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 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、小説家半村良の生まれた日です。
 半村良(はんむら りょう)は、東京府東京市葛飾区において、生まれましたが、本名は清野 平太郎(きよの へいたろう)と言いました。小学1年生の時に父を失ない、太平洋戦争下の1942~45年まで、母親の実家である石川県能登地方に疎開しています。
 1952年(昭和27)に東京都立両国高等学校を卒業したものの、事務員、工員、バーテンなど30数種の職業を転々としました。広告代理店勤務中の1962年(昭和37)に、『収穫』が第2回ハヤカワSFコンテストの第3席に入選し、SF作家の道に進むこととします。
 日本SF作家クラブの事務局長も務めましたが、1960年代は数編の短編を『SFマガジン』に発表しただけで、ほぼ沈黙していました。1971年(昭和46)に伝奇小説とSF小説の要素を合わせた『石の血脈』を執筆、翌年に第3回星雲賞(日本長編部門)を受賞して出世作となります。
 1973年(昭和48)に『産霊山秘録』で第1回泉鏡花賞、1974年(昭和49)に『雨やどり』で第72回直木賞を受賞しました。また、同年に『戦国自衛隊』で注目され、1979年(昭和54)には、映画化されて話題となります。
 1984年(昭和59)に北海道苫小牧市に転居したものの、1987年(昭和62)には、東京浅草に戻りました。1988年(昭和63)に『岬一郎の抵抗』で、第9回日本SF大賞、1993年(平成5)には、『かかし長屋』で第6回柴田錬三郎賞を受賞しています。
 1994年(平成6)に雑誌連載が中断し未完だった『虚空王の秘宝』を完結させて刊行、1995年(平成7)には、単行本刊行が中断していた『妖星伝』を完結させました。1999年(平成11)に栃木県鹿沼市に移住しましたが、2001年(平成13)には、家族の住む東京・調布に戻り、翌年3月4日に、肺炎のため68歳で亡くなり、第20回日本冒険小説協会大賞特別賞を贈られています。

〇半村良の主要な著作

・『石の血脈』(1971年)第3回星雲賞(日本長編部門)受賞
・『産霊山秘録』(1973年)第1回泉鏡花賞受賞
・『戦国自衛隊』(1974年)
・『不可触領域』(1974年)
・『雨やどり』(1975年)第72回直木賞受賞
・『どぶどろ』(1977年)
・『岬一郎の抵抗』(1988年)第9回日本SF大賞受賞
・『かかし長屋』(1993年)第6回柴田錬三郎賞受賞
・『太陽の世界』(1980~1989年)
・『すべて辛抱』(2001年)

☆半村良関係略年表

・1933年(昭和8)10月27日 東京府東京市葛飾区において、生まれる
・1942年(昭和17) 母親の実家である石川県能登地方に疎開する
・1945年(昭和20) 疎開先から東京へ戻る
・1952年(昭和27) 東京都立両国高等学校を卒業する
・1962年(昭和37) 『収穫』が第2回ハヤカワSFコンテストの第3席に入選する
・1971年(昭和46) 伝奇小説とSF小説の要素を合わせた『石の血脈』が出世作となる
・1972年(昭和47) 『石の血脈』で第3回星雲賞(日本長編部門)を受賞する
・1973年(昭和48) 『産霊山秘録』で第1回泉鏡花賞を受賞する
・1974年(昭和49) 『雨やどり』で第72回直木賞を受賞する
・1979年(昭和54) 『戦国自衛隊』が映画化されて話題となる
・1984年(昭和59) 北海道苫小牧市に転居する
・1987年(昭和62) 東京浅草に戻る
・1988年(昭和63) 『岬一郎の抵抗』で、第9回日本SF大賞を受賞する
・1993年(平成5) 『かかし長屋』で第6回柴田錬三郎賞を受賞する
・1994年(平成6) 雑誌連載が中断し未完だった『虚空王の秘宝』を完結させて刊行する
・1995年(平成7) 単行本刊行が中断していた『妖星伝』を完結させる
・1999年(平成11) 栃木県鹿沼市に移住する
・2001年(平成13) 群馬県前橋市から、家族の住む東京・調布に戻る
・2002年(平成14)3月4日 東京において、肺炎のため68歳で亡くなり、第20回日本冒険小説協会大賞特別賞を贈られる

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