今日は、昭和時代後期の1975年(昭和50)に、MK鋼を発明した冶金学者三島徳七の亡くなった日です。
三島徳七(みしま とくしち)は、1893年(明治26)2月24日に、兵庫県津名郡広石村下組(現在の洲本市五色町広石下)において、農業を営む父・喜住甚平の5男(7人兄弟の末っ子)として生まれました。広石尋常高等小学校、立教中学校を経て、1913年(大正2)に、旧制第一高等学校へ入学します。
卒業後の1916年(大正5)に、東京帝国大学へ入学、1920年(大正9)に、工学部冶金学料を卒業し、同校助手を経て講師となり、同校講師の三島通良の養子となり、三島姓になりました。1921年(大正10)に東京帝国大学助教授となり、1928年(昭和3)には、学位論文「ニツケル」及「ニツケル」合金ノ焼鈍脆性」で、東京帝国大学より工学博士号を取得します。
1931年(昭和6)に強力永久磁石を発明、1934年(昭和9)には、強磁性合金を発明して特許を取得し、「MK磁石(MK鋼:MK磁石鋼)」と名付けました。この実績により、1937年(昭和12)に紺綬褒章を受章、1938年(昭和13)には、帝国発明協会恩賜賞を受賞、東京帝国大学教授となります。
1939年(昭和14)に科学審議会委員、自動車技術審議会委員、1940年(昭和15)に社団法人 発明協会理事、1941年(昭和16) 日本学術振興会小委員会委員長、1942年(昭和17)に勲三等瑞宝章を受章、科学技術審議会委員に選任されました。太平洋戦争後期は、1945年(昭和20)に「特殊鋼殊に MK磁石鋼の研究」により帝国学士院恩賜賞を受賞、1947年(昭和22)に社団法人日本鉄鋼協会会長、1948年(昭和23)に日本学術会議会員、1949年(昭和24)に日本学士院会員、社団法人日本金属学会会長に選任されます。
1950年(昭和25)に藍綬褒章、文化勲章を受章、翌年には、文化功労者ともなりました。1953年(昭和28)に東京大学を退官し、名誉教授、日本金属学会名誉会員となり、翌年には、社団法人日本鋳物協会会長に就任します。
1957年(昭和32)にアメリカ金属学会アルバート・ソーバー功労賞、1962年(昭和37)にイタリア金属学会ルイジ・ロサーナ賞を受賞、1964年(昭和39)には、フランス金属学会名誉会員となるなど国際的にも評価されました。1967年(昭和42)に日本鉄鋼協会本多記念賞、1973年(昭和48)に第二回日本産業技術大賞を受賞したりしましたが、1975年(昭和50)11月19日に、東京において、82歳でなくなり、勲一等旭日大綬章を追贈されています。
尚、1985年(昭和60)に、工業所有制度百周年記念行事委員会から日本の発明家10傑の1人に選ばれました。
卒業後の1916年(大正5)に、東京帝国大学へ入学、1920年(大正9)に、工学部冶金学料を卒業し、同校助手を経て講師となり、同校講師の三島通良の養子となり、三島姓になりました。1921年(大正10)に東京帝国大学助教授となり、1928年(昭和3)には、学位論文「ニツケル」及「ニツケル」合金ノ焼鈍脆性」で、東京帝国大学より工学博士号を取得します。
1931年(昭和6)に強力永久磁石を発明、1934年(昭和9)には、強磁性合金を発明して特許を取得し、「MK磁石(MK鋼:MK磁石鋼)」と名付けました。この実績により、1937年(昭和12)に紺綬褒章を受章、1938年(昭和13)には、帝国発明協会恩賜賞を受賞、東京帝国大学教授となります。
1939年(昭和14)に科学審議会委員、自動車技術審議会委員、1940年(昭和15)に社団法人 発明協会理事、1941年(昭和16) 日本学術振興会小委員会委員長、1942年(昭和17)に勲三等瑞宝章を受章、科学技術審議会委員に選任されました。太平洋戦争後期は、1945年(昭和20)に「特殊鋼殊に MK磁石鋼の研究」により帝国学士院恩賜賞を受賞、1947年(昭和22)に社団法人日本鉄鋼協会会長、1948年(昭和23)に日本学術会議会員、1949年(昭和24)に日本学士院会員、社団法人日本金属学会会長に選任されます。
1950年(昭和25)に藍綬褒章、文化勲章を受章、翌年には、文化功労者ともなりました。1953年(昭和28)に東京大学を退官し、名誉教授、日本金属学会名誉会員となり、翌年には、社団法人日本鋳物協会会長に就任します。
1957年(昭和32)にアメリカ金属学会アルバート・ソーバー功労賞、1962年(昭和37)にイタリア金属学会ルイジ・ロサーナ賞を受賞、1964年(昭和39)には、フランス金属学会名誉会員となるなど国際的にも評価されました。1967年(昭和42)に日本鉄鋼協会本多記念賞、1973年(昭和48)に第二回日本産業技術大賞を受賞したりしましたが、1975年(昭和50)11月19日に、東京において、82歳でなくなり、勲一等旭日大綬章を追贈されています。
尚、1985年(昭和60)に、工業所有制度百周年記念行事委員会から日本の発明家10傑の1人に選ばれました。
〇三島徳七の主要な著作
・『高速度鋼とその熱処理』(1941年)
・『不銹鋼』(1947年)
・『金属材料及其熱処理』(1949年)
・息子の良績との共著『合金学』(1954年)
・『近代鋳造』(1970年)
☆三島徳七関係略年表
・1893年(明治26)2月24日 兵庫県津名郡広石村下組(現在の洲本市五色町広石下)において、農業を営む父・喜住甚平の5男(7人兄弟の末っ子)として生まれる
・1907年(明治40) 広石尋常高等小学校を卒業する
・1911年(明治44) 立教中学校への編入試験の末、同校に入学する
・1913年(大正2) 立教中学を卒業し、第一高等学校へ入学する
・1916年(大正5) 第一高等学校卒業し、東京帝国大学へ入学する
・1920年(大正9) 東京帝国大学工学部冶金学料を卒業、同校助手を経て講師となり、同校講師の三島通良の養子となる
・1921年(大正10) 東京帝国大学助教授となる
・1928年(昭和3) 学位論文「ニツケル」及「ニツケル」合金ノ焼鈍脆性」で、東京帝国大学より工学博士号を得る
・1931年(昭和6) 強力永久磁石を発明する
・1932年(昭和7) 服部報公賞を受賞する
・1933年(昭和8) 日本鉄鋼協会香村賞を受賞する
・1934年(昭和9) 強磁性合金を発明して特許を取得し、「MK磁石(MK鋼:MK磁石鋼)」と名付ける
・1937年(昭和12) 紺綬褒章を受章する
・1938年(昭和13) 帝国発明協会恩賜賞を受賞、東京帝国大学教授となる(~1953年)
・1939年(昭和14) 科学審議会委員、自動車技術審議会委員に選任される
・1940年(昭和15) 社団法人 発明協会理事に選任される(~1966年)
・1941年(昭和16) 日本学術振興会小委員会委員長に選任される
・1942年(昭和17) 勲三等瑞宝章を受章、科学技術審議会委員に選任される(~1948年)
・1943年(昭和18) 造幣局研究顧問に選任される
・1944年(昭和19) 戦時研究員に選任される
・1945年(昭和20) 「特殊鋼殊に MK磁石鋼の研究」により帝国学士院恩賜賞を受賞する
・1947年(昭和22) 社団法人日本鉄鋼協会会長に選任される
・1948年(昭和23) 日本学術会議会員となる
・1949年(昭和24) 日本学士院会員、社団法人日本金属学会会長に選任される
・1950年(昭和25) 藍綬褒章、文化勲章を受章、千葉工業大学理事に就任する
・1951年(昭和26) 文化功労者となり、アメリカでの第一回世界冶金学会議に日本代表として出席する
・1953年(昭和28) 東京大学を退官し、名誉教授、日本金属学会名誉会員となり、フランスでの国際鋳物学会に日本代表として出席する
・1954年(昭和29) 社団法人日本鋳物協会会長、航空技術審議会委員となる
・1955年(昭和30) 日本鉄鋼協会製鉄功労賞を受賞する
・1956年(昭和31) 日本電子力研究所参与、日本原子力委員会参与に選任される(~1975年)
・1957年(昭和32) アメリカ金属学会アルバート・ソーバー功労賞を受賞する
・1958年(昭和33) 日本鉄鋼協会表彰を受賞、工業技術協議会委員、産業合理化審議会委員となる
・1959年(昭和34) 科学技術庁参与、金属材料研究連絡委員会会長となる
・1960年(昭和35) 日本熱処理技術協会会長となる
・1961年(昭和36) 新技術開発事業団開発審議会会長となり、日本金属学会賞を受賞、日本鉄鋼協会名誉会長となる
・1962年(昭和37) イタリア金属学会ルイジ・ロサーナ賞を受賞する
・1964年(昭和39) 発明奨励審議会会長、中小企業近代化審議会専門委員英国鉄鋼協会名誉会員、フランス金属学会名誉会員となる
・1966年(昭和41) 勲一等瑞宝章を受章する
・1967年(昭和42) 日本鉄鋼協会本多記念賞を受賞する
・1973年(昭和48) 第二回日本産業技術大賞を受賞する
・1974年(昭和49) 社団法人発明協会より感謝状を受ける
・1975年(昭和50)11月19日 東京において、82歳でなくなり、勲一等旭日大綬章を追贈される