
山陽鉄道(さんようてつどう)は、三井財閥、藤田伝三郎などの出資により設立(本社は神戸の西柳原町)され、近畿・中国・四国に路線を有した、明治時代の大私鉄会社でした。1888年(明治21)11月1日に、最初に兵庫駅~明石駅間で開業し、西へ向かって徐々に路線を延伸させ、1901年(明治34)5月27日には、神戸駅~馬関駅(現在の下関駅)間が全通(現在の山陽本線)します。
一方で、1903年(明治36)に播但鉄道(姫路駅~新井駅間)、1904年(明治37)に讃岐鉄道(高松駅~琴平駅間)から事業譲渡を受け、近畿・四国地方にも路線を延ばしました。その中で、サービス改善に心がけ、1894年(明治27)に急行列車の設定、1898年(明治31)に食堂車、1900年(明治33)に寝台車を初めて運行するなどしています。
また、1898年(明治31)から徳山~門司間に傍系の山陽汽船による連絡船を運航し、1901年(明治34)の全通時に関門連絡船を設け、1903年(明治36)には岡山~高松間および尾道~多度津間に連絡船を走らせ、宮島渡航を買収、1905年(明治38)に関釜連絡船(下関~朝鮮半島の釜山間)を就航させるなど船舶事業も展開しました。さらに、1902年(明治35年)には、日本最初の鉄道経営ホテルとなる「山陽ホテル」の営業を開始しています。
しかし、1906年(明治39)12月1日に、「鉄道国有法」により、他の16社の私設鉄道と共に国有化されましたが、国有化時の資本金は3,610万円、路線延長は693.0kmありました。
一方で、1903年(明治36)に播但鉄道(姫路駅~新井駅間)、1904年(明治37)に讃岐鉄道(高松駅~琴平駅間)から事業譲渡を受け、近畿・四国地方にも路線を延ばしました。その中で、サービス改善に心がけ、1894年(明治27)に急行列車の設定、1898年(明治31)に食堂車、1900年(明治33)に寝台車を初めて運行するなどしています。
また、1898年(明治31)から徳山~門司間に傍系の山陽汽船による連絡船を運航し、1901年(明治34)の全通時に関門連絡船を設け、1903年(明治36)には岡山~高松間および尾道~多度津間に連絡船を走らせ、宮島渡航を買収、1905年(明治38)に関釜連絡船(下関~朝鮮半島の釜山間)を就航させるなど船舶事業も展開しました。さらに、1902年(明治35年)には、日本最初の鉄道経営ホテルとなる「山陽ホテル」の営業を開始しています。
しかし、1906年(明治39)12月1日に、「鉄道国有法」により、他の16社の私設鉄道と共に国有化されましたが、国有化時の資本金は3,610万円、路線延長は693.0kmありました。
〇山陽鉄道関係略年表
・1888年(明治21)1月4日 山陽鉄道株式会社が設立され、本社は神戸の西柳原町に置かれる
・1888年(明治21)4月 株主総会で中上川彦次郎が社長に選出される
・1888年(明治21)11月1日 兵庫駅~明石駅間が初めて開業する
・1888年(明治21)12月23日 明石駅~姫路駅間が延伸開業する
・1889年(明治22)9月1日 神戸駅~兵庫駅間が延伸開業する
・1889年(明治22)11月11日 姫路駅~竜野仮停車場駅間が延伸開業する
・1890年(明治23)7月8日 貨物支線(和田岬線)兵庫駅~和田崎町駅間が開業する
・1890年(明治23)7月10日 竜野仮停車場~有年駅間が延伸開業する
・1890年(明治23)12月1日 有年駅~三石仮停車場駅間が延伸開業する
・1891年(明治24)3月18日 三石仮停車場~岡山駅間が延伸開業する
・1891年(明治24)4月25日 岡山駅~倉敷駅間が延伸開業する
・1891年(明治24)7月14日 倉敷駅~笠岡駅間が延伸開業する
・1891年(明治24)9月11日 笠岡駅~福山駅間が延伸開業する
・1891年(明治24)11月3日 福山駅~尾道駅間が延伸開業する
・1892年(明治25)7月20日 尾道駅~三原駅(初代)駅間が延伸開業する
・1894年(明治27)6月10日 糸崎駅~広島駅間が延伸開業する
・1894年(明治27)10月 長距離急行列車を運転を開始する
・1897年(明治30)9月25日 広島駅~徳山駅間が延伸開業する
・1898年(明治31) 車内灯の電化・ボーイの添乗、食堂車を連結する
・1900年(明治33)4月 日本で初の寝台車を導入する
・1900年(明治33)12月3日 三田尻駅~厚狭駅間 が延伸開業する
・1901年(明治34)5月27日 厚狭駅~馬関駅間が延伸開業し、神戸駅~馬関駅間の路線が全通、関門連絡船の運航が開始される
・1901年(明治34) 日本初の優等列車「最急行」(特急列車の元とされる)を走らせる
・1902年(明治35)11月1日 日本初の鉄道経営ホテルである山陽ホテルの営業を開始する
・1903年(明治36)6月 経営悪化した播但鉄道から事業譲渡を受ける
・1903年(明治36) 二等寝台車を投入する
・1904年(明治37)12月1日 讃岐鉄道から事業譲渡を受ける
・1906年(明治39)12月1日 「鉄道国有法」により、山陽鉄道が国有化される
・1909年(明治42) 国鉄山陽本線、播但線、大嶺線(後の美祢線の一部)、讃岐線(後の予讃線と土讃線のそれぞれ一部)となる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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