
石坂公成(いしざか きみしげ)は、1925年(大正14)12月3日に、東京府において、陸軍少将の父・石坂弘毅の子として生まれました。府立二中、旧制成蹊高等学校を経て、1948年(昭和23)に東京大学医学部を卒業します。
1953年(昭和28)に、国立予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)血清部免疫血清室長となりましたが、1957年(昭和32)には、渡米して、カリフォルニア工科大学化学部研究員となりました。1962年(昭和37)に、コロラド大学助教授となり、翌年には、小児喘息研究所(デンバー)免疫部長となっています。
1966年(昭和41)に、新しいアレルギー物質(IgE)の発見を共同研究者である妻の石坂照子と発表、1970年(昭和45)には、ジョンス・ホプキンス大学医学部教授に就任しました。免疫グロブリン(IgE)の発見により、1972年(昭和47)に、照子夫人と共に米国パサノ賞を受賞、1973年(昭和48)には、武田医学賞、朝日賞、ガードナー国際賞、パウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞を受賞します。
日本では、1974年(昭和49)に、「免疫グロブリンEの発見とレアギン型アレルギーの機序に関する研究」により恩賜賞・日本学士院賞、文化功労者、文化勲章などの栄誉に輝き、京都大学医学部教授を兼任することとなりました。1981年(昭和56)にジョンス・ホプキンス大学免疫学部長となり、1983年(昭和58)に米国科学アカデミー(NAS)会員、1985年(昭和60)には、米国免疫学会会長ともなります。
1989年(平成元)に、ラホイヤアレルギー免疫研究所所長・カリフォルニア大学内科教授、1997年(平成9)に、日本学士院会員となり、1999年(平成11)には、勲一等瑞宝章を受章しました。2000年(平成12)に、「免疫グロブリンEの発見とアレルギー発症機序の解明」により、日本国際賞を受賞しましたが、2018年(平成30)7月6日に、山形県山形市において、92歳で亡くなり、従三位を追贈され、翌年には、山形県名誉県民ともなっています。
1953年(昭和28)に、国立予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)血清部免疫血清室長となりましたが、1957年(昭和32)には、渡米して、カリフォルニア工科大学化学部研究員となりました。1962年(昭和37)に、コロラド大学助教授となり、翌年には、小児喘息研究所(デンバー)免疫部長となっています。
1966年(昭和41)に、新しいアレルギー物質(IgE)の発見を共同研究者である妻の石坂照子と発表、1970年(昭和45)には、ジョンス・ホプキンス大学医学部教授に就任しました。免疫グロブリン(IgE)の発見により、1972年(昭和47)に、照子夫人と共に米国パサノ賞を受賞、1973年(昭和48)には、武田医学賞、朝日賞、ガードナー国際賞、パウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞を受賞します。
日本では、1974年(昭和49)に、「免疫グロブリンEの発見とレアギン型アレルギーの機序に関する研究」により恩賜賞・日本学士院賞、文化功労者、文化勲章などの栄誉に輝き、京都大学医学部教授を兼任することとなりました。1981年(昭和56)にジョンス・ホプキンス大学免疫学部長となり、1983年(昭和58)に米国科学アカデミー(NAS)会員、1985年(昭和60)には、米国免疫学会会長ともなります。
1989年(平成元)に、ラホイヤアレルギー免疫研究所所長・カリフォルニア大学内科教授、1997年(平成9)に、日本学士院会員となり、1999年(平成11)には、勲一等瑞宝章を受章しました。2000年(平成12)に、「免疫グロブリンEの発見とアレルギー発症機序の解明」により、日本国際賞を受賞しましたが、2018年(平成30)7月6日に、山形県山形市において、92歳で亡くなり、従三位を追贈され、翌年には、山形県名誉県民ともなっています。
〇石坂公成関係略年表
・1925年(大正14)12月3日 東京都において、陸軍少将の父・石坂弘毅の子として生まれる
・1948年(昭和23) 東京大学医学部を卒業する
・1953年(昭和28) 国立予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)血清部免疫血清室長となる
・1957年(昭和32) カリフォルニア工科大学化学部研究員となる
・1962年(昭和37) アメリカ合衆国のコロラド大学助教授となる
・1963年(昭和38) 小児喘息研究所(デンバー)免疫部長となる
・1966年(昭和41) 新しいアレルギー物質(IgE)の発見を共同研究者である妻の石坂照子と発表する
・1970年(昭和45) ジョンス・ホプキンス大学医学部教授となる
・1972年(昭和47) 米国パサノ賞(照子夫人と共に)を受賞する
・1973年(昭和48) 「免疫グロブリンEの発見とレアギン型アレルギーの機序に関する研究」により武田医学賞を受賞する
・1973年(昭和48) 「免疫グロブリンEの発見」により朝日賞を受賞する
・1973年(昭和48) ガードナー国際賞を受賞する
・1973年(昭和48) パウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞を受賞する
・1974年(昭和49) 「免疫グロブリンEの発見とレアギン型アレルギーの機序に関する研究」により恩賜賞・日本学士院賞を受賞する
・1974年(昭和49) 文化功労者となり、文化勲章を受章する
・1974年(昭和49) 京都大学医学部教授を兼任する
・1981年(昭和56) ジョンス・ホプキンス大学免疫学部長となる
・1983年(昭和58) 米国科学アカデミー(NAS)会員となる
・1985年(昭和60) 米国免疫学会会長となる
・1989年(平成元) ラホイヤアレルギー免疫研究所所長・カリフォルニア大学内科教授となる
・1997年(平成9) 日本学士院会員となる
・1999年(平成11) 勲一等瑞宝章を受章する
・2000年(平成12) 「免疫グロブリンEの発見とアレルギー発症機序の解明」により、日本国際賞を受賞する
・2018年(平成30)7月6日 山形県山形市において、92歳で亡くなり、従三位を追贈される