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 今日は、江戸時代中期の1716年(享保元)に、江戸幕府が五街道の呼称を布達した日ですが、新暦では6月4日となります。
 五街道(ごかいどう)は、江戸時代の主要陸上交通路のことで、江戸日本橋を起点とする東海道・中山道・奥州道中・甲州道中・日光道中のことをいい、幕府が直接支配をしました。当時最も整備されていた街道で、参勤交代など主として、おもに公用に使われています。
 これらの街道が定められたのは、江戸幕府第二代将軍徳川秀忠の時代で、1604年(慶長9)に日本橋を五街道の起点として定め、幕府安泰のために江戸を防衛することを目的として、街道の要所に関所を置いて通行人を取り締まりました。政治的・軍事的に重要な五街道は幕府直轄とされます。
 そして、金山奉行の大久保長安の指揮の元に、江戸日本橋を起点として、東海、東山、北陸の三道の両側に一里(約4km)ごとに一里塚を築いて、街道沿いに並木を植えることを命じました。慶長年間(1596~1615年)に東海道、日光街道(日光道中)、奥州街道(奥州道中)、中山道、甲州街道(甲州道中)の順に整備され、2~3里ごとに宿場を設け、本陣・脇本陣・旅籠・問屋場などが設置されます。1659年(万治2)以降は、新たに設置された道中奉行の管轄に置かれました。
 1716年(享保元年4月15日)に、幕府は新井白石の意見をもとに、五街道の正式名称を定める布達を出します。しかし、民間では中山道を中仙道、木曾街(海)道といい、甲州道中を甲州街道ということも慣用されて定着せず、複数の呼び名が用いられてきました。

〇「五街道の名称に関する江戸幕府の布達」 1716年(享保元年4月15日)

   五畿七道之中に
 東山道(トウセンタウ)
 山陰道(センヲンタウ)
 山陽道(センヤウタウ)
   いつれも山の字をセントよみ申候、
   東山道の内の中筋の道に候故に、古来より中山道と申事に候、
   海道と申事ハ、
 東海道
 南海道
 西海道
   いつれも海国の道筋を申候、
   海なき国と申伝へ候ハ、
 下野の国
 甲斐の国
   此道に海道と申事のあるへき事にもなく候へは、
 日光道中
 甲州道中
 右之通にて可然候、

   「御触書寛保集成」より

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