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 今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、長野県で多数の学校教員などが「治安維持法」違反として検挙(二・四事件)され始めた日です。
 二・四事件(にしじけん)は、この日から半年余の期間に、長野県において、多数の学校教員などが「治安維持法」違反として検挙された思想弾圧事件で、「長野教員赤化事件」または 「長野左翼教員事件」 とも呼ばれてきました。1928年(昭和3)3月15日の左翼一斉検挙(三・一五事件)以後、共産主義運動に対する弾圧は過酷化します。
 教育分野では、1930年(昭和5)結成の新興教育研究所(1932年に新興教育同盟準備会となる)と日本教育労働者組合(1931年に日本労働組合全国協議会日本一般使用人組合の教育労働部となる)などに関係した教員を「赤化教員」として弾圧することが相次ぐようになりました。特に、1932年(昭和7)7~12月の東京府市20数校約60名の教員検挙事件が知られていますが、翌年2月4日から4月にかけての長野県66校230名の教員検挙事件はそれを上回るものとなります。
 長野県では、大正時代以降、白樺派などの影響を受けた自由主義教育(児童中心主義、自由主義、生活主義などの主張をかかげた新教育・新学校の運動)が盛んとなりますが、昭和に入り1930年代になると、その伝統の上に、新興教育運動(労働者階級の立場から、学習権の保障など労働者の社会的解放とその人間的発展をめざす教育運動)が広がりを見せるようになりました。国定教科書反対、プロレタリア教育の建設、教員の生活擁護などのスローガンの下に、多様な運動が展開されていたものの、これに大きな弾圧が加えられ、長野県では、1933年(昭和8)2月4日から4月にかけて、66校(うち中学4)の230名(うち非教員22)の検挙、「治安維持法違反」による起訴29名という大規模なものとなります。
 これによって、組織的な新興教育運動は事実上解体しましたが、この取締りに乗じて、多少とも批判的、自由主義的思想をもつ教員を締め出し、軍国主義教育の地固めをしたとされ、マスコミがセンセーショナルに報じたので、全国に強い衝撃を与えることとなりました。尚、これに関連して、全国で検挙された教員は、1929~33年までに41道府県、98件、計700名以上に及んだとされます。
 これ以外にも、思想弾圧事件は各所で起こり、その中で軍国主義が高まり、日中戦争から太平洋戦争へと向かっていきました。

〇戦前(1933~45年)の思想弾圧事件関係略年表

<1933年(昭和8)>
・1月 大塚金之助、河上肇の検挙。
・2月4日 二・四事件(教員赤化事件)―長野県下で共産党シンパとされた教員の一斉検挙が開始される
・2月20日 小林多喜二、検挙され警視庁築地署で虐殺される
・4月まで 教員赤化事件で65校138名が検挙される
・4月22日 鳩山一郎文相が京都帝国大学法学部教授滝川幸辰の辞職を要求(滝川事件の始まり)
・8月11日 桐生悠々、信濃毎日新聞に「関東防空大演習を嗤う」を掲載、その後問題化し、桐生は退社に追い込まれる
・9月13日 日本労農弁護士団が検挙される
・11月8日 東京商科大学が大塚金之助を免官する
・11月28日 共産党委員長野呂栄太郎が検挙される[翌1934年2月19日:獄死]

<1934年(昭和9)>
・5月2日 「出版法」改正が公布される[皇室の尊厳冒涜・安寧秩序妨害への取締強化]
・6月1日 文部省に思想局を設置する
・10月 陸軍パンフレット事件が起きる

<1935年(昭和10)>
・2月18日 貴族院議員菊地武夫、美濃部達吉の議員辞職を要求(天皇機関説事件の始まり)
・4月9日 美濃部達吉の主著が発禁となる
・8月3日 第1次国体明徴声明が出される
・9月18日 美濃部が貴族院議員を辞職する
・10月15日 第2次国体明徴声明が出される
・12月8日 大本教の出口王仁三郎ら幹部30余名逮捕(第二次大本事件)

<1936年(昭和11)>

・3月13日 大本教が結社禁止となる
・3月24日 内務省がメーデー禁止を通達する
・5月28日 「思想犯保護観察法」が公布される
・5月28日 「不穏文書臨時取締法」が公布される
・7月10日 山田盛太郎・平野義太郎・小林良正ら講座派研究者および左翼文化団体関係者の一斉検挙(コム・アカデミー事件)
・9月28日 ひとのみち教団(現パーフェクト・リバティー教団)幹部が検挙される
・11月29日 新興仏教青年同盟の妹尾義郎が検挙される

<1937年(昭和12)>
・4月28日 ひとのみち教団(現パーフェクト・リバティー教団)が結社禁止となる
・10月20日 新興仏教青年同盟の幹部12名検挙、計29名が起訴される
・11月8日 中井正一・新村猛ら『世界文化』同人の一斉検挙開始される
・11月24日 東京帝国大学経済学部長・土方成美、矢内原忠雄教授の言論活動を非難する(矢内原事件)
・12月4日 東京帝国大学矢内原忠雄教授が辞職する
・12月15日 山川均・猪俣津南雄らの労農派および加藤勘十・鈴木茂三郎らの左派社会民主主義者を417名検挙する(第1次人民戦線事件)
・12月22日 日本無産党および日本労働組合全国評議会が結社禁止となる

<1938年(昭和13)>
・2月1日 大内兵衛・美濃部亮吉ら労農派教授11名ほか24名が検挙される(第2次人民戦線事件)
・2月17日 防共護国団員が「国家総動員法」に慎重姿勢を示す政友党、民政党本部を占拠(政党本部推参事件)
・2月18日 『中央公論』3月号掲載の石川達三「生きてゐる兵隊」が発禁となる
・3月3日 安部磯雄襲撃事件が起きる
・3月11日 社会大衆党代議士西尾末広の政府激励演説が問題化する
・3月24日 社会大衆党代議士西尾末広が議員除名となる
・9月13日 「日本共産主義者団」の春日庄次郎ら一斉検挙される
・10月5日 東京帝大経済学部教授河合栄治郎の主著が発禁となる(河合栄治郎事件)
・10月 京浜工業地帯の労働者による研究会への弾圧、講師の企画院属・芝寛が逮捕(京浜労働者グループ事件)
・11月21日 ほんみち教団が弾圧される
・11月29日 岡邦雄・戸坂潤・永田広志・新島繁ら唯物論研究会の幹部35名が検挙される(唯物論研究会事件)

<1939年(昭和14)>
・1月28日 東京帝大総長平賀譲、河合栄治郎および土方成美両教授の休職を文相に上申、両陣営の賛同者が同措置に抗議して多数辞職(平賀粛学事件)
・3月25日 「軍事資源秘密保護法」が公布される
・4月8日 「宗教団体法」が公布される
・6月21日 明石順三ら計130名の一斉検挙(灯台社への弾圧)
・8月27日 灯台社が結社禁止となる

<1940年(昭和15)>
・1月24日 唯物論研究会関係の第二次検挙(12名)
・1月11日 津田左右吉が右翼の攻撃により早稲田大学教授を辞任する
・2月2日 斎藤隆夫代議士の戦争政策を批判した衆議院での演説が問題化する(反軍演説事件)
・2月6日 生活綴方運動への弾圧開始、村山俊太郎らが検挙される
・2月12日 津田左右吉の主著『神代史の研究』などが発禁となる
・2月14日 『京大俳句』『山脈』など俳句誌、俳人の弾圧が始まる(新興俳句弾圧事件)
・3月7日 斎藤隆夫代議士に対して、議員除名処分がなされる
・3月8日 津田左右吉が起訴される
・8月 プロテスタント(メソジスト)系キリスト教会・救世軍が弾圧される
・8月25日 賀川豊彦、反戦平和論により憲兵隊に拘引される

<1941年(昭和16)> 
・1月 調査官の稲葉秀三・正木千冬・佐多忠隆が検挙される(企画院事件の始まり)
・3月10日 「治安維持法」全面改正が公布される[予防拘禁制度の新設]
・4月 和田博雄・勝間田清一・和田耕作らが検挙される
・5月15日 予防拘禁所が設置される
・10月15日 尾崎秀実が検挙される(ゾルゲ・尾崎事件の始まり)
・10月18日 リヒャルト・ゾルゲが検挙される
・12月9日 全国の「治安維持法」違反被疑者・要視察人・予防拘禁予定者計396名を検挙・検束・仮収容する
・12月19日 「言論出版集会結社等臨時取締法」が公布される

<1942年(昭和17)>
・4月24日 尾崎行雄が選挙演説で不敬罪で起訴される
・6月29日 中西功ら上海反戦グループ(「中共諜報団」)が検挙される
・9月12日 細川嘉六著「世界史の動向と日本」を掲載した『改造』が発禁となる(横浜事件の始まり)
・9月14日 細川嘉六が検挙される
・9月 世界経済調査会の川田寿・定子夫妻が神奈川県警察部特高課に検挙される
・9月21日 満鉄調査部の具島兼三郎・大上末広らが検挙される(満鉄調査部事件)

<1943年(昭和18)>
・1月1日 中野正剛著の「戦時宰相論」を掲載した朝日新聞が発禁となる
・3月13日 「戦時刑事特別法」が公布される
・3月15日 名和統一教授および急進的学生グループなど20名が検挙される(大阪商大事件)
・3月15日 『中央公論』掲載の谷崎潤一郎著「細雪」が連載禁止となる
・5月26日 細川および中央公論社・改造社社員の会合を共産党再建会議と見なし検挙開始(泊事件)
・6月3日 鹿児島県警察部特高課長・奥野誠亮が主導したフレームアップにより俳句誌『きりしま』の同人3名を始め総勢37名を治安維持法違反で検挙(きりしま事件)
・6月20日 創価教育学会(現・創価学会)の牧口常三郎・戸田城聖らが検挙される
・7月 伊藤武雄・石堂清倫らが検挙される

<1944年(昭和19)>
・1月29日 日本評論社・岩波書店・朝日新聞社の編集者、昭和塾関係者が検挙(合計49名)される
・2月23日 毎日新聞「竹槍では間に合わぬ」の記事で差し押さえ(竹槍事件)
・7月10日 『中央公論』、『改造』に廃刊命令が出される
・11月7日 リヒャルト・ゾルゲが処刑される
・11月18日 牧口常三郎が獄死する

<1945年(昭和20)>
・2月 戦争敗北の流言が広まり東京で1月以来40余件が送検される
・8月9日 戸坂潤が獄死する
・9月2日 日本政府が降伏文書に調印、連合国軍による占領が開始される
・9月10日 GHQが検閲を始める
・9月19日 GHQがプレスコードを指令する
・9月26日 三木清が獄死する
・9月27日 GHQが日本政府による検閲を停止させ、新聞等を自らの支配下に置く
・10月4日 GHQ/SCAP、「政治・信教・民権の自由制限撤廃の覚書」を発表、「治安維持法」廃止を指令する
・10月10日 政治犯約3,000名が釈放される
・10月15日 「治安維持法」、「治安警察法」、「思想犯保護観察法」などが廃止され、特高警察官が罷免される

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