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 今日は、昭和時代後期の1972年(昭和47)に、元東京帝国大学総長・建築家で、日本の建築構造学の父と言われた内田祥三の亡くなった日です。
 内田祥三(うちだ よしかず)は、明治時代前期の1885年(明治18)2月23日に、東京・深川において生まれましたが、4歳の時に父を亡くしました。旧制開成中学を経て、1901年(明治34)に、旧制第一高等学校に入学、1904年(明治37)には、東京帝国大学工科大学建築学科へ進みます。
 在学中に三菱ビジネス街で建築実習し、1907年(明治40)に卒業後、三菱合資地所部(現三菱地所)に入社して13号館などオフィスビル等の建設に従事しました。1910年(明治43)に東京帝国大学に戻って大学院に進み、佐野利器の下でコンクリート・鉄骨等の建築構造を研究します。
 1911年(明治44)に東京帝国大学講師(嘱託)、陸軍経理学校講師となりました。1916年(大正5)に東京帝国大学助教授となり、1918年(大正7)には、論文「建築構造特に壁体および床に関する研究」で工学博士号を授与されます。
 1921年(大正10)に東京帝国大学工学部教授に昇進し、1923年(大正12)には、東京帝国大学営繕課長を兼務、関東大震災後のキャンパス復興を指導しました。1924年(大正13)に財団法人同潤会理事(中之郷アパートメントを設計)となり、1925年(大正14)に東京帝国大学安田講堂(岸田日出刀と共同)、1930年(昭和5)に上海自然科学研究所、1933年(昭和8)には、旧制第一高等学校本館を設計します。
 1935年(昭和10)に日本建築学会会長、1942年(昭和17)に東京帝国大学工学部長、1943年(昭和18)には、東京帝国大学第14代総長ともなりました。太平洋戦争後の1945年(昭和20)に総長を辞め、1951年(昭和26)には、東京帝国大学名誉教授、文化財保護委員会委員長となります。
 1956年(昭和31)に藍綬褒章受章、1957年(昭和32)に日本学士院会員、1972年(昭和47)には文化勲章受章と数々の栄誉に輝きました。日本の鉄筋コンクリート・鉄骨構造学の基礎を築き、「日本の建築構造学の父」とも言われましたが、1972年(昭和47)12月14日に、東京において、87歳で亡くなっています。

<主要な著作>

・『都市計画の施設に就て~都市と公園』(1924年)
・『鉄筋コンクリートの理論と実際』(1925年)
・『建築構造汎論』(1949年)
・『木造都市と防火都市』(1951年)

〇内田祥三の代表的な建築作品

・所沢飛行船格納庫 (1912年) 
・旧東京海上ビル (1913年) 
・中之郷アパート(1924年)
・東京帝国大学安田講堂(1925年)岸田日出刀と共同設計
・上海自然科学研究所 (1930年) 
・旧制第一高等学校本館 (1933年) 

☆内田祥三関係略年表

・1885年(明治18)2月23日 東京・深川において生まれる
・1889年(明治22) 4歳の時に父を亡くす
・1901年(明治34) 旧制開成中学を卒業し、旧制第一高等学校に入学する
・1904年(明治37) 東京帝国大学工科大学建築学科入学。在学中に三菱ビジネス街で建築実習。
・1907年(明治40) 東京帝国大学工科大学建築学科卒業、三菱合資地所部(現三菱地所)に入社し、13号館などオフィスビル等の建設に従事する
・1910年(明治43) 東京帝国大学大学院に進み、佐野利器の下でコンクリート・鉄骨等の建築構造を研究する
・1911年(明治44) 東京帝国大学講師(嘱託)、陸軍経理学校講師となる
・1912年(明治45) 所沢飛行船格納庫を設計する
・1916年(大正5) 東京帝国大学助教授となる
・1918年(大正7) 論文「建築構造特に壁体および床に関する研究」で工学博士号を授与される
・1921年(大正10) 東京帝国大学工学部教授となる
・1923年(大正12) 東京帝国大学営繕課長を兼務、関東大震災後のキャンパス復興を指導する
・1924年(大正13) 財団法人同潤会理事(中之郷アパートメントを設計)となる
・1925年(大正14) 東京帝国大学安田講堂を岸田日出刀と共同設計する
・1930年(昭和5) 上海自然科学研究所を設計する
・1933年(昭和8) 旧制第一高等学校本館を設計する
・1935年(昭和10) 日本建築学会会長となる
・1942年(昭和17) 東京帝国大学工学部長となる
・1943年(昭和18) 東京帝国大学第14代総長となる
・1945年(昭和20)12月 東京帝国大学第14代総長を辞める
・1951年(昭和26) 東京帝国大学名誉教授、文化財保護委員会委員長となる
・1956年(昭和31) 藍綬褒章を受章する
・1957年(昭和32) 日本学士院会員となる
・1972年(昭和47) 文化勲章を受章する
・1972年(昭和47)12月14日 東京において、87歳で亡くなる

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