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 今日は、明治時代の中頃の1888年(明治21)に、官営事業の一つだった三池炭鉱(福岡県)が競争入札の結果、三井財閥に払い下げが決まった日です。
 三池炭鉱(みいけたんこう)は、福岡県大牟田市に、平成時代の1997年(平成9)まであった炭鉱です。この地での石炭掘削の歴史は古く、室町時代には発見されていたと伝えられ、江戸時代には、三池藩の直轄で行われています。明治維新後の1873年(明治6)には、工部省がこれらの炭鉱の官有を決定して、開発してきました。
 しかし、1888年(明治21)に、競争入札の結果、三井財閥に払い下げが決まり、翌年から、三井財閥の所有する所となります。そして、かの団琢磨が技師として、腕を振るい、かつての大炭坑地帯を形成していきました。
 太平洋戦争後、石炭産業が斜陽化していく中で、1959年(昭和34)に三井三池争議が勃発して、大きな社会問題となります。1963年(昭和38)には、三川鉱で爆発事故が発生して 458人の犠牲者を出しました。その後、石炭需要の減少により、1997年(平成9)3月30日閉山するに至ります。
 閉山後、関連施設が国の重要文化財や史跡に指定されました。また、2007年(平成19)11月30日に経済産業省により、近代化産業遺産として三池炭鉱関連遺産が認定されています。さらに、宮原坑と万田坑は、2015年(平成27)に「明治日本の産業革命遺産:製鉄・製鋼,造船,石炭産業」として世界遺産の文化遺産に登録されました。 

〇官営工場(官営事業)とは?

 明治時代前期の資本主義成立の過程で、殖産興業を推進する明治政府が設立した、民間の模範となる産業の工場や鉱山のことです。旧幕府や諸藩所管の洋式の工場・鉱山などを官収して、それを基礎に官営工業を発足させ、率先して欧米の新産業を移植し新技術を導入しました。
 それは、軍事工業(兵器廠)、製鉄、造船、鉱山(官営鉱山)、鉄道、製糸・紡績等に及び資本主義の発達に大きな役割を果たします。しかし、多くのところで経営がうまくいかず、欠損を累積させました。
 このため、政府は1880年(明治13)「工場払下概則」を布達するとともに、翌年、農商務省の設置を図り、官営事業の整理、縮小の方針をとります。その結果、一部は農商務省に移管されたものの、1880年代中頃以降、順次民間に払い下げられました。

☆三池炭鉱関係略年表(官営事業となって以後)

・1873年(明治6) 「日本坑法」が公布され、明治政府の官営事業となって鉱山寮三池支庁かが設置される
・1875年(明治8) 工部省鉱山寮の支配下に置き三池鉱山として採炭を開始する
・1876年(明治9) イギリス人技師フレデリック・アントニー・ポッターの指導で大浦竪坑を開削、三井物産会社が設立され官営三池炭鉱の輸送・販売を一手に取り扱かう
・1877年(明治10) 大浦坑~大牟田港間に馬車鉄道が敷設される
・1878年(明治11)11月21日 大浦坑で斜坑運搬に、従来は人力であったのを汽力曳揚機を使用する
・1883年(明治16) 七浦坑が操業開始、三池集治監が開庁され、囚人労働が本格化する
・1888年(明治21) 宮浦坑が操業開始、払い下げにおける競争入札で三菱と激しく争った結果、三井組(三井財閥)が落札する
・1889年(明治22) 三井組の経営となり、最高責任者(事務長)に団琢磨が任命され、三井組、三井物産、三井銀行の3社で三池炭礦社が設立される
・1891年(明治24) 三池横須浜 - 七浦坑に蒸気機関車による運炭鉄道が開通(三池炭鉱専用鉄道)する
・1892年(明治25) 三井鉱山が創立され、団琢磨のもとで炭鉱経営の近代化、合理化が進められる
・1894年(明治27) 七浦発電所開設、三池勝立坑の第一立坑が完成する(約118m。デーヴィーポンプの効果大)
・1898年(明治31) 宮原坑が操業開始、従来は導火線であったのを電気雷管を使用する
・1902年(明治35) 万田坑が操業開始する
・1908年(明治41) 石炭積み出しのため、三池港が開港される
・1912年(明治45) 我が国初のコッパース炉操業、ガス、タール工場が運転開始する
・1913年(大正2) 三池ガス発電所が運転開始する
・1923年(大正12) 四山坑が操業開始、三池炭鉱専用鉄道の電化が完成する
・1924年(大正13) 宮浦大斜坑で出炭開始、宮原坑の馬匹運搬が全廃される(1930年末までに全鉱で廃止)
・1925年(大正14) 宮ノ浦坑で採炭に火薬を使用、穿孔に手動ホーガーを使用するようになる
・1930年(昭和5) 坑内請負制度・女子の入坑を廃止、囚人の採炭作業を廃止する
・1931年(昭和6) 宮原坑、七浦坑が閉坑、三池集治監が閉庁となる
・1940年(昭和15) 三川坑が竣工する
・1944年(昭和19) 戦前における出炭量最高を記録(403万トン)する
・1949年(昭和24) 人工島初島排気竪坑が建設される
・1958年(昭和33) 日鉄鉱業が高田町で有明炭鉱の開発を開始するも、湧水などにより開発を中断する
・1959年(昭和34) 三井三池製作所が三井鉱山から独立する
・1960年(昭和35) 石炭産業の斜陽化により、大量解雇の方針が出され、激しい労働争議(三池争議)が行われる
・1963年(昭和38)11月9日 三川鉱炭じん爆発事故で458人死亡、一酸化炭素中毒患者839人を出す
・1965年(昭和40) 第2人工島に四山鉱坑口を移転する
・1967年(昭和42)7月 一酸化炭素中毒患者家族会の主婦66人が三川鉱坑底で座り込みを行う  
・1970年(昭和45) 第3人工島三池島が完成、出炭量過去最高を記録(657万トン)する
・1972年(昭和47) 三井鉱山が日鉄鉱業から有明炭鉱を取得する
・1973年(昭和48) 三井鉱山は、石炭採掘部門を分離独立する形で、全額出資の三井石炭鉱業を設立する
・1976年(昭和51) 開発再開により着炭(石炭層に到達)していた有明炭鉱から営業出炭を開始する
・1977年(昭和52) 有明炭鉱と三池炭鉱を結ぶ連絡坑道が開通し、両炭鉱を合併。有明炭鉱は三池炭鉱有明鉱となる
・1978年(昭和53)4月30日 四ツ山鉱で炭車が暴走して人車に激突し、1人が死亡、103人が重軽傷を負う
・1984年(昭和59)1月18日 有明鉱坑内火災事故により83人死亡、一酸化炭素中毒患者16人を出す
・1997年(平成9)3月30日 三池炭鉱が閉山する
・1998年(平成10) 宮原坑跡・万田坑跡が国指定重要文化財となる  
・2000年(平成12) 宮原坑跡・万田坑跡が国指定史跡となる  
・2007年(平成19)11月30日 経済産業省により、近代化産業遺産として三池炭鉱関連遺産が認定される
・2015年(平成27)7月 宮原坑・万田坑・専用鉄道敷跡が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録される

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