
服部四郎(はっとり しろう)は、三重県鈴鹿郡亀山町(現在の亀山市)において生まれ、旧制第一高校を経て、東京帝国大学文学部言語学科に入学、1931年(昭和6)に卒業し、大学院へ進みました。1933年(昭和8)に旧満州国に留学し、日本学術振興会の援助を受け、ハイラルなどで、モンゴル語、ブリヤート語やタタール語などのアルタイ諸語の研究を行ない、1936年(昭和11)に帰国して、東京帝国大学文学部講師となります。
1942年(昭和17)に助教授に昇任し、翌年に「元朝秘史の蒙古語を表はす漢字の研究」で、文学博士の学位を取得し、1949年(昭和24)には、教授(言語学講座担当)となりました。1950年(昭和25)にミシガン大学交換教授、1955年(昭和30)には、琉球大学招聘教授となります。
1966年(昭和41)に榊原陽により東京言語研究所が創設されると、初代運営委員長となり、1969年(昭和44)には、東京大学を定年退官し、名誉教授となりました。1971年(昭和46)に文化功労者、1972年(昭和47)に日本学士院会員、1975年(昭和50)には、日本言語学会会長(~1977年)となります。
1978年(昭和53)に勲二等旭日重光章受章、1979年(昭和54)にNHK放送文化賞受賞、1982年(昭和57)には、国際言語学者会議(第13回)会長となりました。中国語、モンゴル語からアイヌ語まで東アジアのあらゆる言語に通じ、戦後の言語学研究に指導的な役割を果たしたことにより、1983年(昭和58)に文化勲章受章、常設国際アルタイ学会PIACメダル受章、亀山市名誉市民となったもの、1995年(平成7)1月29日に、神奈川県藤沢市において、86歳で亡くなっています。
1942年(昭和17)に助教授に昇任し、翌年に「元朝秘史の蒙古語を表はす漢字の研究」で、文学博士の学位を取得し、1949年(昭和24)には、教授(言語学講座担当)となりました。1950年(昭和25)にミシガン大学交換教授、1955年(昭和30)には、琉球大学招聘教授となります。
1966年(昭和41)に榊原陽により東京言語研究所が創設されると、初代運営委員長となり、1969年(昭和44)には、東京大学を定年退官し、名誉教授となりました。1971年(昭和46)に文化功労者、1972年(昭和47)に日本学士院会員、1975年(昭和50)には、日本言語学会会長(~1977年)となります。
1978年(昭和53)に勲二等旭日重光章受章、1979年(昭和54)にNHK放送文化賞受賞、1982年(昭和57)には、国際言語学者会議(第13回)会長となりました。中国語、モンゴル語からアイヌ語まで東アジアのあらゆる言語に通じ、戦後の言語学研究に指導的な役割を果たしたことにより、1983年(昭和58)に文化勲章受章、常設国際アルタイ学会PIACメダル受章、亀山市名誉市民となったもの、1995年(平成7)1月29日に、神奈川県藤沢市において、86歳で亡くなっています。
〇服部四郎の主要な著作
・『アクセントと方言』(1933年)
・『元朝秘史の蒙古語を表はす漢字の研究』(1946年)
・『音声学』(1951年)
・『音韻論と正書法』(1951年)
・『日本語の系統』(1959年)
・『言語学の方法』(1960年)
・『英語基礎語彙の研究』(1968年)
〇服部四郎関係略年表
・1908年(明治41)5月29日 三重県鈴鹿郡亀山町(現在の亀山市)において生まれる
・1931年(昭和6) 東京帝国大学文学部言語学科を卒業する
・1933年(昭和8) 旧満州国に留学する
・1936年(昭和11) 旧満州国から帰国し、東京帝国大学文学部講師となる
・1942年(昭和17) 東京帝国大学文学部助教授となる
・1943年(昭和18) 「元朝秘史の蒙古語を表はす漢字の研究」で、文学博士の学位を取得する
・1949年(昭和24) 東京大学文学部教授(言語学講座担当)となる
・1950年(昭和25) ミシガン大学交換教授となる
・1955年(昭和30) 琉球大学招聘教授(琉球方言研究クラブ発足の契機となる)となる
・1966年(昭和41) 榊原陽により東京言語研究所が創設され、初代運営委員長となる
・1969年(昭和44) 東京大学を定年退官し、名誉教授となる
・1971年(昭和46) 文化功労者となる
・1972年(昭和47) 日本学士院会員となる
・1975年(昭和50) 日本言語学会会長となる
・1977年(昭和52) 日本言語学会会長を辞める
・1978年(昭和53) 勲二等旭日重光章を受章する
・1979年(昭和54) NHK放送文化賞を受賞する
・1982年(昭和57) 国際言語学者会議(第13回)会長となる
・1983年(昭和58) 文化勲章を受章、常設国際アルタイ学会PIACメダル受章、亀山市名誉市民となる
・1995年(平成7)1月29日 神奈川県藤沢市において、86歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1889年(明治22) | 小説家・随筆家・俳人内田百閒の誕生日 | 詳細 |
1942年(昭和17) | 歌人・詩人与謝野晶子の命日(白櫻忌) | 詳細 |
1945年(昭和20) | 横浜大空襲により、死者・行方不明3,959人、重軽傷者10,198人、罹災者311,218人を出す | 詳細 |
1952年(昭和27) | 国際通貨基金(IMF)と世界銀行が日本の加盟を承認する | 詳細 |
1961年(昭和36) | 青森県八戸市で白銀大火が起きる | 詳細 |
1981年(昭和56) | 日本で7番目の地下鉄として、京都市営地下鉄が開業(烏丸線北大路駅~京都駅間)する | 詳細 |