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 今日は、大正時代の1925年(大正14)に、第50帝国議会衆議院本会議において、加藤高明首相による「普通選挙法提案理由」説明が行われた日です。 
 「普通選挙法」(ふつうせんきょほう)は、大正時代の1925年(大正14)に、加藤高明内閣によって制定された、成年男子による普通選挙を規定する、改正「衆議院議員選挙法」(大正14年5月5日法律第47号)の通称でした。
 日本の近代的選挙法は、1889年(明治22)の「衆議院議員選挙法」に始まりましたが、選挙権は①日本臣民の男子で年齢満25歳以上、②選挙人名簿調製の期日より前満1年以上その府県内に本籍を定め居住し引き続き居住している、③選挙人名簿調製の期日より前満1年以上その府県内において直接国税15円以上を納め引き続き納めている、という要件がある制限瀬選挙となります。その後納税資格は、1900年(明治33)の改正で直接国税10円以上、1919年(大正8)の改正で直接国税3円以上となり、徐々に選挙権も拡大されていきました。
 大正デモクラシーの中、普通選挙運動が高揚し、第50帝国議会(1924年12月~1925年3月)で、1925年(大正14)1月22日に加藤高明首相による「普通選挙法提案理由」説明が行われ、いろいろと議論された上、3月2日に衆議院で修正可決、3月26日に貴族院で修正可決され、「衆議院議員選挙法」改正(通称:普通選挙法)が公布されます。これによって、満25歳以上の男子はすべて有権者となり、同30歳以上の男子に被選挙権が与えられましたが、「貧困ニ因リ生活ノ為公私ノ救助ヲ受ケ又ハ扶助ヲ受クル者」「一定ノ住居ヲ有セサル者」などの最下層民衆や「華族ノ戸主」および現役軍人などには与えられず、また植民地の人民も除外され、また、選挙運動には全面的規制がなされました。
 その結果、有権者数は1920年(大正9年)5月現在で307万人程度(人口に対し約5.5%)であったものが、改正後の1928年(昭和3年)3月には1,240万人(人口に対し20.1%)へと4倍に拡大されます。これに基づいて、1928年(昭和3年)2月20日に第16回衆議院選挙が実施され、立憲政友会が218議席、立憲民政党が216議席を得ましたが、無産政党も8議席(社会民衆党4議席、労働農民党2議席、日本労農党1議席、九州民憲党1議席)を獲得しました。
 尚、地方議会についても、1926年(大正15)6月の府県制、市制、町村制の改正により、ほぼ同様の普通選挙制が採用され、満25歳以上の男子はすべて有権者となります。しかし、当時の女性には参政権はなく、女性は「普選より婦選へ」をスローガンに婦人参政権を要求して運動を展開したものの、それが実現するのは、太平洋戦争後の1945年(昭和20)12月の改正「衆議院議員選挙法」成立によってで、翌年4月戦後最初の総選挙より、20歳以上の男女に選挙権が与えられてからとなりました。
 以下に、「加藤高明首相にの普通選挙法提案理由」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「加藤高明首相の普通選挙法提案理由」 1925年(大正14)1月22日衆議院本会議にて

 諸君恭しく考えまするに先帝が維新の宏謨を定め給いてより我国諸般の施設は実に驚くべき速度を以て進んだのであります。明治五年には学制が頒布せられ六年には徴兵令に依り国民皆兵の制が創始せられ、八年には元老院及び地方官会議が設けられ十四年に至っては国会開設が宣布せられる等その革新の程度は真に世界史上類例の稀なるところでありまして遂に明治二十二年を以って大憲が制定せられいよいよ立憲の制が実施せられることとなったのであります。恭しく案じまするに憲法御制定の終極の御趣旨は広く国民をして大政に参与せしめられ普く国民をして国家の進運を扶持せしめらるるにありと信じます。学生頒布以来実に五十余年を経ましたる今日に国民の智見も大いに進み、国民教育の普及並に程度に至っては世界列強に比して別に遜色ありとも考えられないのであります。徴兵令に依り国民皆兵の制が行われて以来亦五十年、その間数回の対外戦争をも経、国民は義勇奉公の誠を致し国家防護の責を尽すの実績を挙げたと見るに十分なりと信ずるのであります。因より自治の創始以来国民が政治的試練を経たることこれまた五十年に近いのでありまして、政治的責任の自覚及びその普及に至っても誠に徹底せるものありと認むるものであり、近時に至り普通選挙制の鬱然として与論の大勢を為すに至りましたことは誠に偶然でないと云わねばなりませぬ。政府はこの時代精神の嚮う所に鑑み広く国民をして国家の義務を負担せしめ普く国民をして政治上の責任に参加せしめ以って国運発展の衝に当らしめるが刻下最も急務なりと認めるのであります。斯かる趣旨より致しまして普通選挙制を骨子とする衆議院議員選挙法改正案を提出致為した次第であります。扨て又近時選挙を実見致しするに各種の悪弊百出し殆んどその極に達したりと見られることがあります。斯くの如くにして改めるところなくんば適材は候補たるを忌避するに至り随って議院全般の品位低落となり、憲政前途のため誠に憂慮に堪えないのであります。就中選挙費用の濫増は最も著しきものの一つであります。政府はこれ等弊害を矯正して選挙の公正を期するの途を立て選挙費用の低下を図りて選良を衆議院に網羅するの方法を講ずるは立憲政治をして健全なる発達を遂げしむる所以なりと信じ、これらに関する規則に対し根本的に改革を施すの必要を認めたのであります。これらの趣旨を以て衆議院議員選挙法全般に亙る改正案を提出いたしました、何卒御審議の上御協賛を乞う次第であります。

   「大阪朝日新聞」記事より

〇「普選法の国会通過」(抄文)

顧みれば普選案の衆議院上程は今日まで六回に及んでいる。第一回は第四十二議会、‥‥‥六回目の今回にいたって漸くものになったわけだ。‥‥‥普選の実施は何といっても我が憲政史上、画期的な重要事である。国会開設に次での有意義な出来事で、民権発達史上、特筆大書さるべきである。不公平にして不道理な制限選挙のために、折角立憲の聖代に生まれながら、参政権利を拒絶されて、君民同治の恩沢に浴することのできなかった国民の大部分が、これによって、いよ/\その力を政治生活、社会生活の上に合理的に、合法的にのばし、得ることになるのである。無産者として社会の下積みにされてゐた階級のうちから、新しい元気と精気とが‥‥‥発散され、新しい活動と創造との力を生み、国の命となり、社会の柱となって、無限に国礎を固め、国運を拓いて行くであらう。‥‥‥兎に角新しい時代の夜明けが迫ろうとしている。大正維新の第一歩を踏みだした訳である。
  
  「大阪朝日新聞」1925年(大正14)3月3日付社説より

〇改正「衆議院議員選挙法」(通称:普通選挙法)抜粋

第五条 帝国臣民たる男子にして年齢満二十五年以上の者は選挙権を有す。
     帝国臣民たる男子にして年齢満三十年以上の者は被選挙権を有す。

第六条 左に掲くる者は選挙権及被選挙権を有せず。
 三、貧困に因り生活の為公私の救助を受け又は扶助を受くる者
 四、一定の住居を有せざる者
    大正十四年五月五日

☆衆議院選挙の選挙権の推移

・1889年(明治22)の「衆議院議員選挙法」制定当初、次の資格を満たす者とされる
 ①日本臣民の男子で年齢満25歳以上
 ②選挙人名簿調製の期日より前満1年以上その府県内に本籍を定め居住し引き続き居住している
 ③選挙人名簿調製の期日より前満1年以上その府県内において直接国税15円以上を納め引き続き納めている
・1900年(明治33)の改正「衆議院議員選挙法」により次の資格を満たす者となる
 ①帝国臣民たる男子で年齢満25歳以上
 ②選挙人名簿調製の期日より前満1年以上その選挙区内に住居を有し引き続き有する
 ③選挙人名簿調製の期日より前満1年以上地租10円以上又は満2年以上地租以外の直接国税10円以上若しくは地租とその他の直接国税とを通して10円以上を納め引き続き納めている
・1919年(大正8)の改正「衆議院議員選挙法」により、直接国税3円以上納付の満25歳以上の男子に改められる
・1925年(大正14)の改正「衆議院議員選挙法」(通称:普通選挙法)により納税資格が撤廃され、満25歳以上の男子となる
・1945年(昭和20)の改正「衆議院議員選挙法」により20歳以上の男女に選挙権が拡大され、婦人参政権が認められる
・2015年(平成27)の「公職選挙法等の一部を改正する法律」により、選挙権が満20年以上から満18年以上に改められる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1893年(明治26)歌舞伎狂言作者河竹黙阿弥の命日詳細
1929年(昭和4)日本プロレタリア美術家同盟(AR)が結成される詳細
1941年(昭和16)「人口政策確立要綱」を閣議決定し、1夫婦の出産目標数を平均5児とする詳細
1993年(平成5)小説家・劇作家・演出家安部公房の命日詳細