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 今日は、江戸時代後期の天保12年に、江戸幕府が天保の改革の一つとして、「株仲間解散令」を発布した日ですが、新暦では1842年1月24日となります。
 株仲間解散令(かぶなかまかいさんれい)は、天保の改革の一つとして、株仲間・問屋・組合の解散を命じた幕府法令でした。天保の改革の中心人物であった老中水野忠邦は、株仲間による流通の独占が物価高騰の原因であるという認識から、冥加金の上納を停止させ、江戸十組問屋仲間を解散させたものです。
 翌年3月2日には、全国の商人・職人に対して、あらゆる業種の株仲間の解散を命じるものに拡大し、素人直売買など自由な取引が奨励されました。その結果、流通上の混乱を招き、また江戸・大坂以外へ商品が流れることになり、かえって物価が高騰し、意図した効果をあげることができずに失敗します。そこで、1851年(嘉永4)3月9日には、「株仲間再興令」が出されることとなりました。
 以下に、「株仲間解散令」を注釈・現代語訳付で掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「株仲間解散令」 天保12年12月13日(1842年1月24日)発布

仲間株札[1]は勿論、此外共都而問屋仲間[2]並組合[3]抔と唱候儀相成らず旨、十組問屋[4]共江申渡書。
             菱垣迴船[5]積問屋[6]、十組問屋[4]共
 其方共儀、是迄年々金壱万弐百両冥加上納[7]致来たり候処、問屋共不正の趣[8]に相聞に付、以来上納に及ばず候。尤向後[9]仲間株札[1]は勿論、此外共都而問屋仲間[2]並組合[3]抔と唱候儀は相成らず候。
一、右に付而は、是迄右船に積来候諸品は勿論、都而何国より出候何品に而も素人直売買[10]勝手次第[11]たるべく候。且又諸家国産類[12]其外惣而は江戸表江相迴し候品々も、問屋に限らず銘々出入りの者共引受け売捌候儀も、是又勝手次第[11]に候間其の旨存じすべし。
(中略)

 天保十二年丑十二月十三日

   『徳川禁令考』より

【注釈】

[1]仲間株札:なかまかぶふだ=株仲間構成員の鑑札。
[2]問屋仲間:とんやなかま=問屋の同業組合で、営業の独占権を持っていた。
[3]組合:くみあい=営業の独占権を持つ同業組合。
[4]十組問屋:とくみとんや=江戸の荷受問屋の株仲間で、1694年(元禄7)に大坂から江戸へ下る荷物を扱う問屋仲間として発足する。
[5]菱垣迴船:ひがきかいせん=江戸~大阪間の定期的廻船。
[6]積問屋:づみとんや=発送元と発送する商品が固定化されている事業問屋。
[7]冥加上納:みょうがじょうのう=株仲間が特権的に営業を独占する代わりに幕府に収めさせた税金、
[8]不正の趣:ふせいのおもむき=当時、不当に値をつり上げて儲けていたことを指す。
[9]向後:きょうご=今後、事後。
[10]素人直売買:しろうとじきばいばい=仲間に入っていない一般商人・在郷商人の直接取引のこと。
[11]勝手次第:かってしだい=自分の思いどおりにすること。勝手きままに振る舞ってよいこと。自由に行ってよいこと。
[12]諸家国産類:しょかこくさんるい=諸藩の国産品。

<現代語訳>

株仲間構成員の鑑札はもちろん、この他すべての問屋仲間や問屋組合などと称えることを禁止する旨、十組問屋たちへ申し渡す書。
             菱垣迴船積問屋、十組問屋たち
 その方たちは、これまで毎年金1万200両の冥加金を上納してきたが、問屋たちに不正行為があるとの風評が立っているので、今後は上納しなくてもよい。よって今後は株仲間構成員の鑑札はもちろん、この他すべての問屋仲間や問屋組合などと称えてはならない。
 
一、右のことについては、これまで右の船(菱垣廻船)に積載してきた諸商品はもちろん、すべてどの国より持ってきた、どのような商品においても、一般商人・在郷商人の直接取引を自由に行ってもよい。また、諸藩の国産品その他すべて江戸へ運送してきた品々も、問屋だけでなく、それぞれ出入りの商人が引き受けて、売りさばいても、これまた自由に行ってよいこととするから、そのことを申し渡せ。
(中略)

 天保12年丑12月13日(1842年1月24日)

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