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 今日は、江戸時代前期の1653年(承応2)に、江戸幕府が、町人・清右衛門が建議した多摩川からの江戸への導水路(玉川上水)の着工を許可した日ですが、新暦では2月10日となります。
 玉川上水(たまがわじょうすい)は、かつて江戸市中へ飲料水を供給していた用水路で、神田上水、千川上水と共に江戸三上水の一つでした。江戸幕府第4代将軍徳川家綱の時代の1653年 (承応2) に、町人・清右衛門の建議を受けて、同年4月4日に庄右衛門・清右衛門兄弟が、多摩川中流羽村と四谷大木戸間の水路を着工します。
 2度の失敗を経て、総奉行松平信綱のもとに1654年(承応3年6月20日)に、この区間が竣工し、翌年に四谷大木戸から江戸城虎ノ門前までが完成しました。これ以後は、配水路が次々に延長されていって、江戸の南部方面に配水されます。
 多摩川の水を羽村(現在の東京都羽村市)で取水し、拝島-立川-武蔵境-下高井戸-四谷大木戸 (現在の東京都新宿区)間の約43kmは、自然流下により導水する開渠で、ここからは、石樋や木管で江戸城・武家屋敷・庶民の居住地等に給水されました。その後、野火止(のびどめ)、青山、三田、千川の各分水が設けられ、飲料水あるいは灌漑用水として利用されます。
 庄右衛門・清右衛門は、この功績により玉川姓を許され、玉川上水役のお役目を命じられ、その経営を請け負って、玉川両家で世襲されました。しかし、1739年(元文4)両家とも役を罷免され、以後同上水は幕府の直営となります。
 明治時代になっても使用され、1898年(明治31)に東京に改良水道が完成した後も、1965年(昭和40)まで淀橋浄水場への導水路として利用され、現在は立川市砂川から東村山市浄水場へ送水されるようになりました。これに伴い、小平地点より下流部分は流水がとだえましたが、東京都の施策により1986年(昭和61)に清流が復活し、開渠部分の約30.4kmが、2003年(平成15)に国の史跡に指定されます。
 以下に、1895年(明治28)4月建立の「水道碑記」(所在地:東京都新宿区内藤町87)の原文を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「水道碑記」1895年(明治28)建立(所在地:東京都新宿区内藤町87)

<原文>

(表面)
                従三位侯爵徳川家達篆額
詩曰瞻彼洛矣維水泱泱聖人之設都也以水為急蓋以人須水不可一日欠也徳川氏之開府
于江戸也諸侯会同工商簇聚者殆一百万地窄不能尽容乃塡海為陸而地無清泉民龥渇将
軍秀忠深患之乃親騎旁索四郊多摩郡有一沼水觱沸嘗之味甘大悦乃命工人浚汚泥鑿田
畝東導四里有半至関口村置閘築堰導至小石川埋石地下作闇溝踰神田川至小川街分為
両岐一過東神田瀉柳原溝一至神田橋分注城内百邸本流踰竜閑橋過常盤橋外到京橋此
間分二派一注銀街馬喰街入浅草溝一注本街折至堀留過小舟小網街至箱崎入大河人民
各捐私金自引地下闇溝如布網千区百街無処不注是為神田水道将軍自命曰井頭謂市井
之源也而水猶未足将軍家綱更開玉川水道玉川発源甲斐山梨郡東流三十八里入海家綱
擢市尹神尾備前幹事備前挙川傍富民荘左門清右門二人不別設官吏二人精工事測道遠
近度地高低預算経費六千五百両備器具傭役夫承応三年四月既肇羽村鑿渠八尺広十二
尺設閘若干以備暴溢之虞東導十余里至四谷費用不足二人以私金継之不復稟求埋木桶
作闇溝一如井頭水道至麴街分四流一下赤阪至虎門外分之三方東者入桜田門注西城外
諸区瀉呉服橋南者泝京橋滙八町堀木挽街入大河西者注芝百街入金杉海第二流注平河
永田霞関数街第三第四流入半蔵門一注西城一入大城為官園瀑布風光添趣余流環為城
溝十一月工事告竣闇溝長若干埋木桶若干無一所欠家綱嘉賞賜二人姓玉川給禄二百石
列之士伍云嗚呼水道之益于都下実莫大旱不枯雨不溢源源混混灕然不止三百年于今民
不病一日之渇且此水流遠性和百万人民不病癩疾疥癬為恵也大如玉川二氏尽力于此不
少為労亦捐金無吝色其事為後法其利及百世可謂偉也若神田水道雖有粗記之者不悉費
金多寡及役夫之数不可得而審為可惜焉余閲旧志略知其顚末恐歳月之久功績湮没後人
無可考因不顧不文乃記其大概与同志者合力刻石以垂不朽云
明治十八年四月              薩摩   肝付兼武撰
              内閣大書記官従五位勲五等金井之恭書
                             井亀泉刻字


(裏面)
 水道記念碑之裏銘
此碑成矣碑之告成原是所
出於良人西座真治之発起
也真治徇業而不惜斡旋多
年支出不貲有志之醵金不
充真治資力尽不董業而逝
焉真治臨死無他事遺妾以
此一事妾感奮鏤肺醵私財
以建設之時在明治廿八年
臘之某日嗚呼妾之微衷慰
霊於九泉之下併記発起之
誰何云爾
  未亡西座ふく識之

☆玉川上水関係略年表(日付は旧暦です)

・1653年 (承応2年1月13日) 江戸幕府が、町人・清右衛門が建議した多摩川からの江戸への導水路(玉川上水)の着工を許可する
・1653年 (承応2年4月4日) 庄右衛門・清右衛門兄弟が多摩川中流羽村と四谷大木戸間の水路を着工する
・1654年(承応3年6月20日) 総奉行松平信綱のもとにに、羽村~四谷大木戸間が竣工する
・1655年(明暦元) 四谷大木戸から江戸城虎ノ門前までが完成する
・1655年(明暦元) 分水の一つ、野火止用水が開削される
・1659年(万治2) 維持管理費用として水上修復料銀の徴収が始まる
・1660年(万治3) 分水の一つ、青山上水が開設される
・1664年(寛文4) 分水の一つ、三田上水が開削される
・1696年(元禄9) 分水の一つ、千川上水が完工する
・1739年(元文4) 玉川両家が共に玉川上水役を罷免され、以後同上水は幕府の直営となる
・1898年(明治31) 東京に改良水道が完成する
・1901年(明治34) 東京の上水用としては廃止される
・1965年(昭和40) 淀橋浄水場廃止まで、導水路として利用される
・1986年(昭和61) 東京都の施策により、小平地点より下流部分の清流が復活する
・2003年(平成15) 開渠部分の約30.4kmが国の史跡に指定される

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