ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2022年05月

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 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、鳩山一郎文部大臣が滝川幸辰京都帝国大学法学部教授を自由主義思想を理由に強制免官し、教授団と学生による抵抗運動(滝川事件)に発展した日です。
 滝川事件(たきがわじけん)は、文部省が京都帝国大学法学部教授滝川幸辰と京都帝国大学に対して、思想及び学問の自由、大学(教授会)の自治を弾圧した事件でした。1932年(昭和7)10月28日に、中央大学駿河台校舎で開催された刑法学講演会(中大法学会主催)で行った講演「『復活』を通して見たるトルストイの刑法観」の内容が、無政府主義的として文部省および司法省内で問題化したのが端緒となります。
 翌年3月に、裁判官・裁判所職員の中で、共産党員およびその同調者とされた人々が検挙される事件(司法官赤化事件)が起き、国会議員の一部や右翼が、この元凶として帝国大学法学部の「赤化教授」の追放を主張するようになりました。その中で、4月10日に、内務省は滝川の著書『刑法講義』および『刑法読本』に対し、その中の内乱罪や姦通罪に関する見解などを理由として、「出版法」第19条により発売禁止処分を下します。
 さらに5月には、齋藤内閣の鳩山一郎文相が小西重直京大総長に瀧川の罷免を要求したが、京都帝国大学法学部教授会および小西総長は文相の要求を拒絶しました。そこで、5月25日に、文官高等分限委員会に瀧川を休職に付する件を諮問、翌日に、この決定に基づいて、文部省は「文官分限令」により瀧川の休職処分を強行します。
 これに対して、京都帝国大学法学部は教授31名から副手に至る全教官が辞表を提出して抗議の意思を示しました。また、京都帝国大学法学部学生は教授会を支持し、全員が退学届けを提出するなど処分に抗議する運動を起こし、他学部の学生もこれに同調します。
 7月には、16大学の参加により「大学自由擁護連盟」、さらには、長谷川如是閑、徳田秋声、秋田雨雀、三木清ら文化人200名が参加する「学芸自由同盟」が結成され、ジャーナリズムも反対に立ちました。これに対し、文部省は教授会を分断するため7月10日に滝川、佐々木、宮本英雄、森口繁治、末川ら6教授、7月25日に恒藤、田村徳治の2教授を免官とします。
 処分に抗議した助教授4名ほかは辞意を貫きましたが、残った教授は文部省の説得を受け入れ辞表を撤回したものの、法学部全教官33人中21人が辞職するに至りました。その後、学生運動にも、警察・大学当局の弾圧が加えられ、運動は崩壊し、大学の自治、学問の自由は失われました。

〇瀧川 幸辰(たきがわ ゆきとき)とは?

 日本を代表する刑法学者・京都大学総長です。明治時代後期の1891年(明治24)2月24日に、岡山県岡山市で生まれました。
 神戸第一中学校、北野中学校を経て、1909年(明治42)に旧制第三高等学校に入学します。卒業後、1912年(大正元)21歳の時に、京都帝国大学法科大学独法科に入学し、ドイツ刑法を学び、1915年(大正4)に司法官試補に任官して修習を積んで、京都帝国大学を卒業しました。
 母校の助手となりましたが、1917年(大正6)に判事に任官し、京都地方裁判所・同区裁判所に勤務します。翌年、母校の助教授に就任し、刑法総論・各論などを担当しました。
 1922年(大正11)海外留学し、主としてドイツに滞在して学び、1924年(大正13)に帰国後、母校の教授に就任します。1932年(昭和7)に『刑法読本』を出し、翌年の中央大学法学部での「トルストイの『復活』に現はれた刑罰思想」と題する講演が契機となり、その刑法学説が自由主義的な内容であったため、当時の文部大臣鳩山一郎から休職処分を下されたのち退官する「滝川事件」が起きました。
 法学部教授会がこれに反対、学生も抗議しましたが、結局政府の力に押切られ、思想および学問の自由、大学の自治への弾圧事件として知られます。退官後は大学に属さず、立命館大学で講師をするなどしながら法律研究を行い、1939年(昭和14)には弁護士登録して、刑事専門の弁護士として活躍しました。
 太平洋戦争後、京都大学に復帰して法学部長となり、1948年(昭和23)には、日本刑法学会創立とともに初代理事長となります。1951年(昭和26)に法学博士となり、1953年(昭和28)には京都大学総長に就任し、1957年(昭和32)まで勤めて退官しました。
 刑法に関する著書を刊行し、多くの随筆集も出しましたが、1962年(昭和37)11月16日に、京都において、71歳で亡くなっています。

☆滝川事件の推移

<1932年(昭和7)>
・10月28日 中央大学駿河台校舎で開催された刑法学講演会(中大法学会主催)で行った講演「『復活』を通して見たるトルストイの刑法観」の内容が無政府主義的として文部省および司法省内で問題化する

<1933年(昭和8)>
・3月 共産党員およびその同調者とされた裁判官・裁判所職員が検挙される(司法官赤化事件)
・4月10日 内務省は瀧川の著書『刑法講義』および『刑法読本』に対し、その中の内乱罪や姦通罪に関する見解などを理由として出版法第19条により発売禁止処分を下す
・5月 齋藤内閣の鳩山一郎文相が小西重直京大総長に瀧川の罷免を要求したが、京大法学部教授会および小西総長は文相の要求を拒絶する
・5月25日 文官高等分限委員会に瀧川を休職に付する件を諮問する
・5月26日 文官高等分限委員会決定に基づいて、文部省は「文官分限令」により瀧川の休職処分を強行、京大法学部は教授31名から副手に至る全教官が辞表を提出して抗議の意思を示す
・7月 16大学の参加により「大学自由擁護連盟」、長谷川如是閑、徳田秋声、秋田雨雀、三木清ら文化人200名が参加する「学芸自由同盟」が結成される
・7月10日 文部省は滝川、佐々木、宮本英雄、森口繁治、末川ら6教授を免官とする
・7月25日 文部省は恒藤、田村徳治の2教授を免官とする

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

869年(貞観11)陸奥国で貞観地震が起き、大津波により甚大な被害を出す(新暦7月9日)詳細
1857年(安政4)下田奉行とハリスが「日米和親条約」を修補する「日米約定」を締結する(新暦6月17日)詳細
1942年(昭和17)日本文学報国会(会長徳富蘇峰)が設立される詳細
1969年(昭和44)東名高速道路が全線開通する(東名高速道路全線開通記念日)詳細
1977年(昭和52)小説家・劇作家藤森成吉の命日詳細
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 今日は、昭和時代中期の1951年(昭和26)に、内閣が「人名用漢字別表」(昭和26年5月25日 内閣告示・訓令)を告示し、人名用漢字92字を定めた日です。
 「人名用漢字別表」(じんめいようかんじべっぴょう)は、国語審議会内に設置された「固有名詞部会」で検討され,国語審議会会長から、文部大臣及び法務総裁に建議され、当用漢字以外で子の名に使える漢字として、内閣が告示したものでした。
 1946年(昭和21)11月16日に、「当用漢字表」が公布され、現代国語を書き表すために、日常使用する漢字1,850字が定められたのですが、子供の名の文字が「戸籍法」で「当用漢字表」の範囲内に制限されたことに対する、社会的不満が高まり、訴訟まで起きます。国語審議会は、「国語改革が国民の名に悪影響を与えている」という世論の高まりの中で、文部大臣及び法務総裁に建議し、当用漢字以外で子の名に使える漢字として92字を追加したものでした。
 その後、1976年(昭和51)7月30日に、「人名用漢字追加表」を出して、さらに28字を追加しています。
 以下に、「人名用漢字別表」と「人名用漢字追加表」に掲載されている漢字を掲載しておきましたので、ご参照下さい。

〇「当用漢字表」(とうようかんじひょう)とは?

 昭和時代中期の1946年(昭和21)11月16日の「内閣訓令第7号」、「同告示第32号」で公布された、現代国語を書き表すために、日常使用する漢字1,850字の表です。
 「当用」とは、日常生活においてさしあたって用いるものとでもいう意味で、「法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で,使用する漢字の範囲を示したもの」でした。その後、1948年(昭和23)に「当用漢字別表」が公布され、881字がいわゆる「教育漢字」とされ、続いて「当用漢字音訓表」、翌年には「当用漢字字体表」(當→当、藝→芸などの簡略字体採用)が公布されて音訓と字体が定められ、公用文、新聞その他に採用され、小・中・高の学校教育にも適用されます。
 また別に、1951年(昭和26)に「人名用漢字別表」が公布され、当用漢字以外でも人名に用いてさしつかえないものとして92字が認められました。尚、1954年(昭和29)に国語審議会が「当用漢字表補正試案 (当用漢字補正資料) 」を出し、28字の入替えを提案しましたが、この漢字制限に対し、いろいろの反対論も出されます。
 1972年(昭和47)に国語審議会は当用漢字改正音訓表を答申して翌年公布され、これをもとに1981年(昭和56)3月23日に「常用漢字表」を答申しました。そして、同年10月1日に、当用漢字にかわるものとして、当用漢字に95字を追加した「常用漢字表」が内閣告示・同訓令として公布されています。

☆「人名用漢字別表」(昭和26年5月25日 内閣告示・訓令)

丑 丞 乃 之 也 亙 亥 亦 亨 亮 仙 伊 匡 卯 只 吾 呂 哉 嘉 圭 奈 宏 寅 尚 巌 巳 庄 弘 弥 彦 悌 敦 昌 晃 晋 智 暢 朋 杉 桂 桐 楠 橘 欣 欽 毅 浩 淳 熊 爾 猪 玲 琢 瑞 甚 睦 磨 磯 祐 禄 禎 稔 穣 綾 惣 聡 肇 胤 艶 蔦 藤 蘭 虎 蝶 輔 辰 郁 酉 錦 鎌 靖 須 馨 駒 鯉 鯛 鶴 鹿 麿 斉 龍 亀

☆「人名用漢字追加表」(昭和51年7月30日内閣告示第1号)

28字追加
佑 允 冴 喬 怜 悠 旭 杏 梓 梢 梨 沙 渚 瑠 瞳 紗 紘 絢 翠 耶 芙 茜 葵 藍 那 阿 隼 鮎

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

967年(康保4)第62代天皇とされる村上天皇の命日(新暦7月5日)詳細
1336年(建武3)湊川の戦いで足利尊氏が楠木正成を破り、正成は一族と共に自害(新暦7月4日)詳細
1654年(承応3)第112代の天皇とされる霊元天皇の誕生日(新暦7月9日)詳細
1885年(明治18)詩人・歌人平野万里の誕生日詳細
1955年(昭和30)岩波書店より新村出編『広辞苑』初版が刊行される詳細
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 今日は、大正時代の1926年(大正15)に、北海道の活火山である十勝岳が大噴火(1926年噴火)し、高温の岩屑なだれが発生、死者・行方不明者144名を出した日です。
 十勝岳1926年噴火(とかちだけ1926ねんふんか)は、この日の12時11分に、1回目の爆発がおこり、泥流が畠山温泉(現在の白金温泉)を襲い、続いて16時17分過ぎ、2回目の大爆発が起こり、中央火口丘の西半分が崩壊しました。これによって、大正泥流(たいしょうでいりゅう)と呼ばれる大規模な融雪型火山泥流が発生、わずか25~26分で火口から25kmの上富良野原野に達します。
 この結果、死者・行方不明者144名、建物崩壊372棟、家畜68頭、602羽が失われ、罹災世帯400以上に及び、山林・耕地・道路・橋梁・鉄道などにも甚大な被害が出ました。被災直後から、被災地の住民会や在郷軍人分会、青年団や消防組のみならず、近隣町村の青年団や在郷軍人分会による迅速な救護・復旧活動が行われています。
 また、被災地の上富良野町と美瑛町はネバドデルルイス火山災害の教訓を受けて、自主的に防災マップを作成して全戸に配布、1988年噴火の時には、このマップによる防災対応が実施され、被害を最小限に止めることができました。

〇「活火山」とは?

 活動的で近い将来噴火を起こす可能性のある火山のことですが、日本では、おおむね過去1万年以内に噴火した記録があるか、現在活発な噴気活動のある火山とされています。
 火山噴火予知連絡会によって、(1)過去1万年間の噴火の頻度、規模、爆発性などを定量化した1万年活動度指数、(2)過去100年間の観測データに基づく100年活動度指数。の2つの尺度が決められ、これによって、活火山はA・B・Cの3段階に分類されました。(ただし、海底火山と北方領土の火山は、データ不足のため評価の対象外)2017年(平成29)7月現在、Aランク(最も活動度が高い)の火山は13、Bランク(活動度は中程度)は36、Cランク(活動度は最も低い)の火山は38、対象外の火山は23で、合計110となっています。

☆日本の活火山一覧(火山噴火予知連絡会、活動度による分類)

<北海道>
・十勝岳(北海道)ランクA
・樽前山(北海道)ランクA
・有珠山(北海道)ランクA
・北海道駒ケ岳(北海道)ランクA
・浅間山(長野県・群馬県)ランクA
・知床硫黄山(北海道)ランクB
・羅臼岳(北海道)ランクB
・摩周(北海道)ランクB
・雌阿寒岳(北海道)ランクB
・恵山(北海道)ランクB
・渡島大島(北海道)ランクB
・アトサヌプリ(北海道)ランクC
・丸山(北海道)ランクC
・大雪山(北海道)ランクC
・利尻山(北海道)ランクC
・恵庭岳(北海道)ランクC
・倶多楽(北海道)ランクC
・羊蹄山(北海道)ランクC
・ニセコ(北海道)ランクC

<東北>
・岩木山(青森県)ランクB
・十和田(青森県・秋田県)ランクB
・恐山(青森県)ランクC
・八甲田山(青森県)ランクC
・秋田焼山(秋田県)ランクB
・岩手山(岩手県)ランクB
・八幡平(岩手県・秋田県)ランクC
・秋田駒ヶ岳(秋田県)ランクB
・鳥海山(秋田県・山形県)ランクB
・栗駒山(宮城県)ランクB
・蔵王山(宮城県・山形県)ランクB
・鳴子(宮城県)ランクC
・肘折(山形県)ランクC
・吾妻山(福島県)ランクB
・安達太良山(福島県)ランクB
・磐梯山(福島県)ランクB
・沼沢(福島県)ランクC
・燧ヶ岳(福島県)ランクC

<関東>
・那須岳(栃木県)ランクB
・高原山(栃木県)ランクC
・男体山(栃木県)ランクC
・日光白根山(栃木県・群馬県)ランクC
・榛名山(群馬県)ランクB
・草津白根山(群馬県)ランクB
・赤城山(群馬県)ランクC
・伊豆大島(東京都)ランクA
・三宅島(東京都)ランクA
・伊豆鳥島(東京都)ランクA
・神津島(東京都)ランクB
・西之島(東京都)ランクB
・硫黄島(東京都)ランクB
・新島(東京都)ランクB
・利島(東京都)ランクC
・御蔵島(東京都)ランクC
・八丈島(東京都)ランクC
・青ヶ島(東京都)ランクC
・箱根山(神奈川県)ランクB

<中部>
・新潟焼山(新潟県)ランクB
・妙高山(新潟県)ランクC
・横岳(長野県)ランクC
・焼岳(長野県・岐阜県)ランクB
・御嶽山(長野県・岐阜県)ランクB
・乗鞍岳(長野県・岐阜県)ランクC
・アカンダナ山(岐阜県)ランクC
・白山(福井県・岐阜県)ランクC
・弥陀ヶ原(富山県)ランクC
・富士山(静岡県・山梨県)ランクB
・伊豆東部火山群(静岡県)ランクB

<中国>
・三瓶山(島根県)ランクC
・阿武火山群(山口県)ランクC

<九州>
・雲仙岳(長崎県)ランクA
・福江火山群(長崎県)ランクC
・阿蘇山(熊本県)ランクA
・九重山(大分県)ランクB
・鶴見岳・伽藍岳(大分県)ランクB
・由布岳(大分県)ランクC
・霧島山(鹿児島県・宮崎県)ランクB
・桜島(鹿児島県)ランクA
・薩摩硫黄島(鹿児島県)ランクA
・諏訪之瀬島(鹿児島県)ランクA
・米丸・住吉池(鹿児島県)ランクC
・池田・山川(鹿児島県)ランクC
・開聞岳(鹿児島県)ランクC
・中之島(鹿児島県)ランクB
・硫黄鳥島(鹿児島県)ランクB
・口之島(鹿児島県)ランクC
・口永良部島(鹿児島県)ランクB

A:100年活動度または1万年活動度が特に高い活火山
B:100年活動度または1万年活動度が高い活火山
C:100年活動度および1万年活動度がともに低い活火山
注:上記以外にデータ不足で対象外となっている北方領土や海底の火山があります

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1636年(寛永13)武将・仙台藩の藩祖伊達政宗の命日(新暦6月27日)詳細
1790年(寛政2)老中主座・松平定信が昌平坂学問所で、朱子学以外の学問の教授を禁止する(寛政異学の禁)詳細
1925年(大正14)日本労働組合評議会が結成される詳細
1956年(昭和31)「売春防止法」が公布(施行は1957年4月1日)される詳細
1971年(昭和46)評論家・婦人解放運動家平塚らいてう(平塚雷鳥)の命日詳細
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 今日は、江戸時代前期の1663年(寛文3)に、江戸幕府が改訂した「武家諸法度」(寛文令)21ヶ条を発布し、キリスト教の厳禁及び不孝者の処罰を追加、商船の500石制限を撤廃した日ですが、新暦では6月29日となります。
 「武家諸法度(ぶけしょはっと)」は、江戸幕府が諸大名統制のために制定した基本法で、最初のものは、1615年(慶長20年7月7日)に13ヶ条発布されました。しかし、その後状況の推移を踏まえ、第3代将軍徳川家光のとき、参勤交代の具体的方法の規定や大船建造の禁などを加えて19ヶ条(寛永令)として、一応の完成をみたものです。
 しかし、その後も時勢に応じて、寛文令(1663年)で一部変更(キリスト教の厳禁及び不孝者の処罰を追加、商船の500石制限撤廃等)され、1683年(天和3年7月25日)には、文治政治の路線を基に大きな改編がなされ、「諸士法度」と統合されました。
 以下に、「武家諸法度(寛文令)」の全文を現代語訳・注釈付で掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇武家諸法度(ぶけしょはっと)とは?

 江戸幕府が諸大名統制のために制定した基本法です。天皇、公家に対する「禁中並公家諸法度」、寺家に対する「諸宗本山本寺諸法度」(寺院法度)と並んで、幕府による支配身分統制の基本となりました。
 1615年(慶長20)に大坂城落城による豊臣氏滅亡直後に伏見城に諸大名を集め、徳川秀忠の命という形で発布したのが最初となり、改元された年号を取って元和令とも呼ばれています。元々は1611年(慶長16)に徳川家康が大名から取り付けた誓紙3ヶ条に、家康の命によって金地院崇伝(こんちいんすうでん)が起草した10ヶ条を加えたもので、漢文体(宝永令から和文に改訂)となっていました。
 内容としては、一般的な規範や既に慣習として成立していた幕命などを基本法とし、「文武弓馬ノ道、専ラ相嗜ムヘキ事」を最初として、品行を正し、科人を隠さず、反逆・殺害人の追放、他国者の禁止、居城修理の申告を求め、私婚禁止、朝廷への参勤作法、衣服と乗輿の制、倹約、国主の人選について規定し、各条に注釈を付けています。その後、第3代将軍徳川家光のとき、参勤交代の具体的方法の規定や大船建造の禁などを加えて19ヶ条(寛永令)となり、一応の完成をみましたが、以後も時勢に応じて、寛文令(1663年)、天和令(1683年)、宝永令(1710年)と改訂が行われてきました。
 第8代将軍徳川吉宗のとき、宝永令を廃止して第5代将軍徳川綱吉の時の15ヶ条(天和令)への全面的な差し戻しをしてからは、幕末までほぼこれによることになります。将軍の代替りごとに諸大名にこれを読み聞かせ、違反者は厳罰に処されてきました。特に初期には、この違反を理由に、たびたび大名の改易が起きています。

☆ 「武家諸法度(寛文令)」 寛文3年(1663年)5月23日発令

  武家諸法度

一、文武弓馬之道専可相嗜事
一、大名、小名在江戸交替之儀、毎年守所相定時節、可致参勤、從者之員数彌不可及繁多、以其相応、可減少之、但公役者任教令、可隨分限事
一、新儀之城郭搆営堅禁止之、居城之隍壘石壁以下敗壞之時者、達奉行所、可受其旨、櫓塀門等者如先規可修補事
一、於江戸幷何国、縱何等之事雖有之、在国之輩守其所、可相待下知事
一、雖於何所而行刑罰、役者之外不可出向、但可任検使之左右事
一、企新儀、結徒党、成誓約之儀、制禁事
一、諸国主幷城主等不可致私之爭論、平日須加謹愼、若有可及遲滯之儀者、達奉行所、可受其旨事
一、国主、城主、壱万石以上、近習幷物頭者、私不可結婚姻事
 附、與公家於結縁邊者、向後達奉行所、可受指圖事
一、音信贈答嫁娶儀式或饗應或家宅營作等可爲簡略、其外万事可用倹約事
一、衣裳之品不可混亂、白綾公卿以上、白小袖諸大夫以上聴之、紫袷、紫裏、練、無紋之小袖不可着之事
一、乗輿者、一門之歴々、国主、城主、壱万石以上幷国大名之息、城主曁侍從以上之嫡子或年五十以上或医陰両道、病人免之、其外禁濫吹、但免許之輩者各別也、至于諸家中者、於其國撰其人、可載之事
一、本主之障有之者不可相拘、若有叛逆殺害人之告者、可返之、向背之族者、或返之、或可追出事
一、陪臣質人所獻之者、可及追放死刑時者、達奉行所、可受其旨、若於當座、有難遁儀而、斬戮之者、其子細可言上事
一、知行所務淸廉沙汰之、不致非法、国郡不可令衰弊事
一、道路驛馬舟梁等、無斷絶、不可令致往還之停滯事
一、私之関所、新法之津留、制禁之事
一、五百石以上之船停止之、但荷船者制外之事
一、諸国散在寺社領、自古至于今所附来者、向後不可取放事
一、耶蘇宗門之儀、於国々所々、彌堅可禁止之事
一、不孝之輩於有之者、可処罪科事
一、万事応江戸之法度、於国々所々可遒行事
 右條々、准當家先制之旨、今度潤色、定之訖、堅可相守者也 
  寛文三年五月廿三日
 右之趣、壱万石以上之面々 御城え被 召之、被仰渡之

  『御触書寛保集成』より

<読み下し文>

一、文武弓馬ノ道[1]、専相嗜ベキ事。
一、大名・小名[2]在江戸交替[3]之儀。毎年定メル所ノ時節を守リ、参勤[4]致スベシ。従者ノ員数、イヨイヨ繁多ニ及ブベカラザル。ソノ相応[5]ヲ以テ、コレヲ減少スベシ。但シ、教令[6]ニ任セ、公役ハ分限[7]ニ随フベキ事。
一、新規ノ城郭構営[8]ハ堅クコレヲ禁止ス。居城ノ隍塁[9]・石壁以下敗壊ノ時ハ、奉行所二達シ、其ノ旨ヲ受クベキナリ。櫓・塀・門等ハ、先規ノゴトク修補[10]スベキ事。
一、江戸ナラビニ何国ニ於テ、タトヘ何等[12]ノ事コレ有ルトイヘドモ、在国ノ輩ハソノ所ヲ守リ、下知[12]相待ツベキ事。
一、何所ニ於テ刑罰ノ行ハルルトイヘドモ、役者ノ外出向スベカラズ。但シ検使[13]ノ左右ニ任セルベキ事。
一、新儀ヲ企テ、徒党ヲ結ビ[14]、誓約ヲ成スノ儀、制禁ノ事。
一、諸国主[15]ナラビニ領主等私ノ諍論致スベカラズ。平日須ク謹慎ヲ加フルベキナリ。モシ遅滞ニ及ブベキノ儀有ラバ、奉行所ニ達シ、ソノ旨ヲ受クベキ事。
一、国主[15]・城主・一万石以上、近習ナラビニ物頭ハ、私ニ[16]婚姻ヲ結ブベカラザル事。
  附、與公家於結縁邊者、向後[17]奉行所二達シ、指図ヲ受クベキ事
一、音信[18]・贈答・嫁娶リ儀式、或ハ饗応[19]或ハ家宅営作等、簡略タルベシ。ソノ外万事倹約ヲ用フルベキ事。
一、衣装ノ品混乱スベカラズ。白綾[20]ハ公卿以上、白小袖[21]ハ諸大夫以上コレヲ聴ス。紫袷・紫裡・練・無紋ノ小袖[21]ハコレヲ着ルベカラズ。
一、乗輿ハ、一門ノ歴々・国主[15]・城主・一万石以上ナラビニ国大名ノ息、城主オヨビ侍従以上ノ嫡子、或ハ五十歳以上、或ハ医・陰ノ両道[22]、病人コレヲ免ジ、ソノ外濫吹[23]ヲ禁ズ。但シ免許ノ輩ハ各別ナリ。諸家中ニ至リテハ、ソノ国ニ於テソノ人ヲ撰ビコレヲ載スベキ事。
一、本主ノ障リコレ有ル者相抱エルベカラズ。モシ反逆・殺害人ノ告ゲ有ラバコレヲ返スベシ。向背[24]ノ族ハ或ハコレヲ返シ、或ハコレヲ追ヒ出スベキ事。
一、陪臣[25]ノ質人ヲ献ズル所ノ者、追放・死刑ニ及ブベキ時ハ、奉行所ニ達シ、ソノ旨ヲ受クベシ。モシ当座ニ於テ、遁レ難キ儀有ルニオイテ、コレヲ斬戮[26]スルハ、ソノ子細言上スベキ事。
一、知行所務清廉[27]ニコレヲ沙汰シ、非法致サズ、国郡衰弊[28]セシムベカラザル事。
一、道路・駅馬・舟梁等、断絶無ク、往還ノ停滞ヲ致サシムベカラザル事。
一、私ノ関所・新法ノ津留メ[29]制禁ノ事。
一、五百石以上ノ船[30]、コレヲ停止、但シ荷船ハ制外ノ事
一、諸国散在寺社領、古ヨリ今ニ至リ附ケ来ル所ハ、向後[17]取リ放ツ[31]ベカラザル事。
一、耶蘇宗門之儀、国々所々ニ於テ、イヨイヨ堅ク禁止スベキノ事
一、不孝ノ輩コレ有ルニオイテハ、罪科ト処スベキ事
一、万事江戸ノ法度[32]ニ応ジ、国々所々ニ於テ遵行[33]スベキ事。
 右條々ハ、當家先制之旨ニヨル、今度潤色[34]、之ヲ定メルニイタル、堅ク相守ルベキ者也。

  寛永三年五月廿三日

 右ノ趣、壱万石以上ノ面々 御城え被 コレヲ召シ、コレヲ仰渡セラル 

【注釈】

[1]文武弓馬ノ道:ぶんぶきゅうばのみち=学問や武術。
[2]小名:しょうみょう=領地・禄高の少ない大名のことで江戸時代初期に用いられた。
[3]在江戸交替:ざいえどこうたい=在は大名の領地(国元)をいい、江戸との参勤交代の意味。
[4]参勤:さんきん=参勤交代のこと。原則として一年交代で、諸大名を江戸と領地とに居住させた制度。
[5]相応:そうおう=大名の格式、家格に応じての意味。
[6]教令:きょうれい=教え戒めて命令すること。教示。
[7]分限:ぶんげん=その人の社会的身分、地位。
[8]新儀ノ城郭構営:しんぎのじょうかくこうえい=新たに築城すること。
[9]隍塁:こうるい=濠と土塁。
[10]修補:しゅうほ=修理。
[11]何等:なんら=どのような。
[12]下知:げち=上から下へ指図すること。命令。
[13]検使:けんし=殺傷・変死の現場に出向いて調べること。また、その役人。
[14]徒党ヲ結ビ:ととうをむすび=仲間、団体、一味などを集めて団結する。
[15]国主:こくしゅ=国持大名のことだが、ここでは諸大名の意味。
[16]私ニ:わたくしに=私的に。公儀の許可なく、勝手に。
[17]向後:きょうこう=今後。
[18]音信:いんしん=便りをすること。便り。また、手紙や訪問によってよしみを通じること。
[19]饗応:きょうおう=酒や料理をとりそろえてもてなすこと。馳走すること
[20]白綾:しらあや=白地の綾織物。
[21]小袖:こそで=袖口の小さく縫いつまっている衣服。
[22]医・陰ノ両道:い・いんのりょうどう=医道と陰陽道。
[23]濫吹:らんすい=無能の者が才能のあるように装うこと。また、過分な地位にあること。
[24]向背:きょうはい=従うこととそむくこと。従ったりそむいたりすること。
[25]陪臣:ばいしん=臣下の、また臣。家来の家来。
[26]斬戮:ざんりく=斬殺、殺戮。
[27]清廉:せいれん=心が清く私欲のないこと。行ないがいさぎよく、私利私欲をはかる心がないこと。また、そのさま。
[28]衰弊:すいへい=勢いなどがおとろえ弱ること。
[29]津留メ:つどめ=領主が米穀その他の物資の他領との移出入を制限・停止したこと。多くが港で行なわれた。
[30]五百石以上ノ船:ごひゃっこくいじょうのふね=米500石(約75トン)以上を積むことが出来る船。
[31]取リ放ツ:とりはなつ=取り上げる。?奪する。
[32]法度:はっと=法令。
[33]遵行:じゅんぎょう=従い行う。遵守。
[34]潤色:じゅんしょく=補うこと。加筆すること。

<現代語訳>

一、学問や武術をみがくことにひたすら励むべきこと。
一、大小の大名の在所と江戸の交替は、毎年定めた時期を守り参勤する事。従者は多数にせず相応に減らすこと。ただし、公役の時は財力に応じる
一、新たに築城することは厳禁する。居城の濠や土塁、石垣などが壊れた時は、奉行所に申し出て指示を仰ぐこと。櫓、塀、門などは先の規則(元和令)に従って修理すること。
一、江戸をはじめいかなる国において、どのような事件が起こったとしても、領国にいる者はその場所を守り、幕府からの命令を待つこと。
一、どこかで刑罰が執行されもといっても、担当者以外は出向いてはならない。ただし、検使の指図には任せること。
一、新たなものを企て、仲間を集め、誓約を取り交わすようなことは禁止すること。
一、諸国の大名や領主等は私闘をしてはならない。日頃から謹んでおくこと。もし、うまくいかないことが起きた場合は、奉行所に届け出て、その指示を受けるべきこと。
一、国持・城持・一万石以上の大名、ならびに近習・物頭は、公儀の許可なく、勝手に結婚してはならないこと。
  附、公家周辺との縁談は、今後奉行所に伺い指示を受けること。
一、よしみを通じたり、品物などの贈答、結婚の儀式、酒や料理をとりそろえてのもてなしや屋敷の建設などは、簡略化に務めること。その他もすべてにおいて倹約に心掛けること。
一、衣装の身分によるしきたりを乱れさせてはならない。白地の綾織物は公卿以上、白地の小袖は大夫以上に許す。紫袷・紫裡・練・無紋の小袖は、みだりにこれを着用してはならない。諸々の家中の下級武士が綾羅や錦の刺繍のある服を着用するのは古くからのしきたりには無いので、禁止とすること。
一、輿を使える者は、徳川一門、国持・城持・一万石以上の大名、ならびに国持大名の息子、城持大名、侍従以上の嫡子、あるいは50歳以上の者、あるいは医者、陰陽道の者、病人はこれを許可する。その他が身分を装って乗せることは禁止する。ただし、許可を得た者は特別とする。諸家中においては、その国内で使える人を選んで定めること。
一、元の主人から障害があるとされた者を家来として召し抱えてはならない。もし反逆者・殺人者とわかったならば元の主人へ返せ。動静がはっきりしない者は元の主人へ返すか、またはこれを追放すべきこと。
一、幕府に人質を出している家臣を追放・死刑に処する際には、奉行所に申し出て指示を仰ぐこと。もし急遽回避することができない事態に至り、これを斬殺した際には、その詳細を報告すべきこと。
一、領地での政務は心清く私欲なく行い、違法なことをせず、国郡の勢いを衰え弱らせてはならないこと。
一、道路、駅の馬、船や橋などを途絶えさせることなく、往来を停滞させてはならないこと。
一、私設の関所を設置したり、新法を制定して物資の他領との移出入を制限・停止してはならないこと。
一、500石積み以上の船を造ってはならないこと。ただし、商船は除く
一、諸国に散在する寺社の領地で昔から現在まで所有しているところは、今後取り上げてはならないこと。
一、キリスト教については、全国どこでも厳禁すべきこと。
一、親不孝者があるときには、処罰の対象とするべきこと。
一、全て江戸幕府の法令のごとく、どこにおいてもこれを遵守すべきこと。
 右の条文は、当家先例の趣旨に従い、この度加筆訂正してこれを定めるに至る、堅く守るべきものである。

   寛文3年(1663年)5月23日

 右の趣旨は、1万石以上の大名については、江戸城に招集し、これを仰せ渡した。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

811年(弘仁2)武将・征夷大将軍坂上田村麻呂の命日(新暦6月17日)詳細
1832年(天保3)蘭学者・政治家・外交官寺島宗則の誕生日(新暦6月21日)詳細
1948年(昭和23)憲法学者美濃部達吉の命日詳細
1969年(昭和44)ウィーンにおいて、「条約法に関するウィーン条約」が締結され.る(1980年1月27日発効)詳細
1981年(昭和56)編集者・児童文学者・評論家・翻訳家吉野源三郎の命日詳細
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shinetsushiki01
 今日は、昭和時代前期の1939年(昭和14)に、宮城前広場での「陸軍現役将校学校配属令」の施行15年を記念する全国学校教職員及び学生生徒御親閲式(32,500人参加)において、「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」が発布された日です。
 「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」(せいしょうねんがくとにたまわりたるちょくご)は、東京の宮城前広場(現在の皇居外苑)で、「陸軍現役将校学校配属令」の施行15年を記念する全国学校教職員及び学生生徒御親閲式(32,500人参加)の際に、荒木貞夫文部大臣が訓示した後に、昭和天皇が勅語を与え、同日付で荒木貞夫文部大臣訓示と共に、全国に告知(昭和14年文部省訓令第15号)されたものでした。日中戦争が続く中で、青少年学徒が国家のために奮励努力するよう指示したものです。
 この後、すべての学校ではこの日を記念して、毎年5月22日に、この勅語を奉読し、併せて部隊行進・神社参拝・武道訓練などの行事が催されるようになりました。しかし、太平洋戦争敗戦後の1948年(昭和23)6月19日に、衆議院における「教育勅語等排除に関する決議」および参議院における「教育勅語等の失効確認に関する決議」がなされ、「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)などと共に失効されています。
 以下に、「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」を現代語訳付で、全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」 1939年(昭和14)5月22日発布

国本ニ培ヒ国カヲ養ヒ以テ国家隆昌ノ気運ヲ永世ニ維持セムトスル任タル極メテ重ク道タル甚ダ遠シ、而シテ其任実ニ繋リテ汝等青少年学徒ノ雙肩ニ在リ、汝等其レ気節ヲ尚ビ廉恥ヲ重ンジ古今ノ史実ニ稽ヘ中外ノ事勢ニ鑒ミ其ノ思索ヲ精ニシ其ノ職見ヲ長ジ執ル所中ヲ失ハズ嚮フ所正ヲ謬ラズ各其ノ本分ヲ恪守シ文ヲ修メ武ヲ練リ質実剛健ノ気風ヲ振励シ、以テ負荷ノ大任ヲ全クセムコトヲ期セヨ

<現代語訳>

国家の基礎を構築し、国力を伸張し、国家が益々栄えてゆく気運を、永遠に維持しようという任務は極めて重大で、とても長い月日のかかる困難なことである。そして、その任務は君等青少年学徒の双肩にかかっている。君等は、気概があって、節操が固く、心が潔白・正直で、恥を知る心が強く、昔から今に至るまでの史実をよく考え、国内外の事態を見極め、その物の道理をたどって考えていく能力を高め、物事を正しく見分ける力に長け、中庸を守ることを忘れず、正しい道を誤らず、各自がその本分を謹んで守り、また、学問を納め、武道を鍛錬し、質実剛健の気風を奮い起こし、そうして各自にかかっている大きな任務を完全に達成する決心をせよ。
 
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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