
「女子教育刷新要綱」(じょしきょういくさっしんようこう)は、太平洋戦争後の1945年(昭和20)10月11日に、幣原首相・マッカーサー(連合国最高司令官)会談が行われた時、「五大改革指令」が口頭で通達されましたが、その中の婦人の解放、教育の自由主義化を具体化する為に行われた、女子教育刷新のための閣議了解でした。その内容は、①女子に対して高等教育機関を開放する、②女子中等学校の教科を男子中学校の教科と同等にする、③大学教育に於いて男女共学制を採用するというもので、学校における男女平等のさきがけとなるものです。
その後、女子専門学校設立が活発となり、1946年(昭和21)には22校、その翌年は26校が創設され、東京帝国大学にも初めて女子19人が入学しました。また、同年3月31日に公布された「教育基本法」や「学校教育法」によって、学校教育における男女間の平等は、制度としても確立されます。
以下に、「女子教育刷新要綱」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
その後、女子専門学校設立が活発となり、1946年(昭和21)には22校、その翌年は26校が創設され、東京帝国大学にも初めて女子19人が入学しました。また、同年3月31日に公布された「教育基本法」や「学校教育法」によって、学校教育における男女間の平等は、制度としても確立されます。
以下に、「女子教育刷新要綱」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「女子教育刷新要綱」 1945年(昭和20)12月4日 閣議了解
一 方針
男女間ニ於ケル教育ノ機会均等及教育内容ノ平準化並ニ男女ノ相互尊重ノ風ヲ促進スルコトヲ目途トシテ女子教育ノ刷新ヲ図ラントス
二 要領
差当リ女子ニ対スル高等教育機関ノ開放並ニ女子中等学校教科ノ男子中等学校ニ対スル平準化ヲ図リ且ツ大学教育ニ於ケル共学制ノ採用ヲ目途トシテ左ノ措置ヲナサントス
三 措置
(イ)差当リ女子ノ入学ヲ阻止スル規定ヲ改廃シ女子大学ノ創設並ニ大学ニ於ケル共学制ヲ実施ス
(1)大学々部入学資格ニ関シ文部大臣ノ指定スル女子専門学校卒業者等ニ付其ノ入学資格ヲ有スル如ク措置スルコト
(2)大学々部入学順位ニ関シ当分ノ間文部大臣ノ指定スル女子専門学校卒業者ニ付高等学校高等科卒業者ト同順位タラシムル如ク措置スルコト
(3)大学予科入学資格ニ関シ高等女学校卒業者等ニ付其ノ入学資格ヲ有スル如ク措置スルコト
(4) 現ニ存スル女子専門学校中適当ナルモノハ女子大学タラシムル如ク措置スルコト
(ロ)女子高等学校ノ創設ハ追ツテ之ヲ考慮スルモノトシ差当り現ニ存スル女子専門学校、高等女学校高等科及専攻科中適当ナルモノハ其ノ教科ヲ高等学校高等科ト同等ノモノタラシムル如ク措置スルコト
(ハ)高等女学校ノ教科ヲ中学校ト同程度ノモノトナス
(1) 基本的教科ノ構成ヲ中学校ト同等タラシムルコト
(2)基本的教科目ニ関スル授業日数、毎週教授時数ヲ中学校ト同等タラシムルコト
(3)教科書ハ中学校ト同一ノモノタラシムルヲ建前トスルコト
(ニ)女子青年学校ノ教育内容及修業年限ヲ男子青年学校ト同等タラシム
(ホ)大学高等専門学校ノ講義ヲ女子ニ対シテ開放ス
(1)女子ニ対シ各学部等ノ講義ニ付聴講生制度ヲ採用スルコト
(2) 教養向上、政治教育、科学教育等ニ関スル大学専門学校等ニ於ケル拡張講座ヲ開設シー般女子ニモ之ヲ開放スルコト