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 今日は、昭和時代前期の1941年(昭和16)に、「日ソ中立条約」が締結(同年4月25日発効)された日です。
 「日ソ中立条約」(にっそちゅうりつじょうやく)は、日本とソ連との間で相互不可侵と相互中立を定めた条約で、正式名称を「大日本帝国及「ソヴィエト」社会主義共和国連邦間中立条約」と言いました。全4ヶ条から成り、両国間で平和友好関係を維持し、相互の領土保全、不可侵を尊重すること(第1条) 、締約国の一方が第三国によって軍事行動の対象とされた場合には、他方はその紛争の全期間、中立を守ること(第2条) 、有効期間は5年、期間満了の1年前に予告をもって廃棄通告しうること(第3条)などを規定しています。
 1939年(昭和14)のノモンハン事件において、ソ連軍に敗北して以来、当面は北方への進出を断念し、南進策を取ることとし、松岡洋右外相とスターリン首相の間で調印、締結されました。これによって、日本は北方からの軍事的脅威が弱められ、南進に力を注ぐことが可能となり、ソ連は対ドイツ戦にのみ集中することができる効果をもったとされます。
 有効期間は5年でしたが、ソ連は1945年(昭和20)2月のヤルタ会談の「秘密協定」で対日戦参加を決定し、同年4月5日に条約不延長を通告しました。そして、この条約終了前の同年8月8日に破棄し、対日宣戦を布告しています。
 以下に、「大日本帝国及「ソヴィエト」社会主義共和国連邦間中立条約」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「大日本帝国及「ソヴィエト」社会主義共和国連邦間中立条約」1941年(昭和16)4月13日締結、同年4月25日発効

条約第六号

大日本帝国及「ソヴィエト」社会主義共和国連邦間中立条約

大日本帝国天皇陛下及「ソヴイエト」社会主義共和国連邦最高会議幹部会ハ
両区に間ノ平和及友好ノ関係ヲ強固ナラシムルノ希望ニ促サレ中立条約ヲ締結スルコトニ決シ之ガ為左ノ如ク其ノ全権委員ヲ任命セリ

大日本帝国天皇陛下

外務大臣従三位勲一等松岡洋右
「ソヴイエト」社会主義共和国連邦駐箚特命全権大使陸軍中将従三位勲一等建川美次
「ソヴイエト」社会主義共和国連邦最高会議幹部会

「ソヴイエト」社会主義共和国連邦人民委員会議議長兼外務人民委員「ヴヤエスラウ、ミハイロウイチ、モロトフ」
右各全権委員ハ互ニ其ノ全権委任状ヲ示シ之ガ良好妥当ナルヲ認メタル後左ノ如ク協定セリ

第一条
両締約国ハ両国間ニ平和及友好ノ関係ヲ維持シ且相互ニ他方締約国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スヘキコトヲ約ス

第二条
締約国ノ一方カ一又ハ二以上ノ第三国ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ他方締約国ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルヘシ

第三条
本条約ハ両締約国ニ於テ其ノ批准ヲ了シタル日ヨリ実施セラルヘク且五年ノ期間効力ヲ有スヘシ両締約国ノ何レノ一方モ右期間満了ノ一年前ニ本条約ノ破棄ヲ通告セサルトキハ本条約ハ次ノ五年間自動的ニ延長セラレタルモノト認メラルヘシ

第四条
本条約ハ成ルヘク速ニ批准セラルヘシ批准書ノ交換ハ東京ニ於テ成ルヘク速ニ行ハルヘシ

右証拠トシテ各全権委員ハ日本語及露西亜語ヲ以テセル本条約二通ニ署名調印セリ

昭和十六年四月十三日即チ千九百四十一年四月十三日「モスコー」ニ於テ之ヲ作成ス

                       松岡洋右(印)

                       建川美次(印)

                   ヴェー、モロトフ(印)

         「ウィキソース」より

   ※旧字を新字に直してあります。

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