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 今日は、昭和時代中期の1964年(昭和39)に、関門連絡船の最後の便が就航し、この日限りで廃止された日です。
 関門連絡船(かんもんれんらくせん)は、山口県下関市の下関駅と福岡県北九州市門司区(1963年までは門司市)の門司港駅との間(関門航路)を運航していた鉄道連絡船でした。1901年(明治34)5月27日に、山陽鉄道が山陽本線全通により下関~門司間の航路の運航を開始したのに始まり、1906年(明治39)12月1日に、「鉄道国有法」の施行により山陽鉄道が国有化されたため、当航路も国有化されます。
 1911年(明治44)に鉄道車両航送を開始、貨物便については九州側の発着地を小森江に変更しました。1919年(大正8)に前後左右対称の自力で航行する鉄道車両渡船(第一関門丸、第二関門丸)が就航、1922年(大正11)に第三関門丸、第四関門丸、1926年(大正15)には、第五関門丸が就航します。
 1941年(昭和16)度には年間880万人(1日あたり約24,000人)の利用がありましたが、1942年(昭和17)7月1日に関門トンネルが開通(貨物輸送のみ)したことにより貨物輸送が廃止され、同年11月15日には、関門トンネルの旅客輸送が開始されたことにより郵便輸送を廃止し減便しました。1958年(昭和33)に関門国道トンネルが開通し、同時期に民間の関門汽船・関門海峡汽船の利便性が向上されたこともあり、輸送人員の急減が始まります。
 終に、1964年(昭和39)10月25日に航路廃止が告示され、10月31日に最後の便が就航し、この日限りで廃止されました。

〇関門連絡船関係略年表

・1901年(明治34)5月27日 山陽鉄道が山陽本線全通により下関~門司間の航路の運航を開始する
・1906年(明治39)12月1日 「鉄道国有法」の施行により山陽鉄道が国有化されたため、当航路も国有化される
・1911年(明治44)10月1日 鉄道車両航送を開始、貨物便については九州側の発着地を小森江に変更する
・1912年(明治45) この年度には年間84万人(1日あたり約2,300人)の利用がある
・1914年(大正3) 門司丸が就航する
・1919年(大正8)8月1日 前後左右対称の自力で航行する鉄道車両渡船(第一関門丸、第二関門丸)が就航する
・1920年(大正9) 長水丸・豊山丸が就航する
・1922年(大正11) 下関・小森江桟橋に可動橋を増設して鉄道車両渡船(第三関門丸、第四関門丸)が就航する
・1926年(大正15) 鉄道車両渡船の第五関門丸が就航したため、第一・第二関門丸は予備となる
・1938年(昭和13) 鉄道車両渡船は5隻とも常時使用されるようになる
・1941年(昭和16) この年度には年間880万人(1日あたり約24,000人)の利用がある
・1942年(昭和17)7月1日 関門トンネルが開通したことにより貨物輸送を廃止する
・1942年(昭和17)11月15日 関門トンネルで旅客輸送が開始されたことにより郵便輸送を廃止し減便する
・1947年(昭和22) この年度の輸送人員は年間403万人(1日平均約11,000人)となる
・1955年(昭和30) この年度の輸送人員は年間205万人となる
・1958年(昭和33) 関門国道トンネルが開通し、同時期に民間の関門汽船・関門海峡汽船の利便性が向上されたこともあり、輸送人員の急減が始まる
・1959年(昭和34) この年度の輸送人員は年間110万人に減少する
・1964年(昭和39)10月25日 航路廃止が告示される
・1964年(昭和39)10月31日 この日限りで廃止され、最後の便が就航する
・1964年(昭和39)11月1日 航路が廃止される

☆鉄道連絡船(てつどうれんらくせん)とは?

 鉄道を敷設することができない海洋や湖沼などの水上の部分に、鉄道の一線区に相当するものとしての航路を開き、両岸の鉄道線を連絡する船舶のことです。日本では、明治時代前期の1884年(明治17)に福井県の金ヶ崎(敦賀港)~滋賀県長浜まで全通した鉄道路線と、兵庫県神戸~滋賀県大津間の鉄道路線とを琵琶湖の湖上経由(太湖汽船会社の第一・第二太湖丸による)で結んだのが最初でした。
 しかし、この航路は、1989年(明治22)に、東海道線と長浜~米原間の鉄道の開通によって、陸路で結ばれたために役割を終えます。その後、1901年(明治34)に本州と九州を結ぶ関門連絡船(下関駅~門司駅)、1908年(明治39)に本州と北海道を結ぶ青函連絡船(青森駅~函館桟橋駅・函館駅)、1910年(明治41)に本州と四国を結ぶ宇高連絡船(宇野駅~高松桟橋駅・高松駅)などが開設されましたが、いずれも海底トンネルや海峡橋の建設により鉄道路線として結ばれるなどにより、廃止されました。
 尚、本州と宮島を結ぶ宮島航路は、JR西日本宮島フェリーの航路(鉄道連絡船)として現存していますが、当初から鉄道線を挟んだ輸送を担うものではありません。 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1884年(明治17)秩父事件が起きる詳細
1903年(明治36)土佐藩士・自由民権家・政治家片岡健吉の命日詳細
1934年(昭和9)小説家・児童文学作家灰谷健次郎の誕生日詳細
1943年(昭和18)「軍需会社法」が公布される詳細
1967年(昭和42)医学者佐々木隆興の命日詳細