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 今日は、昭和時代中期の1951年(昭和26)に、奄美大島日本復帰協議会(議長:泉芳朗)が結成されされた日です。
 奄美大島日本復帰協議会(あまみおおしまにほんふっききょうぎかい)は、太平洋戦争後の連合軍占領下において、1946年(昭和21)2月2日に奄美・沖縄等日本本土と行政分離「連合国覚書宣言」(二・二宣言)が出され、北緯30度以南が日本本土と分離されたのに伴い、その本土復帰を求めて結成された団体でした。1951年(昭和26)2月13日、奄美社会民主党の呼びかけで「帰属問題対策協議会」が開催され、32団体70余人が参集し、請願運動を柱とし、「信託統治反対」、「条約三条撤廃、即時完全復帰」の署名を開始することとします。
 その実践組織として復帰協議会の結成が提案され、翌日の帰属問題対策協議会の議論を経て、この団体が結成され、議長に泉芳郎が就任、趣意書の発表と署名運動の展開を決定しました。その後、奄美群島全域で行われた署名運動には中学生や高校生も参加、刑務所では刑務官も署名集めに協力、2ヶ月足らずの運動期間で集まった署名総数は 13万9,348人、14歳以上の島民の99.8%もの署名が集まります。
 そして、7月13日に名瀬市民総決起大会が開催され、7月19日に「日本復帰の歌」(作詞:久野藤盛、作曲:静忠義)を発表、8月1日~5日に泉芳朗が復帰祈願断食をし、8月5日~6日に全群民集団ハンガーストライキを実施、8月には、第一回日本復帰郡民総決起大会が開催されました。しかし、9月8日に「日米講和条約(サンフランシスコ講和条約)」に調印、北緯29度以南はそのまま分離(講和条約第三条の中に「信託統治」の条項が織り込まれている)され、翌年4月29日には発効しましたが、その時郡民大会を開催し、弔旗を掲げています。
 9月7日に復帰協議会議長の泉芳朗が名瀬市長に当選、11月には、「日米講和条約」第三条の撤廃署名運動で、署名が99.9%に達しました。それからも粘り強い日本復帰運動を展開し、アメリカの統治が困難を増してきた結果、1953年(昭和28)8月8日にJ.ダレス米国務長官は、奄美群島の返還を声明し、12月24日には、「奄美群島返還日米協定」に調印、翌日に奄美群島が日本に復帰しています。
 それによって、1954年(昭和29)1月16日に、奄美大島日本復帰協議会の解散式が行われました。
 参考までに、以下に「奄美群島返還協定」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇奄美群島日本復帰関係略年表

<1945年(昭和20)>

・4月 米軍が沖縄本島に上陸する
・4月 名瀬大空襲を受け、市街地の90%を焼失する
・8月15日 太平洋戦争(第二次世界大戦)が終結する

<1946年(昭和21)>

・2月2日 奄美・沖縄等日本本土と行政分離「連合国覚書宣言」(二・二宣言)が出され、北緯30度以南を分離、本土との渡航を全面禁止される
・3月13日 大島支庁内に軍政府が設置される
・3月16日 米海軍の軍政下に置かれる
・7月1日 名瀬市制施行(名瀬町から名瀬市となる)
・10月 大島支庁を米軍政府臨時北部南西諸島政庁と改称、支庁長を知事とする

<1947年(昭和22)>

・1就き 「闇船取締規則」が交付される
・8月 大島郡内の市町村長会は日本復帰嘆願を決議し、口頭で軍政府長官に伝える
・10月11日 集会・言論・出版の自由等を規制される
・11月1日~11月20日 名瀬で奄美復興博覧会が開催される
・11月11日~11月30日 名瀬で第1回奄美体育大会が開催される

<1948年(昭和23)>

・4月1日 教育制度の改革「6・3・3制」の実施、国民学校を小学校と改称する
・6月19日 2名の教師が教育関係図書の購入のため本土へ密航する
・8月 大島支庁内に奄美博物館図書室が設置される

<1949年(昭和24)>

・4月29日 米軍政府食糧3倍値上げを指示する
・5月16日 「奄美教育基本法」、「奄美学校教育法」が公布される
・6月30日 奄美博物館が開館する
・12月25日 昇曙夢、「大奄美史」を刊行する

<1950年(昭和25)>

・1月11日 米軍政府、食糧3倍値上げを実施する
・10月25日 奄美群島政府が開設される

<1951年(昭和26)>

・2月14日 奄美大島日本復帰協議会(議長:泉芳朗)が結成され、日本復帰請願署名運動が始まる
・4月1日 臨時琉球中央政府が設置される
・4月26日 大島文化情報会館が設置される
・5月 日本復帰請願署名運動完了、14歳以上の住民の99.8%に達する
・7月13日 名瀬市民総決起大会(プラカード撤去命令(プラカード事件))が開催される
・7月19日 「日本復帰の歌」(作詞:久野藤盛、作曲:静忠義)が発表される
・8月1日~5日 泉芳朗が復帰祈願断食をする
・8月5日~6日 全群民集団ハンガーストライキが実施される
・8月 第一回日本復帰郡民総決起大会が開催される
・9月8日 「日米講和条約(サンフランシスコ講和条約)」が調印され、北緯29度以南はそのまま分離(講和条約第三条の中に「信託統治」の条項が織り込まれている)される
・9月1日 大島高等学校の各部を分離し、大島高等学校・大島女子高等学校・大島農業高等学校となる
・12月5日 連合国最高司令官覚書により北緯29度以北(十島村の下七島)が日本復帰する

<1952年(昭和27)>

・2月10日 ポツダム政令により、北緯29度から30度間の十島村(じっとうそん)の下七島を大島郡十島村(としまむら)とする
・2月10日 十島村(じっとうそん)の上三島を大島郡三島村(みしまむら)として発足する
・4月1日 奄美群島政府を廃止、琉球政府が発足する
・4月1日 大島女子高校内に琉球大学大島分校が設置される
・4月1日 大島情報会館を奄美琉米文化会館とし、奄美博物館から琉球政府立奄美図書館を分離する
・4月29日 「日米講和条約(サンフランシスコ講和条約)」が発効する(郡民大会を開催し、弔旗を掲げる)
・9月7日 復帰協議会議長の泉芳朗が名瀬市長に当選する
・9月22日 琉球政府奄美地方庁を開庁(地方庁長に沖野友栄)
・11月 「日米講和条約」第三条の撤廃署名運動、99.9%に達する

<1953年(昭和28)>

・4月3日 奄美琉米文化会館のコンクリートホールが落成する
・5月31日 重成格(鹿児島県知事)、ルーズベルト夫人と会見する
・5月31日 ルーズベルト夫人、「米国の世論に訴える」等と発言する
・6月10日 基八重子(奄美婦人連合会長)ら、福岡でルーズベルト夫人と面談する
・8月8日 ダレス米国務長官、奄美群島の返還を声明する
・12月24日 「奄美群島返還日米協定」に調印する(奄美地方庁廃庁式)
・12月25日 奄美群島が日本に復帰する(奄美群島返還式、大島支庁開庁式、復帰祝賀式典、提灯行列など)

<1954年(昭和29)>

・1月16日 奄美大島日本復帰協議会の解散式が行われる

〇「奄美群島返還協定」 (全文)  [正文は日本語・英語] 1953年(昭和28)12月24日調印

奄美群島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定
(略称)奄美群島返還協定

 アメリカ合衆国は、同国国務長官が千九百五十三年八月八日に声明したとおり、奄美群島に関し、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第三条に基くすべての権利及び利益を日本国のために放棄することを希望するので、また、

 日本国は、奄美群島の領域及び住民に対する行政、立法及び司法上のすべての権力を行使するための完全な権能及び責任を引き受けることを望むので、

 よって、日本国政府及びアメリカ合衆国政府は、この協定を締結することに決定し、このためそれぞれの代表者を任命した。これらの代表者は、次のとおり協定した。

   第一条

1 アメリカ合衆国は、奄美群島に関し、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第三条に基くすべての権利及び利益を、千九百五十三年十二月二十五日から日本国のために放棄する。日本国は、前記の日に、奄美群島の領域及び住民に対する行政、立法及び司法上のすべての権力を行使するための完全な権能及び責任を引き受ける。

2 この協定の適用上、「奄美群島」とは、附属書に掲げる群島(領水を含む。)をいう。

   第二条

1 アメリカ合衆国が奄美群島で現に利用している二の設備及び用地は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名され、その後改正された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に定める手続に従つて合衆国軍隊が使用するものとする。もつとも、避けがたい遅延のため千九百五十三年十二月二十五日前に、前記の手続きによることができない場合には、日本国は、アメリカ合衆国に対し、その手続が完了するまでの間、これらの特定の設備及び用地を引き続き使用することを許すものとする。

2 日本国政府は奄美大島の名瀬にある測候所の運営を引き継ぐものとし、且つ、行政協定第二十六条に定める合同委員会による協議を通じて合意されるところに従つて気象観測の結果をアメリカ合衆国政府に提供するものとする。避けがたい遅延のため千九百五十三年十二月二十五日に日本国政府がその運営を引き継ぐことができない場合には、現状どおりの運営が、日本国政府がこの責任を引受ける準備ができる時まで、継続されることが合意される。

   第三条

1 日本国政府は、千九百五十三年十二月二十五日に、奄美群島における流通からすべての「B」号円を回収し、且つ、一「B」号円につき三日本円の割合で「B」号円と引き替えに日本円を交付することを開始しなければならない。この通貨の交換は、できる限りすみやかに完了しなければならない。回収した「B」号円は、沖縄の那覇にいる合衆国民政官に返還しなければならない。アメリカ合衆国政府は、「B」号円又は「B」号円と引き替えに交付される日本円について、日本国政府に対し何ら償還の義務を負うものではない。

2 予算及び財政に関する現行の措置で資金の収集及び債務の支払に関するものは、千九百五十三年十二月二十四日まで維持されるものとし、その後は、日本国政府が、奄美群島における完全な財政上の責任を有するものとする。

3 日本国政府は、奄美群島における郵便組織のすべての金融上の債務を負うものとする。奄美群島における郵便組織と南西諸島のその他の島における郵便組織との間の勘定は、日本国政府とアメリカ合衆国政府との間で、奄美群島における郵便組織のその他の資産並びに南西諸島のその他の島における日本国政府郵便組織の戦争前の資産及び債務を考慮に入れて、後日合意される通りに決済しなければならない。

4 琉球政府の財産(書類、記録及び証拠物件を含む。)千九百五十三年十二月二十五日に奄美群島に存在するものは、その日に無償で日本国政府に移転しなければならない。

5 日本国政府(地方公共団体を含む。)の財産で、千九百五十三年十二月二十五日に奄美群島に存在し、且つ、同日前にはアメリカ合衆国政府の管理下にあったものは、その日に無償で日本国政府に返還しなければならない。

6 千九百五十三年十二月二十五日に、奄美群島における各種の機関及び団体が奄美群島への貨物の積送の結果南西諸島のその他の島における政府機関その他の機関に対して負う当座勘定並びに奄美群島における個人及び団体が琉球復興金融金庫に対して負う長期債務が存在する。両国政府は、これらの勘定の残高並びに債権者をできる限りすみやかに確認しなければならない。アメリカ合衆国政府は、確認された勘定に関するすべての権利及び利益を無償で日本国政府に移転しなければならない。

7 千九百五十三年十二月二十五日に、奄美群島における個人(法人を含む。以下同じ。)が南西諸島のその他の島における個人に対し、又は南西諸島のその他の島における個人が奄美群島における個人に対し負う債務が存在する。両国政府は、これらの債務の決済を促進する手続を定めることに同意する。

   第四条

1 日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したために執られた行動から生じたアメリカ合衆国及びその国民並びに南西諸島の現地当局及びその前身たる機関に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、アメリカ合衆国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権で、千九百五十三年十二月二十五日前に、奄美群島で生じ、又は奄美群島に影響を有するものを放棄する。但し、前記の放棄には、千九百四十五年九月二日以後制定されたアメリカ合衆国の法令又は南西諸島の現地法令で特に認められた日本人の請求権の放棄を含まない。

2 日本国は、占領期間中及び奄美群島の軍政府又は合衆国民政府の期間中に占領当局、軍政府又は合衆国民政府の指令に基いて若しくはその結果として行われ、又は当時の法令によつて許可されたすべての作為又は不作為の効力を承認し、合衆国国民又は南西諸島の居住者をこれらの作為又は不作為から生ずる民事又は刑事の責任に問ういかなる行動も執らないものとする。

   第五条

1 日本国は、公の秩序又は善良の風俗に反しない限り、次の裁判が有効であることを承認し、且つ、それらの効力を完全に存続させるものとする。

(a)奄美群島におけるいずれかの裁判所が千九百五十三年十二月二十五日前にした民事の裁判で、同日前の法令によつて再審査の手段又は権利がなかつたもの及び

(b)沖縄における琉球上訴裁判所が千九百五十三年十二月二十五日前にした民事の最終的裁判で、奄美群島におけるいずれかの裁判所に係属した事件に関すもの

2 日本国は、訴訟当事者の実質的な権利及び地位をいかなる意味においても害することなく、千九百五十三年十二月二十五日に奄美群島におけるいずれかの裁判所に係属中の民事事件又はそれらの裁判所に係属した民事事件で千九百五十三年十二月二十五日に琉球上訴裁判所に係属中のものについて、裁判権を引き継ぎ、且つ、引き続き裁判及び執行をするものとする。

   第六条

 日本国は、奄美群島にいる者で、千九百五十三年十二月二十五日前に南西諸島におけるいずれかの裁判所が科した刑に服役中のもの又は千九百五十三年十二月二十五日に前記の裁判所若しくは沖縄における琉球上訴裁判所に事件が係属中のものに対して、日本国の法令及び手続に従つて刑事裁判権を行使することができる。但し、これらの者が千九百五十三年十二月二十五日に抑留中である場合には、適当な措置が執られるまでの間引き続き日本国の当局の下に抑留されるものとする。日本国の当局は、前記の者に対して刑事裁判権を行使するに際し、南西諸島における裁判所又は沖縄における琉球上訴裁判が前記の者に対して刑事裁判権を行使する際に用いた証拠資料に対して相当な信頼を置くものとする。

   第七条

 日本国が当事国である条約及びその他の国際協定(千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約、同日に署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約及びこれに基く改正された行政協定、同日に日本国総理大臣とアメリカ合衆国国務長官との間で交換された公文並びに千九百五十三年四月二日に東京で署名された日本国とのアメリカ合衆国との間の友好通商航海条約を含む。)は、この協定の効力発生の日から奄美群島について適用されるものとする。

   第八条

 この協定の実施に関する事項は、両国政府又はその権限のある当局の間で協議によって合意するものとする。

   第九条

 この協定は、千九百五十三年十二月二十五日に効力を生ずる。

以上の証拠として、下名は、各自の政府により正当な委任を受け、この協定に署名した。

 千九百五十三年十二月二十四日に東京で、ひとしく正文である日本語及び英語により本書二通を作成した。

 日本国のために

   岡崎勝男(署名)

 アメリカ合衆国のために

   ジョン・M・アリソン(署名)

   附属書

 奄美群島とは、北方北緯二十九度、南方北緯二十七度、西方東経百二十八度十八分及び東方東経百三十度十三分を境界線とする区域内にあるすべての島、小島、環礁及び岩礁をいう。

                 日本外務省編「日本外交主要文書・年表(1)」より

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