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 今日は、明治時代前期の1875年(明治8)に、数学者高木貞治が生まれた日です。
 高木貞治(たかぎ ていじ)は、明治時代前期の1875年(明治8)4月21日に、岐阜県大野郡数屋村(現在の本巣市)において、生まれました。1891年(明治24)に、第三高等中学校に入学、1894年(明治27)に卒業後、帝国大学理科大学数学科へ入学し、菊池大麓、藤沢利喜太郎のもとで学びます。
 1897年(明治30)に東京帝国大学理科大学数学科を卒業後、1898年(明治31)に文部省派遣留学生としてドイツへ向かい、1900年(明治33)にベルリン大学でフロベニウスの教えを受け、ゲッティンゲン大学でヒルベルトとクラインの教えを受け、1901年(明治34)にドイツ留学から帰国し、東京帝国大学の助教授となりました。1903年(明治36)に学位論文「ガウス数体の虚数乗法論」を提出し、理学博士となり、翌年には、東京帝国大学理科大学の教授となります。
 1920年(大正9)に類体論の論文「相対アーベル数体の一理論について(高木類体論第一論文)」を発表、ストラスブールで開催された国際数学者会議に参加、1922年(大正11)には、「任意の代数体における相反定理について(高木類体論第二論文)」発表し、高木類体論を完成しました。これにより、1923年(大正12)にチェコスロバキアの数学物理学会の名誉会員に推薦され、1925年(大正14)に帝国学士院の会員となり、1926年(大正15)には従三位となります。
 1929年(昭和4)にオスロ大学から名誉学位を授与され、1932年(昭和7)には、チューリッヒで開催された国際数学者会議に副議長として参加し、第1回フィールズ賞選考委員に選ばれました。1936年(昭和11)に東京帝国大学の教授を定年退官し、名誉教授となり、1937年(昭和12)に海軍技術研究所の依頼により暗号機である九七式印字機の規約数計算に協力、1940年(昭和15)には、文化勲章を受章します。
 1941年(昭和16)に藤原工業大学教授となり、1944年(昭和19)には、陸軍数学研究会(陸軍暗号学理研究会)の副会長に就任しました。太平洋戦争後の1951年(昭和26)に文化功労者となり、1955年(昭和30)には、日光で開催された代数的整数論の国際会議で名誉議長を務めます。
 日本の数学が国際的に認められる基礎を築いてきましたが、1960年(昭和35)2月28日に、東京において、脳卒中のため84歳で亡くなり、勲一等旭日大綬章を追贈されました。

〇高木貞治の主要な著作

・『代数学講義』(1930年)
・『初等整数論講義』(1931年)
・『解析概論』(1938年)
・『代数的整数論』(1948年)
・『数の概念』(1949年)
・『近代数学史談』(1949年)
・『数学の自由性』(1949年)

☆高木貞治関係略年表

・1875年(明治8)4月21日 岐阜県大野郡数屋村(現在の本巣市)において、生まれる
・1891年(明治24) 第三高等中学校に入学する
・1894年(明治27) 第三高等中学校を卒業、帝国大学理科大学数学科へ入学する
・1897年(明治30) 東京帝国大学理科大学数学科を卒業する
・1898年(明治31) 文部省派遣留学生としてドイツへ向かう
・1900年(明治33) ベルリン大学でフロベニウスの教えを受け、ゲッティンゲン大学でヒルベルトとクラインの教えを受ける
・1901年(明治34) ドイツ留学から帰国し、東京帝国大学の助教授となる
・1902年(明治35) 谷としと結婚する
・1903年(明治36) 学位論文「ガウス数体の虚数乗法論」を提出し、理学博士となる
・1904年(明治37) 東京帝国大学理科大学の教授となる
・1912年(大正元) 勲四等瑞宝章を受章する
・1920年(大正9) 類体論の論文「相対アーベル数体の一理論について(高木類体論第一論文)」を発表、ストラスブールで開催された国際数学者会議に参加する
・1922年(大正11) 「任意の代数体における相反定理について(高木類体論第二論文)」発表し、高木類体論を完成する
・1923年(大正12) 任意の代数体における奇素数次相互法則を証明により、チェコスロバキアの数学物理学会の名誉会員に推薦される
・1925年(大正14) 帝国学士院の会員となる
・1926年(大正15) 従三位となる
・1929年(昭和4) オスロ大学から名誉学位を授与される
・1932年(昭和7) チューリッヒで開催された国際数学者会議に副議長として参加し、第1回フィールズ賞選考委員に選ばれる
・1936年(昭和11) 東京帝国大学の教授を定年退官し、名誉教授となる
・1937年(昭和12) 海軍技術研究所の依頼により暗号機である九七式印字機の規約数計算に協力する
・1940年(昭和15) 文化勲章を受章する
・1941年(昭和16) 藤原工業大学教授となる
・1944年(昭和19) 陸軍数学研究会(陸軍暗号学理研究会)の副会長に就任する
・1951年(昭和26) 文化功労者となる
・1955年(昭和30) 日光で開催された代数的整数論の国際会議で名誉議長を務める
・1960年(昭和35)2月28日 東京において、脳卒中のため84歳で亡くなり、勲一等旭日大綬章を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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