
谷口吉郎(たにぐち よしろう)は、金沢市片町の九谷焼窯元「谷口金陽堂」を営む父・谷口吉次郎、母・直江の長男として生まれました。石川県師範学校附属小学校、石川県立第二中学校、第四高等学校を経て、1925年(大正14)に、東京帝国大学工学部建築学科に入学します。
1928年(昭和3)に東京帝国大学工学部建築学科卒業後、同大学大学院へ進み、1930年(昭和5)に東京帝国大学大学院を修了し、東京工業大学講師となり、翌年には、助教授に昇任しました。1938年(昭和13)に、駐独日本大使館の日本庭園建設のため、外務省嘱託としてドイツのベルリンに出張し、翌年帰国します。
1942年(昭和17)に、「建造物に作用する風圧の研究」により日本建築学会賞学術賞を受賞、翌年には、東京工業大学より工学博士を授与され、同大学教授となりました。太平洋戦争後は、1949年(昭和24)に、藤村記念堂、慶應義塾大学4号館・学生ホールの設計により日本建築学会賞作品賞を受賞、1952年(昭和27)に、文化財専門審議会専門委員となり、1956年(昭和31)には、秩父セメント第2工場の設計により再び日本建築学会賞作品賞を受賞しています。
また、文筆家としても知られ、1940年(昭和15)に木下杢太郎らと「花の書の会」を始め、機関紙「花の書」に創刊号から随筆を発表、1944年(昭和19)より雑誌「文藝」に随筆『雪あかり日記』を書き始め、1947年(昭和22)に東京出版より刊行、1957年(昭和32)には、著書『修学院離宮』により毎日出版文化賞を受賞しました。1961年(昭和36)に、「東宮御所」設計その他の業績により日本芸術院賞を受賞、1962年(昭和37)に日本芸術院会員となり、1964年(昭和39)には、土川元夫・名鉄社長の協力を得て、博物館明治村を開館し、初代館長に就任しています。
1965年(昭和40)に東京工業大学を定年退官、名誉教授となり、1968年(昭和43)に、文化庁文化財保護審議会委員に就任、1973年(昭和48)には、文化功労者として顕彰され、文化勲章も受章しました。1977年(昭和52)に、産業考古学会が創立され、初代会長となり、翌年には、金沢市名誉市民第一号ともなりましたが、1979年(昭和54)2月2日に、東京において、74歳で亡くなっています。
1928年(昭和3)に東京帝国大学工学部建築学科卒業後、同大学大学院へ進み、1930年(昭和5)に東京帝国大学大学院を修了し、東京工業大学講師となり、翌年には、助教授に昇任しました。1938年(昭和13)に、駐独日本大使館の日本庭園建設のため、外務省嘱託としてドイツのベルリンに出張し、翌年帰国します。
1942年(昭和17)に、「建造物に作用する風圧の研究」により日本建築学会賞学術賞を受賞、翌年には、東京工業大学より工学博士を授与され、同大学教授となりました。太平洋戦争後は、1949年(昭和24)に、藤村記念堂、慶應義塾大学4号館・学生ホールの設計により日本建築学会賞作品賞を受賞、1952年(昭和27)に、文化財専門審議会専門委員となり、1956年(昭和31)には、秩父セメント第2工場の設計により再び日本建築学会賞作品賞を受賞しています。
また、文筆家としても知られ、1940年(昭和15)に木下杢太郎らと「花の書の会」を始め、機関紙「花の書」に創刊号から随筆を発表、1944年(昭和19)より雑誌「文藝」に随筆『雪あかり日記』を書き始め、1947年(昭和22)に東京出版より刊行、1957年(昭和32)には、著書『修学院離宮』により毎日出版文化賞を受賞しました。1961年(昭和36)に、「東宮御所」設計その他の業績により日本芸術院賞を受賞、1962年(昭和37)に日本芸術院会員となり、1964年(昭和39)には、土川元夫・名鉄社長の協力を得て、博物館明治村を開館し、初代館長に就任しています。
1965年(昭和40)に東京工業大学を定年退官、名誉教授となり、1968年(昭和43)に、文化庁文化財保護審議会委員に就任、1973年(昭和48)には、文化功労者として顕彰され、文化勲章も受章しました。1977年(昭和52)に、産業考古学会が創立され、初代会長となり、翌年には、金沢市名誉市民第一号ともなりましたが、1979年(昭和54)2月2日に、東京において、74歳で亡くなっています。
〇谷口吉郎の主要な作品
<建築物>
・「慶応義塾日吉寄宿舎」(1938年)
・「藤村記念館」(1948年)日本建築学会賞作品賞受賞
・「秩父セメント第二工場」(1956年)日本建築学会賞作品賞受賞
・「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」(1959年)
・「東宮御所」(1961年)日本芸術院賞受賞
・「帝国劇場」(1966年)
・「東京国立博物館東洋館」(1968年)
・「東京国立近代美術館」(1969年)
<著書>
・随筆集『雪あかり日記』(1947年)
・『修学院離宮』(1957年)毎日出版文化賞受賞
・『清らかな意匠』(1948年)
・随筆集『せせらぎ日記』(1983年)
・『建築に生きる』
☆谷口吉郎関係略年表
・1904年(明治37)6月24日 金沢市片町の九谷焼窯元「谷口金陽堂」を営む父・谷口吉次郎、母・直江の長男として生まれる
・1911年(明治44) 石川県立師範学校附属小学校に入学する
・1918年(大正7) 石川県立第二中学校に入学する
・1922年(大正11) 第四高等学校に入学する
・1925年(大正14) 第四高等学校卒業し、東京帝国大学工学部建築学科に入学する
・1928年(昭和3) 東京帝国大学工学部建築学科卒業し、同大学大学院へ進む
・1930年(昭和5) 東京帝国大学大学院を修了し、東京工業大学講師となる
・1931年(昭和6) 東京工業大学助教授となる
・1932年(昭和7) 「東工大水力実験室」を設計する
・1935年(昭和10) 洗足に自邸を建設する
・1938年(昭和13) 駐独日本大使館の日本庭園建設のため、外務省嘱託としてドイツのベルリンに出張する
・1939年(昭和14) ドイツのベルリンから帰国する
・1940年(昭和15) 木下杢太郎らと「花の書の会」を始め、機関紙「花の書」に創刊号から随筆を発表する
・1942年(昭和17) 「建造物に作用する風圧の研究」により日本建築学会賞学術賞を受賞する
・1943年(昭和18) 学位論文「建築物の風圧に関する研究」により東京工業大学より工学博士を得る、東京工業大学教授となる
・1944年(昭和19) 11月頃より雑誌「文藝」に随筆『雪あかり日記』を書き始める
・1947年(昭和22) 随筆集『雪あかり日記』を東京出版より刊行する
・1948年(昭和23) 『清らかな意匠』を自装で朝日新聞社から刊行する
・1949年(昭和24) 藤村記念堂、慶應義塾大学4号館・学生ホールの設計により日本建築学会賞作品賞を受賞する
・1952年(昭和27) 文化財専門審議会専門委員となる、石川県繊維会館が竣工する
・1956年(昭和31) 秩父セメント第2工場の設計により日本建築学会賞作品賞を受賞する
・1957年(昭和32) 著書「修学院離宮」により毎日出版文化賞を受賞する
・1959年(昭和34) 石川県美術館、千鳥ヶ淵戦没者墓苑が竣工する
・1961年(昭和36) 「東宮御所」設計その他の業績により日本芸術院賞を受賞する
・1962年(昭和37) 日本芸術院会員となる、ホテルオークラが竣工する
・1964年(昭和39) 博物館明治村初代館長に就任する
・1965年(昭和40) 東京工業大学を定年退官、名誉教授となる
・1968年(昭和43) 文化庁文化財保護審議会委員となる、東京国立博物館東洋館が竣工する
・1973年(昭和48) 文化功労者となり、文化勲章を受章する
・1974年(昭和49) 迎賓館赤坂離宮和風別館が竣工する
・1977年(昭和52) 産業考古学会が創立され、初代会長となる
・1978年(昭和53) 金沢市名誉市民第一号となる