法経学部助教授となり、1956年(昭和31)からイギリスに留学し、1958年(昭和33)に帰国します。
1954年(昭和29)に大阪大学経済学部附属社会経済研究施設(現在の大阪大学社会経済研究所)の創設とともに、助教授として併任し、1963年(昭和38)には教授に昇進しました。1965年(昭和40)に日本人として初めてエコノメトリック・ソサエティー(国際計量 経済学会)会長に就任、1968年(昭和43)に渡英し、エセックス大学客員教授となり、1970年(昭和45)には、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) の教授となります。
1973年(昭和48)に『近代社会の経済理論』、邦訳『マルクスの経済学』を発表、マルクス理論の多くを評価しつつも独自の解釈を示して国内外で注目を浴びました。1976年(昭和51)に、日本の経済学を国際的水準にまで引き上げたとして、文化功労者となり、文化勲章を受章、1977年(昭和52)には、邦訳『ワルラスの経済学』を発表、ワルラスの理論を分析・解釈します。
1978年(昭和53)にSuntory Toyota International Centres for Economics and Related Disciplines(STICERD という研究所の設立に貢献し、初代所長となり、1979年(昭和54)には、関嘉彦との共著『大論争・戦争と平和』で、第41回文藝春秋読者賞を受賞しました。1982年(昭和57)にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスジョン・ヒックス卿教授となりましたが、1989年(平成元)には定年により退任しています。
1992年(平成4)に大阪大学名誉教授となったものの、2004年(平成16)7月13日に、イギリスのエセックス州の病院において、老衰のために、80歳で亡くなりました。
1946年(昭和21)に京都大学を卒業し、1948年(昭和23)に同大学経済学部助手となり、1950年(昭和25)には助教授に昇任し、『動学的経済理論』を発表して注目されました。1951年(昭和26)に人事に抗議し京都大学を退職、大阪大学法経学部助教授となり、1956年(昭和31)からイギリスに留学し、1958年(昭和33)に帰国します。
1954年(昭和29)に大阪大学経済学部附属社会経済研究施設(現在の大阪大学社会経済研究所)の創設とともに、助教授として併任し、1963年(昭和38)には教授に昇進しました。1965年(昭和40)に日本人として初めてエコノメトリック・ソサエティー(国際計量 経済学会)会長に就任、1968年(昭和43)に渡英し、エセックス大学客員教授となり、1970年(昭和45)には、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) の教授となります。
1973年(昭和48)に『近代社会の経済理論』、邦訳『マルクスの経済学』を発表、マルクス理論の多くを評価しつつも独自の解釈を示して国内外で注目を浴びました。1976年(昭和51)に、日本の経済学を国際的水準にまで引き上げたとして、文化功労者となり、文化勲章を受章、1977年(昭和52)には、邦訳『ワルラスの経済学』を発表、ワルラスの理論を分析・解釈します。
1978年(昭和53)にSuntory Toyota International Centres for Economics and Related Disciplines(STICERD という研究所の設立に貢献し、初代所長となり、1979年(昭和54)には、関嘉彦との共著『大論争・戦争と平和』で、第41回文藝春秋読者賞を受賞しました。1982年(昭和57)にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスジョン・ヒックス卿教授となりましたが、1989年(平成元)には定年により退任しています。
1992年(平成4)に大阪大学名誉教授となったものの、2004年(平成16)7月13日に、イギリスのエセックス州の病院において、老衰のために、80歳で亡くなりました。
〇森嶋通夫の主要な著作
・『動学的経済理論』(1950年)
・邦訳『均衡・安定性・成長』(1964年)
・『近代社会の経済理論』(1973年)
・邦訳『マルクスの経済学』(1973年)
・『イギリスと日本──その教育と経済』(1977年)
・邦訳『ワルラスの経済学』(1977年)
・『無資源国の経済学』(1984年)
・『政治家の条件──イギリス・EC・日本』(1991年)
・『イギリスと日本』
・『続イギリスと日本』
・『政治家の条件』
・『思想としての近代経済学』
☆森嶋通夫関係略年表
・1923年(大正12)7月18日 大阪府大阪市において、生まれる
・1936年(昭和11) 神戸市の本山第一小学校を卒業する
・1942年(昭和17) 京都帝国大学経済学部に入学する
・1943年(昭和18) 学徒出陣により徴兵され、大日本帝国海軍に入隊する
・1945年(昭和20) 海軍中尉として敗戦を迎える
・1946年(昭和21) 京都大学を卒業する
・1948年(昭和23) 京都大学経済学部助手となる
・1950年(昭和25) 京都大学経済学部助教授に昇任し、『動学的経済理論』を発表する
・1951年(昭和26) 人事に抗議し京都大学を退職、大阪大学法経学部助教授となる
・1956年(昭和31) イギリスに留学する
・1958年(昭和33) イギリス留学から帰国する
・1954年(昭和29) 大阪大学経済学部附属社会経済研究施設(現在の大阪大学社会経済研究所)の創設とともに、助教授として併任する
・1963年(昭和38) 大阪大学経済学部附属社会経済研究施設(現在の大阪大学社会経済研究所)教授となる
・1965年(昭和40) 日本人として初めてエコノメトリック・ソサエティー(国際計量 経済学会)会長に就任する
・1966年(昭和41) 大阪大学社会経済研究所教授となる
・1968年(昭和43) 渡英しエセックス大学客員教授となる
・1970年(昭和45) ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) の教授となる
・1973年(昭和48) 『近代社会の経済理論』を発表する
・1976年(昭和51) 文化功労者となり、文化勲章を受章する
・1978年(昭和53) Suntory Toyota International Centres for Economics and Related Disciplines(STICERD という研究所の設立に貢献し、初代所長となる
・1979年(昭和54) 関嘉彦との共著『大論争・戦争と平和』で、第41回文藝春秋読者賞を受賞する
・1982年(昭和57) ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスジョン・ヒックス卿教授となる
・1989年(平成元) 定年によりロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) の教授を辞める
・1992年(平成4) 大阪大学名誉教授となる
・2004年(平成16)7月13日 イギリスのエセックス州において、80歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1204年(元久元) | 鎌倉幕府第2代将軍源頼家の命日(新暦8月14日) | 詳細 |
1315年(正和4) | 鎌倉幕府第12代執権北條煕時の命日(新暦8月18日) | 詳細 |
1866年(慶応2) | 東洋史学者・評論家内藤湖南の誕生日(新暦8月27日) | 詳細 |
1871年(明治4) | 女優川上貞奴の誕生日(新暦9月2日) | 詳細 |
1970年(昭和45) | 東京都杉並区で日本初の光化学スモッグが発生する(光化学スモッグの日) | 詳細 |
1996年(平成8) | 薬学者・薬理学者石館守三の命日 | 詳細 |