
函館大正2年大火(はこだてたいしょうにねんたいか)は、この日の午後1時50分頃に、北海道函館の若松町3番地と4番地の間から出火した大火でした。
火は、西南西12~13m/sの強風にあおられて火元向かい側の若松座に燃え移り、付近をひとなめにして函館停車場(駅)方面へ延焼、停車場を焼いた炎は線路沿いに海岸町へと進みます。一方で別の火の手は、四十間道路を走り音羽町、松風町方面を焼き尽くし、高砂町の函館測候所を焼失させ、さらに遊郭大門通りを走り新川町を進み、付近一帯を焦土と化しました。また、火元から300mも離れた鶴岡尋常小学校へ飛び火し、同校を10分ほどで全焼させて、ようやく午後5時頃に鎮火します。
これによって、572棟、1,532戸を焼失、損害額は634,707円にのぼり、主要建物では、函館測候所や函館停車場、その関連の運輸事務所、保線事務所、鉄道官舎、小学校2校、旅館多数などが焼失しました。尚、函館では、度々大火に見舞われていて、1934年(昭和9)3月21日の函館大火で、死者2,054名、10,176戸を焼失したのをはじめ、焼失戸数1,000戸以上のものだけで、10回に及んでいます。
火は、西南西12~13m/sの強風にあおられて火元向かい側の若松座に燃え移り、付近をひとなめにして函館停車場(駅)方面へ延焼、停車場を焼いた炎は線路沿いに海岸町へと進みます。一方で別の火の手は、四十間道路を走り音羽町、松風町方面を焼き尽くし、高砂町の函館測候所を焼失させ、さらに遊郭大門通りを走り新川町を進み、付近一帯を焦土と化しました。また、火元から300mも離れた鶴岡尋常小学校へ飛び火し、同校を10分ほどで全焼させて、ようやく午後5時頃に鎮火します。
これによって、572棟、1,532戸を焼失、損害額は634,707円にのぼり、主要建物では、函館測候所や函館停車場、その関連の運輸事務所、保線事務所、鉄道官舎、小学校2校、旅館多数などが焼失しました。尚、函館では、度々大火に見舞われていて、1934年(昭和9)3月21日の函館大火で、死者2,054名、10,176戸を焼失したのをはじめ、焼失戸数1,000戸以上のものだけで、10回に及んでいます。
〇函館における大火一覧(焼失戸数が1,000戸以上)
・1871年(明治4年9月12日)10月27日 (切見世火事) 1,123戸焼失
・1873年(明治6年)3月22日 (家根屋火事) 死者5名、1,314戸焼失
・1879年(明治12年)12月6日 焼死者多数、2,326戸焼失
・1896年(明治29年)8月26日 (家根屋火事) 2,280戸焼失
・1899年(明治32年)9月15日 2,494戸焼失
・1907年(明治40年)8月25日 8,977戸焼失
・1913年(大正2年)5月4日 1,532戸焼失
・1916年(大正5年)8月2日 1,763戸焼失
・1921年(大正10年)4月14日 2,141戸焼失