
「株仲間再興令」(かぶなかまさいこうれい)は、それまでの「株仲間解散令」を改め、株仲間・問屋・組合の再興を許可した幕府法令でした。老中水野忠邦を中心とする天保の改革によって、天保12年12月13日(1842年1月24日)に、「株仲間解散令」が出され、株仲間・問屋・組合の解散が命じられます。
株仲間による流通の独占が物価高騰の原因であるという認識から、冥加金の上納を停止させ、江戸十組問屋仲間を解散させたものでしたが、流通上の混乱を招き、また江戸・大坂以外へ商品が流れることになり、かえって物価が高騰し、意図した効果をあげることができなくなりました。そこで、多くの役人が株仲間の再結成を幕府に進言することとなり、「株仲間解散令」を撤回したこの法令が、嘉永4年(1851年)3月9日に江戸、3月21日に大坂、3月中の京都をはじめ、駿府、伏見、奈良などの直轄都市を中心に布達されます。
しかし、株札の発行や冥加金の徴収を行わないなど、必ずしも天保の改革以前の状態に戻したものではありませんでした。その後、全体として仲間数や加入者数が急増することとなり、大坂では、11857年(安政4)に町人からの出願により冥加金の上納と株札の発行が復活、江戸でもやがて冥加金の再上納が行われるようになります。
以下に、「株仲間再興令」を掲載しておきますので、ご参照下さい。
株仲間による流通の独占が物価高騰の原因であるという認識から、冥加金の上納を停止させ、江戸十組問屋仲間を解散させたものでしたが、流通上の混乱を招き、また江戸・大坂以外へ商品が流れることになり、かえって物価が高騰し、意図した効果をあげることができなくなりました。そこで、多くの役人が株仲間の再結成を幕府に進言することとなり、「株仲間解散令」を撤回したこの法令が、嘉永4年(1851年)3月9日に江戸、3月21日に大坂、3月中の京都をはじめ、駿府、伏見、奈良などの直轄都市を中心に布達されます。
しかし、株札の発行や冥加金の徴収を行わないなど、必ずしも天保の改革以前の状態に戻したものではありませんでした。その後、全体として仲間数や加入者数が急増することとなり、大坂では、11857年(安政4)に町人からの出願により冥加金の上納と株札の発行が復活、江戸でもやがて冥加金の再上納が行われるようになります。
以下に、「株仲間再興令」を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「株仲間再興令」 1851年(嘉永4年3月)布達
去ル丑年中諸問屋組合停止被仰出候処、其巳来問屋組合商法取締相崩、諸品下直二も不相成、却て不融通の趣も相聞候二付、此度問屋組合の儀、都て文化巳前の通再興被申付候、左侯迎元十組の者共冥加金上納等の御沙汰ハ弥以無之候間、文化以来の商法二不流、諸商人共物価引下ケ方の義厚心掛、実意二渡世相営候様得と申諭、取締方等精々可申渡候
三 月
右の通町奉行え申渡候間,向々え可被相触候,
右の趣於江戸表二同所町奉行え被仰渡候段,此旨三郷町中可触知者也
亥三月 加 賀
日 向
〇「株仲間解散令」(かぶなかまかいさんれい)とは?
江戸時代後期の天保12年12月13日(1842年1月24日)に、江戸幕府が天保の改革の一つとして、株仲間・問屋・組合の解散を命じた幕府法令です。天保の改革の中心人物であった老中水野忠邦は、株仲間による流通の独占が物価高騰の原因であるという認識から、冥加金の上納を停止させ、江戸十組問屋仲間を解散させたものでした。
翌年3月2日には、全国の商人・職人に対して、あらゆる業種の株仲間の解散を命じるものに拡大し、素人直売買など自由な取引が奨励されます。その結果、流通上の混乱を招き、また江戸・大坂以外へ商品が流れることになり、かえって物価が高騰し、意図した効果をあげることができずに失敗しました。
そこで、1851年(嘉永4)3月9日には、「株仲間再興令」が出されることとなります。
以下に、「株仲間解散令」(抄)を掲載しておきますので、ご参照下さい。
翌年3月2日には、全国の商人・職人に対して、あらゆる業種の株仲間の解散を命じるものに拡大し、素人直売買など自由な取引が奨励されます。その結果、流通上の混乱を招き、また江戸・大坂以外へ商品が流れることになり、かえって物価が高騰し、意図した効果をあげることができずに失敗しました。
そこで、1851年(嘉永4)3月9日には、「株仲間再興令」が出されることとなります。
以下に、「株仲間解散令」(抄)を掲載しておきますので、ご参照下さい。
☆「株仲間解散令」 (抄文) 天保12年12月13日(1842年1月24日)発布
仲間株札[1]は勿論、此外共都而問屋仲間[2]並組合[3]抔と唱候儀相成らず旨、十組問屋[4]共江申渡書。
菱垣迴船[5]積問屋[6]、十組問屋[4]共
其方共儀、是迄年々金壱万弐百両冥加上納[7]致来たり候処、問屋共不正の趣[8]に相聞に付、以来上納に及ばず候。尤向後[9]仲間株札[1]は勿論、此外共都而問屋仲間[2]並組合[3]抔と唱候儀は相成らず候。
一、右に付而は、是迄右船に積来候諸品は勿論、都而何国より出候何品に而も素人直売買[10]勝手次第[11]たるべく候。且又諸家国産類[12]其外惣而は江戸表江相迴し候品々も、問屋に限らず銘々出入りの者共引受け売捌候儀も、是又勝手次第[11]に候間其の旨存じすべし。
(中略)
天保十二年丑十二月十三日
『徳川禁令考』より
【注釈】
[1]仲間株札:なかまかぶふだ=株仲間構成員の鑑札。
[2]問屋仲間:とんやなかま=問屋の同業組合で、営業の独占権を持っていた。
[3]組合:くみあい=営業の独占権を持つ同業組合。
[4]十組問屋:とくみとんや=江戸の荷受問屋の株仲間で、1694年(元禄7)に大坂から江戸へ下る荷物を扱う問屋仲間として発足する。
[5]菱垣迴船:ひがきかいせん=江戸~大阪間の定期的廻船。
[6]積問屋:つみとんや=発送元と発送する商品が固定化されている事業問屋。
[7]冥加上納:みょうがじょうのう=株仲間が特権的に営業を独占する代わりに幕府に収めさせた税金、
[8]不正の趣:ふせいのおもむき=当時、不当に値をつり上げて儲けていたことを指す。
[9]向後:きょうご=今後、事後。
[10]素人直売買:しろうとじきばいばい=仲間に入っていない一般商人・在郷商人の直接取引のこと。
[11]勝手次第:かってしだい=自分の思いどおりにすること。勝手きままに振る舞ってよいこと。自由に行ってよいこと。
[12]諸家国産類:しょかこくさんるい=諸藩の国産品。
<現代語訳>
株仲間構成員の鑑札はもちろん、この他すべての問屋仲間や問屋組合などと称えることを禁止する旨、十組問屋たちへ申し渡す書。
菱垣迴船積問屋、十組問屋たち
その方たちは、これまで毎年金1万200両の冥加金を上納してきたが、問屋たちに不正行為があるとの風評が立っているので、今後は上納しなくてもよい。よって今後は株仲間構成員の鑑札はもちろん、この他すべての問屋仲間や問屋組合などと称えてはならない。
一、右のことについては、これまで右の船(菱垣廻船)に積載してきた諸商品はもちろん、すべてどの国より持ってきた、どのような商品においても、一般商人・在郷商人の直接取引を自由に行ってもよい。また、諸藩の国産品その他すべて江戸へ運送してきた品々も、問屋だけでなく、それぞれ出入りの商人が引き受けて、売りさばいても、これまた自由に行ってよいこととするから、そのことを申し渡せ。
(中略)