niijimaryou01
 今日は、明治時代前期の1875年(明治8)に、新島襄らが京都に同志社英学校(後の同志社大学)を創設した日です。
 同志社大学(どうししゃだいがく)は、明治時代前期の1874年(明治7)に、新島襄がアメリカン・ボード第65年会(バーモント州ラットランド)に出席し、日本でのキリスト教主義大学設立の意志を表明、5千ドルの寄付を得て帰国、翌年に京都府顧問山本覚馬の協力を得て、11月29日に京都において、私塾の同志社英学校として創立されました。1877年(明治10)に同志社女学校、1890年(明治23)にハリス理化学校、1891年(明治24)に政法学校と開校されていき、1904年(明治37)には、「専門学校令」により、政法学校・ハリス理化学校を廃止・統合した同志社専門学校と同志社神学校として認可されます。
 1912年(明治45)に両校が合併して同志社大学と改称され、1920年(大正9)には、「大学令」による同志社大学となり、予科、法学部、文学部、大学院を設置されました。太平洋戦争後の1948年(昭和23)に、新制の同志社大学(神学部・文学部・法学部・経済学部の4学部)として開学され、翌年には、商学部と工学部の2学部が増設されます。
 1950年(昭和25)に大学院修士課程と短期大学部が設置(1954年に発展的に解消)され、1953年(昭和28)には、大学院博士課程(神・文・法・経の各学研究科)に発展しました。1986年(昭和61)に京田辺キャンパスが開設され、2004年(平成16)に政策学部、2005年(平成17)に文学部を改組して、社会学部、文化情報学部、2008年(平成20)に生命医科学部、スポーツ健康科学部、工学部が理工学部に改称、2009年(平成21)に心理学部、2011年(平成23)にグローバル・コミュニケーション学部、2012年(平成24)に脳科学研究科、2013年(平成25)にグローバル地域文化学部が開設されて発展していきます。
 2022年(令和4)現在では、神学部、文学部、社会学部、法学部、経済学部、商学部、政策学部、文化情報学部、理工学部、生命医科学部、スポーツ健康科学部、心理学部、グローバル・コミュニケーション学部,グローバル地域文化学部の14学部と、神学、文学、社会学、法学、経済学、商学、理工学、総合政策科学、文化情報学、司法、ビジネス、生命医科学、スポーツ健康科学、心理学、グローバル・スタディーズ、脳科学の16研究科からなる大学院を持ち、人文科学研究所,アメリカ研究所,理工学研究所などを付設する総合大学となりました。

〇同志社大学関係略年表

・1874年(明治7)10月 新島襄がアメリカン・ボード第65年会(バーモント州ラットランド)に出席し、日本でのキリスト教主義大学設立の意志を表明、5千ドルの寄付を得る
・1875年(明治8)11月29日 新島襄らによって、私塾の同志社英学校として創立される
・1876年(明治9)10月 女子塾が開設される
・1877年(明治10)4月 同志社分校女紅場を開設される
・1877年(明治10)9月 同志社女学校と改称される
・1883年(明治16)2月 「同志社社則」4ヵ条を制定し、社員を5名(新島、山本、横井時雄、松山高吉、中村栄助)とする
・1890年(明治23)9月 ハリス理化学校が開校される
・1891年(明治24)9月 政法学校が開校される
・1893年(明治26) 徽章を制定する(正三角形を3つ寄せたマークは、国あるいは土を意味するアッシリア文字「ムツウ」を図案化したもの)
・1904年(明治37)4月 「専門学校令」により、政法学校・ハリス理化学校を廃止・統合した同志社専門学校と同志社神学校が認可される
・1912年(明治45)4月 同志社専門学校と同志社神学校を合併して同志社大学と改称される
・1920年(大正9) 「大学令」による同志社大学となり、予科、法学部、文学部、大学院を設置される
・1925年(大正14) 京都学連事件が起こる
・1937年(昭和12)2月 「同志社教育綱領」が発表される
・1948年(昭和23) 神学部・文学部・法学部・経済学部の4学部を開設して、新制の同志社大学が開学される
・1949年(昭和24) 商学部と工学部の2学部が増設される
・1950年(昭和25) 大学院修士課程と短期大学部が設置される
・1953年(昭和28)4月 大学院博士課程(神・文・法・経の各学研究科)が設置される
・1954年(昭和29) 短期大学部が発展的に解消される
・1958年(昭和33)3月 ロックフェラー財団の援助によりアメリカ研究所が開設される
・1975年(昭和50)11月29日 同志社創立100周年記念式を国立京都国際会館にて挙行される
・1986年(昭和61) 京田辺キャンパスが開設される
・2004年(平成16) 政策学部が開設する
・2005年(平成17) 文学部を改組して、社会学部、文化情報学部が増設される
・2008年(平成20) 生命医科学部、スポーツ健康科学部が新設され、工学部が理工学部に改称される
・2009年(平成21) 心理学部を設置される
・2011年(平成23) グローバル・コミュニケーション学部が設置される
・2012年(平成24) 脳科学研究科が新設される
・2013年(平成25) グローバル地域文化学部が開設される

☆新島 襄(にいじま じょう)とは?

 明治時代前期に活躍した教育者・キリスト教指導者です。江戸時代後期の1843年(天保14年1月14日)に、江戸神田の安中藩江戸屋敷で、安中藩士の父新島民治、母とみの長男として生まれましたが、幼名を七五三太(しめた)といいました。
 1856年(安政3)から蘭学を学び始め、1860年(万延元)には、軍艦操練所に入り、航海実習に従事します。欧米文明とその宗教に感銘して脱藩後、1864年(元治元)に、国禁を犯してアメリカ船で箱館から海外に密航しました。
 アメリカ合衆国に渡り、フィリップス・アカデミー英語科を経て、1870年(明治3)にアーモスト大学を卒業し、日本人としてはじめて学士号(理学士)を取得します。その後、アンドーバー神学校に入り、1872年(明治5)に訪米した岩倉遣外使節団の案内役として随行し、欧米の教育事情を視察しました。
 1874年(明治7)に神学校を卒業後、ボストンの教会で按手礼を受けて牧師となり、キリスト教に基づく精神主義教育を行なう学校を日本に設立するために帰国します。1875年(明治8)に、京都府顧問山本覚馬らの協力を得て、同志社英学校を京都に創設しました。
 1877年(明治10)には、同志社女学校も設立すると共に、国内の伝道にも力を入れます。1884年(明治17)4月から翌年12月まで欧米を巡歴し、帰国後、仙台の東華学校や京都看病婦学校を開校、同志社病院の開院にも携わりました。
 しかし、1890年(明治23)1月23日に大学設立運動の途上、神奈川県大磯において、46歳で客死します。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1890年(明治23)「大日本帝国憲法」が施行される詳細
第1回帝国議会が開会する詳細
1928年(昭和3)文芸評論家・小説家尾崎秀樹の誕生日詳細
1973年(昭和48)大洋デパート火災が起き、死者104名、負傷者124名を出す詳細
2002年(平成14)歴史学者・一連の教科書裁判の原告家永三郎の命日詳細