今日は、大正時代の1917年(大正6)に、農芸化学者・富山県立技術短大学長田村三郎が生まれた日です。
田村三郎(たむら さぶろう)は、群馬県において、四万温泉田村旅館を経営していた両親の9人兄弟姉妹の三男として生まれました。1929年(昭和4)に武蔵高等学校尋常科に入学、1936年(昭和11)に卒業後、東京帝国大学農学部農芸化学科に入学し、生物有機化学を専攻します。
1939年(昭和14)に卒業後、鈴木梅太郎院長の大陸科学院に入所したものの、8ヶ月で兵役に就き、1944年(昭和19)には、榛名山麓にある陸軍士官学校の教官を務めました。太平洋戦争後の1945年(昭和20)に復員し、東京帝国大学農学部副手に採用され、1949年(昭和24)には、農学部農産製造学講座の助教授に昇任します。
1954年(昭和29)に、「油脂の酸化防止に関する研究」で、東京大学より農学博士を得て、1962年(昭和37)には、東京大学教授に昇任しました。1965年(昭和40)に植物化学調節研究会(現在の植物化学調節学会)を設立、1968年(昭和43)に日本農学賞・読売農学賞を受賞、1970年(昭和45)には、理化学研究所農薬合成第三研究室の主任を兼任します。
1976年(昭和51)に生理活性物質に関する化学的研究で、日本学士院賞を受賞、1977年(昭和52)には、東京大学教授を辞め、名誉教授となりました。1978年(昭和53)に富山県立技術短大学長(~1990年)となり、1981年(昭和56)には、東京農業大学教授(~1987年)ともなります。
1982年(昭和57)に中国科学院との交流を始め、1983年(昭和58)に日本農芸化学会長(~1985年)となり、1985年(昭和60)に国際植物成長物質学会賞を受賞、1989年(平成元)には、日本学士院会員となりました。1990年(平成2)に勲二等瑞宝章を受章、文部科学省の創成的基礎研究で「地球環境変動研究(略称)」を展開(~1995年)し、1992年(平成4)には、文化功労者となります。
1995年(平成7)に中国政府から友誼奨を得、1999年(平成11)には、文化勲章を受章しましたが、2015年(平成27)12月4日に、98歳で亡くなり、従三位を追贈されました。
1939年(昭和14)に卒業後、鈴木梅太郎院長の大陸科学院に入所したものの、8ヶ月で兵役に就き、1944年(昭和19)には、榛名山麓にある陸軍士官学校の教官を務めました。太平洋戦争後の1945年(昭和20)に復員し、東京帝国大学農学部副手に採用され、1949年(昭和24)には、農学部農産製造学講座の助教授に昇任します。
1954年(昭和29)に、「油脂の酸化防止に関する研究」で、東京大学より農学博士を得て、1962年(昭和37)には、東京大学教授に昇任しました。1965年(昭和40)に植物化学調節研究会(現在の植物化学調節学会)を設立、1968年(昭和43)に日本農学賞・読売農学賞を受賞、1970年(昭和45)には、理化学研究所農薬合成第三研究室の主任を兼任します。
1976年(昭和51)に生理活性物質に関する化学的研究で、日本学士院賞を受賞、1977年(昭和52)には、東京大学教授を辞め、名誉教授となりました。1978年(昭和53)に富山県立技術短大学長(~1990年)となり、1981年(昭和56)には、東京農業大学教授(~1987年)ともなります。
1982年(昭和57)に中国科学院との交流を始め、1983年(昭和58)に日本農芸化学会長(~1985年)となり、1985年(昭和60)に国際植物成長物質学会賞を受賞、1989年(平成元)には、日本学士院会員となりました。1990年(平成2)に勲二等瑞宝章を受章、文部科学省の創成的基礎研究で「地球環境変動研究(略称)」を展開(~1995年)し、1992年(平成4)には、文化功労者となります。
1995年(平成7)に中国政府から友誼奨を得、1999年(平成11)には、文化勲章を受章しましたが、2015年(平成27)12月4日に、98歳で亡くなり、従三位を追贈されました。
〇田村三郎の主要な著作
・『現象の追跡─生理活性物質化学を拓く』(学会出版センター)
・『地球環境再生への試み─劣悪環境の現地に立って』(研成社)
☆田村三郎関係略年表
・1917年(大正6)1月8日 群馬県において、四万温泉田村旅館を経営していた両親の9人兄弟姉妹の三男として生まれる
・1929年(昭和4) 武蔵高等学校尋常科に入学する
・1936年(昭和11) 武蔵高等学校を卒業し、東京帝国大学農学部農芸化学科に入学する
・1939年(昭和14) 東京帝国大学農学部を卒業、鈴木梅太郎院長の大陸科学院に入所するも兵役に就く
・1944年(昭和19) 榛名山麓にある陸軍士官学校の教官を務める
・1945年(昭和20) 復員し、東京帝国大学農学部副手に採用される
・1949年(昭和24) 東京大学農学部農産製造学講座の助教授に昇任する
・1954年(昭和29) 「油脂の酸化防止に関する研究」で、東京大学より農学博士を得る
・1956年(昭和31) 東京大学運動会ア式蹴球部の監督を務める
・1962年(昭和37) 東京大学教授に昇任する
・1965年(昭和40) 植物化学調節研究会(現在の植物化学調節学会)を設立する
・1968年(昭和43) 日本農学賞・読売農学賞を受賞する
・1970年(昭和45) 理化学研究所農薬合成第三研究室の主任を兼任する
・1976年(昭和51) 生理活性物質に関する化学的研究で、日本学士院賞を受賞する
・1977年(昭和52) 東京大学教授を辞め、名誉教授となる
・1978年(昭和53) 富山県立技術短大学長となる(~1990年)
・1981年(昭和56) 東京農業大学教授となる(~1987年)
・1982年(昭和57) 中国科学院との交流を始める
・1983年(昭和58) 日本農芸化学会長となる(~1985年)
・1985年(昭和60) 国際植物成長物質学会賞を受賞する
・1989年(平成元) 日本学士院会員となる
・1990年(平成2) 勲二等瑞宝章を受章、文部科学省の創成的基礎研究で「地球環境変動研究(略称)」を展開する(~1995年)
・1992年(平成4) 文化功労者となる
・1995年(平成7) 中国政府から友誼奨を得る
・1999年(平成11) 文化勲章を受章する