
七社共同声明(しちしゃきょうどうせいめい)は、1960年(昭和35)6月17日付朝刊紙上で、60年安保闘争に関し、東京に本拠を持つ朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・産経新聞・日本経済新聞・東京新聞・東京タイムズの主要紙7社が共同で行った声明で、「七社宣言」とも呼ばれてきました。1960年(昭和35)1月19日に「新日米安全保障条約」に調印した自民党の岸信介内閣は、第34国会での批准を目指しましたが、日本がアメリカの軍事行動に巻き込まれるとの懸念から、「安保闘争」と言われる大きな国民的反対運動が起こります。
その中で、岸内閣が5月19日に衆議院に警官隊を導入して強行採決を行ったことを批判、人々の大衆行動を加速させました。6月15日には、全学連をはじめとするデモ隊が国会議事堂に突入して機動隊と衝突し、その混乱の中で樺美智子が死亡するという事件が発生します。
これに対して、東京に本拠を持つ七社の6月17日付朝刊に掲載されたのが「七社共同声明」で、さらに全国の地方紙など48社も同調して宣言を紙面に掲げました。暴力から議会主義を守ることは民主主義を守ることであるとして、一切の暴力を排除すべきと宣言することで、衆議院に警官隊を導入しての強行採決という暴挙を行った政府への批判を控えるようになったとされます。このため、「マスコミは安保で死んだ」との批判もなされました。
以下に、「七社共同声明」を掲載しておきますので、ご参照下さい。
その中で、岸内閣が5月19日に衆議院に警官隊を導入して強行採決を行ったことを批判、人々の大衆行動を加速させました。6月15日には、全学連をはじめとするデモ隊が国会議事堂に突入して機動隊と衝突し、その混乱の中で樺美智子が死亡するという事件が発生します。
これに対して、東京に本拠を持つ七社の6月17日付朝刊に掲載されたのが「七社共同声明」で、さらに全国の地方紙など48社も同調して宣言を紙面に掲げました。暴力から議会主義を守ることは民主主義を守ることであるとして、一切の暴力を排除すべきと宣言することで、衆議院に警官隊を導入しての強行採決という暴挙を行った政府への批判を控えるようになったとされます。このため、「マスコミは安保で死んだ」との批判もなされました。
以下に、「七社共同声明」を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇七社共同声明「共同宣言 暴力を排し議会主義を守れ」1960年(昭和35)6月17日付朝刊掲載
六月十五日夜の議会内外における流血事件は、その事の依ってきたる所以を別として、議会主義を危機に陥れる痛恨事であった。われわれは、日本の招来に対して、今日ほど、深い憂慮をもつことはない。
民主主義は言論をもって争われるべき。その事の倚って来たる所以は別として、議会主義を危機に陥れる痛恨事であった。その理由のいかんを問わず暴力を用いて事を運ばんとする事は、断じて許されるべきではない。一たび暴力を是認するが如き社会的風潮が一般化すれば、民主主義は死滅し、日本の国家的存立を危うくする重大事態になるものと信ずる。
よって何よりも当面の重大責任をもつ政府が、早急に全力を傾けて事態収拾の実をあげるべきことは言うをまたない。政府はこの点で国民の良識に応える決意を表明すべきである。同時にまた、目下の混乱せる事態の一半の原因が国会の機能の停止にもあることに思いを致し、社会、民社の両党においても、この際、これまでの争点をしばらく投げ捨て、率先して国会に帰り、その正常化による事態の収拾に協力することは、国民の望むところと信ずる。
ここにわれわれは、政府与党と野党が国民の熱望に応え、議会主義を守るという一点に一致し、今日国民が抱く常ならざる憂慮を除き去ることを心から訴えるものである。
昭和三十五年六月十七日 産経新聞社 毎日新聞社 東京新聞社 読売新聞社
東京タイムズ新聞紙 朝日新聞社 日本経済新聞社
☆「新日米安全保障条約」(しんにちべいあんぜんほしょうじょうやく)とは?
昭和時代中期の1960年(昭和35)1月19日に調印し、日本国とアメリカ合衆国の安全保障のため、日本にアメリカ軍(在日米軍)が駐留することなどを規定した、二国間の条約です。通称は、「新日米安保条約」、正式名称は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」といい、同年の6月23日に発効しました。
これにより、1952年(昭和26年)に「サンフランシスコ平和条約」と同じ日に調印された、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安保条約)は、失効しましたが、実質的には、旧日米安保条約の改定とみなされています。新条約の期限は10年で、それ以後は通告後1年で廃棄できるとされていて、1970年(昭和45)から自動延長されてきました。
この条約の内容としては、アメリカ軍の日本駐留を引き続き認め、新たに日米両国の共同防衛義務、米軍の軍事行動に関する事前協議制度などが定められています。この条約の成立については、日本がアメリカの軍事行動に巻き込まれるとの懸念から、「安保闘争」と言われる大きな国民的反対運動が起こりました。
連日、国会周辺を大規模なデモ隊が取り囲む中、当時の自民党岸信介内閣は、500人の警官を国会内に導入して、批准案を強行採決し、多くの批判を浴びて、退陣に追い込まれまれています。
これにより、1952年(昭和26年)に「サンフランシスコ平和条約」と同じ日に調印された、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安保条約)は、失効しましたが、実質的には、旧日米安保条約の改定とみなされています。新条約の期限は10年で、それ以後は通告後1年で廃棄できるとされていて、1970年(昭和45)から自動延長されてきました。
この条約の内容としては、アメリカ軍の日本駐留を引き続き認め、新たに日米両国の共同防衛義務、米軍の軍事行動に関する事前協議制度などが定められています。この条約の成立については、日本がアメリカの軍事行動に巻き込まれるとの懸念から、「安保闘争」と言われる大きな国民的反対運動が起こりました。
連日、国会周辺を大規模なデモ隊が取り囲む中、当時の自民党岸信介内閣は、500人の警官を国会内に導入して、批准案を強行採決し、多くの批判を浴びて、退陣に追い込まれまれています。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1854年(嘉永7) | 琉球王国とアメリカ合衆国との間で、「琉米修好条約」が締結される(新暦7月11日) | 詳細 |
| 1857年(安政4) | 江戸幕末の老中・備後福山藩主阿部正弘の命日(新暦8月6日) | 詳細 |
| 1869年(明治2) | 薩長土肥4藩が願い出た版籍奉還を許可し、藩主を知藩事に任命(新暦7月25日) | 詳細 |
| 「公卿諸侯ノ稱ヲ廢シ改テ華族ト稱ス」(明治2年6月17日太政官達)が出される(新暦7月25日) | 詳細 | |
| 1959年(昭和34) | 首都高速道路公団が設立される | 詳細 |
| 1994年(平成6) | 「国連砂漠化対処条約」がフランスのパリで、採択される(砂漠化および干ばつと闘う国際デー) | 詳細 |