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 今日は、昭和時代中期の1949年(昭和24)に、GHQ経済顧問として訪日したデトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジが「ドッジ声明」を発表し、日本の経済安定策(ドッジ・ライン)を示した日です。
 ドッジ・ラインは、この年の2月に、GHQ経済顧問として公使の資格で訪日したアメリカのデトロイト銀行頭取ジョゼフ・ドッジ(Joseph Morre Dodge)が指導して行った、日本の財政金融引締政策でした。前年12月に、日本経済安定のために、アメリカ政府から連合国最高司令官総司令部(GHQ)を通して、日本政府 (吉田茂内閣) に指令された経済安定9原則を具体化したものです。
 その内容は、①超均衡予算:地方財政・民間産業・国有企業への補助金の縮小、②1ドル=360円の単一為替レートの確立、③耐乏生活による輸出の推進などで、これによって吉田茂内閣は均衡予算を作成することとなりました。また、税制ではシャウプ使節団の勧告(シャウプ勧告)にしたがって、所得税を中心とする直接税中心の増税、資本蓄積のための減税を行ないます。
 その結果インフレは収束したものの、以後日本経済はデフレへと向かい、重税や金詰りから不況の嵐(ドッジ不況)が吹きまくり、大企業の合理化、中小企業の倒産が相次ぎ、庶民の暮らしは困窮が続くこととなりました。1950年(昭和25)7月6日には、東京証券取引所の修正平均株価(現在の日経平均株価)は、算出来の安値となる85.25円を記録(現在に至るまで史上最安値)するまでに至ります。
 以下に、「九原則実行に関するドッジ声明」(抜粋)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「九原則実行に関するドッジ声明」(抜粋)1949年3月7日

外国為替レート問題

 貿易取引にあたり単一為替レートの早期決定が一般に要望されている。この要望はよく解っており、出来るだけ早く実現出来るように当局でも考えている。現在のところでは単一レートを算定することは大したむずかしいことではなく、これは少しも問題となっていない。考えなければならぬことはほかの諸条件である。単一公式レートを決めることも仕事だが、もう一つの仕事は決めたのちこれを守ることである。(中略)

インフレと安定

 真の安定と進歩とは国家的諸問題を健全な財政通貨政策で処理することに立脚しなければならない。有効な安定をもたらすためには財政政策の基本的手段としての政府予算と総ての政策決定とを関連させることが必要である。インフレのセンを閉めるのも政府、これを開放するのも政府である。補給金、投資その他の一般費目から支出を削ることは政府にとって生易しいことではない。にもかゝわらずやらねばならぬし、いゝ加減の決定のままにしては置けない。政府支出は租税による収入源を限度としなければならぬ。租税引下げは政府支出が減った暁に可能となるものである。
(中略)
 最後にわたしとしては、日本の諸君が次の簡単な事実を理解されんことを切望する。

1.日本が毎年米国から受取る数億ドルの援助資金は米国の各市民や企業に課せられた租税から支出されているもので、この租税は米国の労働者や商工業の生産物や利潤が支払うことになるのである。米国市民が税を払うのをいやがるのは日本人諸君と同様である。
2.日本が受取っているこれらの米国の援助資金や援助物資は日本が自給しなければならない生産物と輸出品のほんの一時的な代用物補足物にすぎないのである。日本は過去において自立自給することができたが、できるだけ早くまたそうなるように準備しなければならない。(中略)

 米国は日本救済と復興のため昭和二三年度までに約二一億五〇〇〇万ドルを支出した。米国が要求し同時に日本が必要とすることは、対日援助を終らせることゝ日本の自立のためへの国内建設的な行動である。私の信ずるところでは日本は目下厳しい経済を余儀なくされている。しかし現在とられている国内的な方針政策は、合理的でもなく現実的でもない。すなわち日本の経済は両足を地につけていず、竹馬にのっているようなものだ。竹馬の片足は米国の援助、他方は国内的な補助金の機構である。竹馬の足をあまり高くしすぎると転んで首を折る危険がある。今たゞちにそれをちゞめることが必要だ。つゞけて外国の援助を仰ぎ、補助金を増大し、物価を引き上げることはインフレの激化を来すのみならず、国家を自滅に導く恐れが十分にある。

  『朝日新開』1949年3月8日付より

〇経済安定9原則(けいざいあんていきゅうげんそく)とは?

 昭和時代中期の1948年(昭和23)12月に、日本経済安定のために、アメリカ政府から連合国最高司令官総司令部(GHQ)を通して、日本政府 (吉田茂内閣) に指令された強力なインフレ収束策です。
 その内容は、①)総予算の均衡、②徴税強化、③信用膨張制限、④賃銀安定、⑤物価統制強化、⑥貿易統制改善と外為統制強化、⑦輸出増加のため資材割当改善、⑧重要国産品増産、⑨食料集荷改善を定めており、これらは単一為替レート設定の早期実現の不可欠の前提だとされました。この当時の日本は、復興金融債の大半を日本銀行が引き受け、日本銀行券の増発によって蓄積された資金を重要産業に供給していましたので、生産回復より通貨の増発が優先し、相当のインフレを助長していたのです。
 そこで、政府はアメリカからの外資導入によって、なし崩し的にインフレ収束を図りましたが、うまくいかない状況となりました。しかし、冷戦の激化によって、アメリカが対日占領政策を転換し、日本の経済復興に強い関心を示すに至ったことと、日本の激しいインフレを収束させ、単一為替レートが設定できるような条件を整えることが必要と判断し、この「経済安定9原則」の発表に至ったものです。
 これらの原則は、翌年のドッジ・ライン、シャウプ勧告に基づく税制改革に引継がれ、物価は急速に安定化の方向をたどり、1ドル=360円の単一為替レートが設定されるに至ったものの、重税や金詰りから不況の嵐が吹きまくり、大企業の合理化、中小企業の倒産が相次ぎ、庶民の暮らしは困窮が続くこととなりました。 

<経済安定9原則>

昭和二十三年十二月付
 (前文省略)
  今回の経済復興計画がとくにめざすところは、
一、極力経費の節減をはかり、また必要であり、かつ適当なりと考えられる手 段を最大限度に講じてただちに総予算の均衡をはかること。
二、徴税計画を促進強化し、脱税者に対する刑事訴追を迅速広範にまた強力に 行うこと
三、信用の拡張は日本の経済復興に寄与するための計画に対するほかは厳重に 制限されていることを保障すること。
四、賃金安定実現のため効果的な計画を立てること。
五、現在の物価統制を強化し必要な場合はその範囲を拡張すること。
六、外国貿易統制事務を改善し、また現在の外国為替統制を強化し、これらの 機能を日本側期間に引継いで差支えなきにいたるように意を用いること。
七、とくに出来るだけ輸出を増加する見地より現在の資財割当配給制度を一そ う効果的に行うこと。
八、一切の重要国産原料、および製品の増産をはかること。
九、食糧集荷計画を一そう効果的に行うこと。
 以上の計画は単一為替レートの設定に実現させる途を開くためにぜひとも実施されねばならぬものである。

   『資料戦後二十年史』より

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