
「新聞紙印行条例(しんぶんしいんこうじょうれい)」は、明治新政府が初めて新聞の発行に関する規定を定めた太政官布告(明治2年太政官布告第135号)でした。
明治維新直後の1868年(明治元年6月5日)に、江戸の市政裁判所の新聞紙官許の町触が出され、官許がない出版物の発行を禁止し、関係者を処罰する布告を発し、旧幕府の関係者が執筆した新聞などは一掃されます。その後、基礎的政治様式確立の手段としても、新聞の必要なることを考え、取締法規を整備するため、開成学校(東京大学の前身)の加藤弘之、細川潤次郎等に命じ、当時のドイツ法を原拠として、立案させたのがこの太政官布告です。
その内容は、①各新聞紙には、夫々各個の表題をつけること、②その表題で免許を受けて、開板したものは毎号の検閲は要らないこと。但し即日二部で納本すること、③各号毎に出版の所、年月日、編集人若くは出版者の姓名及び各号の号数とを記載すること、④記事の可否を取調べる場合には編輯人の弁解を聴くこと、⑤天変地異・物価・商法・政法に関するでたらめな批評を許さず、軍事に関する誤報を禁じ、かつ訂正を命じているものの、「火災、嫁娶、生死、学芸、遊宴会、衣服、飲食、諸種官報、洋書訳文、海外雑話、凡事無害者は皆記載すべし」とする、などとなっています。これは、日本において最初に正式に新聞の発行を認めた関係法令で、これによって、幾多の新聞が復活、創刊され、のちの「新聞紙法」や「出版法」などの取締法規の骨子ともなりました。
以下に、「新聞紙印行条例」(明治2年太政官布告第135号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
明治維新直後の1868年(明治元年6月5日)に、江戸の市政裁判所の新聞紙官許の町触が出され、官許がない出版物の発行を禁止し、関係者を処罰する布告を発し、旧幕府の関係者が執筆した新聞などは一掃されます。その後、基礎的政治様式確立の手段としても、新聞の必要なることを考え、取締法規を整備するため、開成学校(東京大学の前身)の加藤弘之、細川潤次郎等に命じ、当時のドイツ法を原拠として、立案させたのがこの太政官布告です。
その内容は、①各新聞紙には、夫々各個の表題をつけること、②その表題で免許を受けて、開板したものは毎号の検閲は要らないこと。但し即日二部で納本すること、③各号毎に出版の所、年月日、編集人若くは出版者の姓名及び各号の号数とを記載すること、④記事の可否を取調べる場合には編輯人の弁解を聴くこと、⑤天変地異・物価・商法・政法に関するでたらめな批評を許さず、軍事に関する誤報を禁じ、かつ訂正を命じているものの、「火災、嫁娶、生死、学芸、遊宴会、衣服、飲食、諸種官報、洋書訳文、海外雑話、凡事無害者は皆記載すべし」とする、などとなっています。これは、日本において最初に正式に新聞の発行を認めた関係法令で、これによって、幾多の新聞が復活、創刊され、のちの「新聞紙法」や「出版法」などの取締法規の骨子ともなりました。
以下に、「新聞紙印行条例」(明治2年太政官布告第135号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「新聞紙印行条例」(明治2年2月8日太政官布告第135号)
新聞紙印行条例(明治2年2月8日、太政官布告第135号)
1、各箇の新聞紙は宜しく各箇の表題あるべし。
1、標題を以て開版免許の上は、毎号検印を受くるを要せず。只、出版即日2部を官に納むべし。
1、各号毎に出版の所、年月日、編集人若くは出版者の姓名及び各号の号数とを載すべし。
1、凡、記載する事件に付て吟味すべき事有時は、編集人其弁解をなすべし。若し弁解無き者は罰金を出さしむ。
1、一切天変地異物価商法政法(不許妄加批評)、軍事(其説錯誤而不政治者有責)、火災、嫁娶、生死、学芸、遊宴会、衣服、飲食、諸種官報、洋書訳文、海外雑話、凡事無害者は皆記載すべし。
1、贈答書籍或は各人作る所の文、若くは雑説等、其姓名を註す(只だ歌詞の内、作者不詳者は此例にあらず)。
1、新聞紙中、人罪を評告する事、厳禁なり。
1、妄りに教法を説くことを許さず。
別紙附録
1、官権の新聞紙は開成学校の関する所に非ず。
1、各府県にて出版の新聞紙は其府県裁判所にて検閲すべし。
1、外国人国字を以て出版する者は各地運上所にて之を監し、毎事必ず裁判所に報知すべし。裁判所は皆、新に定めたる条例に拠て齟齬すべからず。
1、開成学校に於ては専ら東京中出版の者を監す。
1、東京出版の新聞紙若し条例に背く者ある時は、開成学校より之を東京裁判所に告げ、同所にて出版願人を糾問し、罪に従って科断す。
『新聞五十年史』(ウィキソース)より
☆明治時代の政府による新聞規制の推移
・1868年(明治元年6月5日) 江戸の市政裁判所の新聞紙官許の町触
官許がない出版物の発行を禁止し、関係者を処罰する布告を発し、旧幕府の関係者が執筆した新聞などは一掃する
・1869年(明治2年2月8) 「新聞紙印行条例」(明治2年太政官布告第135号)
新聞紙発行の免許主義と記事吟昧を存置する
・1871年(明治4年7月) 「第一次新聞紙条例」
新聞紙発行目的の啓蒙主義と国家為治の御益訟よび海外諸邦不敬記事禁止処分を採用する
・1873年(明治6年)10月 「改正条例」
新聞紙発行の文部省管轄による許可制度の採用と官許後の検閲不要、禁令違反は律による処断を定める
・1875年(明治8年)6月 「第二次新聞紙条例」
新聞紙発行の内務省管轄による許可主義の採用と政府変壊記事の罰則規定の新設、反政府運動取り締まり規定を強化する
・1876年(明治9年)7月 「改正条例」
国安妨害記事による内務卿の行政処分によって新聞紙の発行禁止および発行停止権を布告する
・1883年(明治16年)4月16日 「第三次新聞紙条例」
新聞紙発行の保証金制度の採用と代理新聞の発行停止権および地方新聞の府県知事の発行停止権・差押権の規定を新設、一方では政府側の言論自由制限の権力規定強化に舛する反省を促す
・1887年(明治20)12月28日 「第四次新聞紙条例」
立憲議会制度の設置を予想して、新聞紙発行の許可主義を届出主義に緩和し、新聞紙持主編集入に対する発行禁停止処分条項の緩和措置および雑誌発行の新聞紙条例適用主義の原則化を採用する
・1897年(明治30年)3月 政府提案の「新聞紙条例改正」
内務大臣の新聞紙発行禁停止権並びに発売頒布差押権の廃止と行政処分による新聞の発行禁止を廃止して、司法手続処分によって新聞の発行禁止をすることとする
・1909年(明治42年)5月6日 「新聞紙法」公布
①新聞紙の発行要件(題号・継続的発行・種別)を制度化する
②新聞発行手続(届出主義・保証金・納本)を厳格化する
③新聞に対する行政処分(発行差止・発売頒布の禁止・差押処分・治安妨害と風俗壊乱記事掲載の外国新聞紙発売頒布禁止)の規定を明確化する