
大阪事件(おおさかじけん)とは、自由党左派の大井憲太郎らが、朝鮮にクーデターを起こして独立党に政権を握らせようと企て、渡海直前に発覚し、139名が大阪や長崎で逮捕された事件でした。1882年(明治15)の壬午軍乱、1884年(明治17)の甲申政変などで、朝鮮における親日派の後退を見た、自由党左派の中心人物だった大井憲太郎は、小林樟雄、磯山清兵衛、新井章吾、稲垣示、景山(福田)英子らと、事大党を倒して独立党に政権を握らせ、朝鮮独立を支援することを計画します。これは、同時に日本人の愛国心をあおり、日本国内の改革を刺激することを目的としたものでした。
しかし、磯山らの裏切りで、渡海直前に発覚し、大阪や長崎において、139名が逮捕されて頓挫します。中心人物である大井と朝鮮渡航部隊の責任者となった新井は重懲役9年、小林・磯山は外患罪で軽禁獄6年の刑に処せられ、天野政立などのその他多くの人にも刑罰があたえられました。
大井ら指導者が逮捕された大阪で裁判が行われたことから大阪事件と呼ばれるようになります。
しかし、磯山らの裏切りで、渡海直前に発覚し、大阪や長崎において、139名が逮捕されて頓挫します。中心人物である大井と朝鮮渡航部隊の責任者となった新井は重懲役9年、小林・磯山は外患罪で軽禁獄6年の刑に処せられ、天野政立などのその他多くの人にも刑罰があたえられました。
大井ら指導者が逮捕された大阪で裁判が行われたことから大阪事件と呼ばれるようになります。
〇自由民権運動とは?
明治時代前期、1874年(明治7)の板垣退助等による「民撰議院設立の建白書」の提出を契機に自由民権運動が始まります。それ以降、薩長藩閥政府による政治に対して、憲法の制定、議会の開設、地租の軽減、不平等条約改正の阻止、言論の自由や集会の自由の保障などの要求を掲げて運動が行われました。
しかし、政府の「集会条例」や「保安条例」による徹底弾圧と自由党への懐柔策によって、運動は沈滞していきます。その中で、農民等が主役となった、福島事件や秩父事件などの自由民権運動の激化事件が起きることになりました。
しかし、政府の「集会条例」や「保安条例」による徹底弾圧と自由党への懐柔策によって、運動は沈滞していきます。その中で、農民等が主役となった、福島事件や秩父事件などの自由民権運動の激化事件が起きることになりました。
☆自由民権運動関係略年表
<1874年(明治7)>
・1月12日 板垣退助らが愛国公党を結成する
・1月17日 板垣退助らが「民撰議院設立の建白書」を提出する
・2月1日 江藤新平・島義勇らが佐賀の乱を起こす
・4月 板垣退助らが立志社を設立する
<1875年(明治8)>
・5月7日 「樺太・千島交換条約」が結ばれる
・6月28日 「讒謗律」・「新聞紙条例」が制定される
<1876年(明治9)>
・2月26日 「日朝修好条規」が締結される
・10月 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱が起こる
<1877年(明治10)>
・2月15日 西南戦争が起きる
・6月9日 「立志社建白」を京都の行在所に提出する
・8月18日 立志社の片岡健吉らが逮捕される(高知の獄)
<1878年(明治11)>
・5月14日 大久保利通が暗殺される
<1879年(明治12)>
・3月27日 琉球処分が行われ、琉球藩を沖縄県とする
<1880年(明治13)>
・3月17日 国会期成同盟が発足する
・4月5日 「集会条例」を定めて、言論や集会を取りしまる
このころから、自由民権運動が高揚しはじめる
<1881年(明治14)>
・7月 「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こる
・9月 立志社が「日本憲法見込案」を出す
・10月11日 明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免される
・10月12日 「国会開設の勅諭」が出される
・10月18日 板垣退助らが自由党を結成する
このころ、憲法制定論議が活発化し、各種の私擬憲法がつくられる
<1882年(明治15)>
・3月 伊藤博文ら、憲法調査のためヨーロッパへ行く
・4月16日 大隈重信らが立憲改進党を結成する
・11月28日 福島事件(福島県)が起こる
<1883年(明治16)
・3月20日 高田事件(新潟県)が起こる
・3月20日 立志社が解散する
<1884年(明治17)>
・5月 群馬事件(群馬県)が起こる
・9月23日 加波山事件(栃木・茨城県)が起こる
・10月29日 自由党が解党する
・10月31日 秩父事件(埼玉県)が起こる
・12月 名古屋事件(愛知県)が起こる
・12月 飯田事件(長野県)が起こる
<1885年(明治18)>
・11月 大阪事件(大阪府)が起こる
<1886年(明治19)>