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 今日は、昭和時代中期の1950年(昭和25)に、「年齢のとなえ方に関する法律」が施行され、年齢の表示を満年齢に一本化された日です。
 「年齢のとなえ方に関する法律」(ねんれいのとなえかたにかんするほうりつ)は、年齢計算に関して、慣例として使われ続けられていた数え年をやめ、満年齢の使用を努力義務とした法律でした。1902年(明治35)12月2日公布、同年12月22日施行された「年齢計算ニ関スル法律」(明治35年法律第50号)によって、それまでの「年齢計算方ヲ定ム」(明治6年太政官布告第36号)を廃止し、年齢の表示をそれまでの数え年から満年齢に変えることを規定していましが、一方で、旧暦における年齢計算は従前の通りに数え年を使うこととし、依然として数え年も使われ続けられていたのです。
 それをこの法律で、満年齢の使用を努力義務としたもので、その理由としては、当時は、①「若返る」ことで日本人の気持ちを明るくさせる効果、②正確な出生届の促進、③国際性向上、④配給における不合理の解消の4つが挙げられていました。しかし、現実的な理由は、配給量のカロリー計算は満年齢を基準としていたものの、実際の配給は便宜上「数え年」で行われていた矛盾を解決するものだったとも言われています。
 もとより、民法上の成年、選挙権・被選挙権その他法律上年齢が問題となる場合はすべて満年齢とされてきました。
 以下に、「年齢のとなえ方に関する法律」(昭和24年法律第96号)、「民法」第143条、「年齢計算ニ関スル法律」(明治35年法律第50号)、「年齢計算方ヲ定ム」(明治6年太政官布告第36号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇『年齢のとなえ方に関する法律』(昭和24年法律第96号)1949年(昭和24)5月24日公布、1950年(昭和25)1月1日施行

1 この法律施行の日以後、国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治三十五年法律第五十号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によつてこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。
2 この法律施行の日以後、国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては、当該機関は、前項に規定する年数又は月数によつてこれを言い表わさなければならない。但し、特にやむを得ない事由により数え年によつて年齢を言い表わす場合においては、特にその旨を明示しなければならない。

     附 則 
1 この法律は、昭和二十五年一月一日から施行する。
2 政府は、国民一般がこの法律の趣旨を理解し、且つ、これを励行するよう特に積極的な指導を行わなければならない。
前項の事務は、附則第一項に規定する期日よりも前から行うことができる。

〔大臣署名省略〕

〇「民法」第143条

(暦による期間の計算)
第一四三条 週、月又は年によって期間を定めたときは、その期間は、暦に従って計算する。
2 週、月又は年の初めから期間を起算しないときは、その期間は、最後の週、月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。ただし、月又は年によって期間を定めた場合において、最後の月に応当する日がないときは、その月の末日に満了する。

〇『年齢計算ニ関スル法律』(明治35年法律第50号)1902年(明治35)12月2日公布、同年12月22日施行
  
1 年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス

2 民法第143条ノ規定ハ年齢ノ計算ニ之ヲ準用ス

3 明治6年第36号布告(年齢計算方ヲ定ム)ハ之ヲ廃止ス

〇『年齡計算方ヲ定ム』1873年(明治6)2月5日公布(太政官布告第36号)1902年(明治35)12月2日廃止

自今年齡ヲ計算候儀幾年幾月ト可相數事
但舊曆中ノ儀ハ一干支ヲ以テ一年トシ其生年ノ月數ト通算シ十二ヶ月ヲ以テ一年ト可致事

<現代語訳>
今後、年齢計算に関しては、何年何月と数えること。ただし、旧暦における年齢計算に関しては、1干支をもって1年とし、その生年の月数と通算し、12ヶ月をもって1年と数えること。

   「ウィキソース」より

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