今日は、昭和時代後期の1968年(昭和43)に、厚生省が水俣病と新潟水俣病を公害病として認定した日です。
公害病(こうがいびょう)は、一般には、公害(大気汚染、水質汚染、土壌汚染、騒音・振動など)による健康被害として起こる疾病の総称とされますが、狭義には、公害によって健康上の被害を受けた人々を救済するため1973年(昭和48)に公布された法律「公害健康被害補償法」に指定されている疾病とされてきました。指定地域ごとに救済措置の対象疾病として指定される疾病で、慢性気管支炎、気管支喘息、喘息性気管支炎、肺気腫、水俣病、イタイイタイ病、ひ素中毒などとされていますが、水俣病、第二水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病が四大公害病と呼ばれています。
公害病の認定を受けた患者には、療養費、障害補償費などの補償給付がなされてきました。1987年(昭和62)に、大気汚染の改善に伴い、「公害健康被害補償法」の一部改正がなされ、大気汚染指定地域をすべて解除することと新たな患者を公害病とは認めないことなどが定められています。
公害病の認定を受けた患者には、療養費、障害補償費などの補償給付がなされてきました。1987年(昭和62)に、大気汚染の改善に伴い、「公害健康被害補償法」の一部改正がなされ、大気汚染指定地域をすべて解除することと新たな患者を公害病とは認めないことなどが定められています。
〇主要な公害病一覧
<四大公害病>
・水俣病
1953年(昭和28年)頃から1960年(昭和35年)にかけて熊本県水俣湾で発生した奇病。付近の工場廃液にふくまれる有機水銀(メチル水銀)による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じたもので、手足や口のしびれる症状が出て、死亡する人もいた。裁判の結果、廃液を流していた会社から賠償金の支払いと、国に対しても被害者認定の遅れを認めることになったが、最終的に認定された患者数は、2200人以上に及んだ。
・第二水俣病(新潟水俣病)
1964年(昭和39年)頃から新潟県阿賀野川流域で発生した奇病。熊本県水俣と同じく、有機水銀(メチル水銀)による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じたもので、最終的に認定された患者数は700人に及んだ。
・四日市ぜんそく
1959年(昭和34)~1972年(昭和47)頃までの高度経済成長期に三重県四日市市を中心とした地域で発生した都市公害で、主に亜硫酸ガスによる大気汚染を原因とする。 多くの人が気管支炎やぜんそく、肝障害を起こし、死者も出たが、最終的に確認された患者数は1700人に及んだ。
・イタイイタイ病
1910年代から1970年代前半に富山県神通川流域で発生した奇病で、子供を出産した女性に多く発症し、手足の骨がもろくなり、激しい痛みが伴うので、イタイイタイ病と名が付けられた。 カドミウムによる水質汚染を原因として、米などを通じて人々の骨に対し被害を及ぼしたもので、最終的に確認された患者数は190人に及んだ。
<その他の公害病>
・光化学スモッグ
工場や自動車から大気中に排出された窒素酸化物や揮発性有機化合物(VOC)が、紫外線で光化学反応を起こし、光化学オキシダントが発生する。これが、人の目や呼吸器などを刺激して、健康被害が発生する。
・土呂久砒素公害
砒素焼きをしていた宮崎県高千穂町の旧土呂久鉱山のまわりに慢性ヒ素中毒患者が発生、1971年(昭和46)に告発され、環境庁も認定し、鉱業権をもった企業への裁判もあった。
・川崎公害
神奈川県川崎市で発生した工場及び自動車の排ガスによる大気汚染の被害があった大規模公害でした。
・西淀川公害
大阪市西淀川区の工場からの硫黄酸化物などの排出や自動車排気ガスの大気汚染による健康被害で、1970年(昭和45)11月の段階で公害被害者認定患者は1055人に達し、西淀川区の住民の約100人に1人が公害病に認定される状況まで悪化した。
・六価クロム
1970年代、江戸川区と江東区の日本化学工業で、従業員に肺がんや鼻中隔穿孔などの健康被害が多数発生した。