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 今日は、昭和時代後期の1966年(昭和41)に、青森県三沢市において、三沢大火の発生した日です。
 三沢大火(みさわたいか)は、青森県三沢市中央町二丁目の中心部繁華街の一角から、14時14分頃に出火、西寄りの強風(最大瞬間風速26m/s)に煽られ、空気が乾燥していたことも重なって、目抜き通りの商店街をひと舐めにし、さらに南と東に亘って延焼が拡大しました。地元や近隣の消防に加えて、米軍三沢基地や航空自衛隊三沢基地の消防隊も参加して消火に当たり、ようやく19時55分に鎮火します。
 これによって、三沢市中心部の商店街など約10.8haが焼き尽くされ、幸い死者はなかったものの、負傷者26名を出し、商店や住宅など450棟が焼失、745世帯2,352名が焼け出され、その損害額は15億6千5百60万円に達しました。この教訓を後世に伝えるため、被災1周年となる1967年(昭和42)1月11日の市民大会において、「無火災都市宣言」が採択されています。

〇「無火災都市宣言」 1967年(昭和42)1月11日

大火から1周年目を迎え、三沢市では全国に先がけて「無火災都市宣言」を採択した。

   三沢市無火災都市建設市民大会                

        宣     言

 昭和41年1月11日は、我々三沢市民の永久に忘れることのできない日であった。
 折からの風速23メートルの強風にあおられた火勢は我々のなすすべをかえりみず、逃げまどう者を追うごとく強まり、一瞬にして本市の中心街を焼野原と化し、焼失家屋399棟、被災世帯828世帯、被災人員2,152人のぼる未曾有の大火災害となったのである。
 あの言いようのない恐怖、戦慄、悲しみは筆舌に尽くしがたく、あたかも悪夢の如くいまだありありと思い起こされるのである。
 あれから1年、全国各地からの暖かい御援助と各関係機関の身にあまる御協力のもとに、あらゆる艱難辛苦を経て今日これまで復興し、再起の緒についたとは言え、その傷こんいまだいえず、その恐ろしさをまざまざと認識させられたことから、今あらためて無火災都市の建設を痛感するものである。
 本日、三沢市大火1周年を迎えるにあたり、我々は謙虚に大火のよってきたる原因を反省し、全国民の暖かい御支援に感謝しつつ、尊い人命と心血を注いで築きあげた貴重な財産を火災から護り、住みよい街をつくるため市民一丸となって無火災都市建設に邁進するものである。

 右三沢市無火災都市建設市民大会の名において宣言する。

 昭和42年1月11日
    三沢市無火災都市建設市民大会

☆太平洋戦争後の日本の大火(400棟以上の焼失で、地震によるものを除く)

・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
 死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1947年(昭和22)4月29日 - 那珂湊大火(茨城県那珂郡那珂湊町)
 焼失戸数1,210戸、焼失家屋1,508棟、被災人口6,080名
・1947年(昭和22年)5月16日 - 空知炭鉱大規模火災(北海道歌志内市)
 開墾で野焼きをしていた火が燃え広がり付近の住宅地へ類焼、977戸488棟が全半焼。
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
 死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1950年(昭和25)4月13日 - 熱海大火(静岡県熱海市)
 死者なし、負傷者979名、全焼戸数979棟、延焼面積約13ha、罹災世帯1,461世帯5,745名、被害総額54億7千万円
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
 死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451人
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
 死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 新潟大火(新潟県新潟市)
 行方不明者1名、負傷者175名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
 死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
 死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名
・1958年(昭和33年)12月27日 - 古仁屋大火(鹿児島県大島郡瀬戸内町)
 焼失戸数1,628戸、罹災者5,300人余名
・1961年(昭和36年)5月29日 - 白銀大火(青森県八戸市)
 焼失家屋700棟、焼失面積約30ha、被災人口5,000人、被害総額約25億円
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
 死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1966年(昭和41年)1月11日 - 三沢大火(青森県三沢市)
 死者なし、負傷者26名、焼失家屋450棟、焼失面積約10.8ha、被災人口2,352名、被害総額15億6千万円強
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
 死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円した日です。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

708年(和銅元)武蔵国秩父郡から朝廷に銅が献上され、記念して和銅改元がされる(新暦2月7日)詳細
1938年(昭和13)御前会議で「支那事変処理根本方針」が決定される詳細
1964年(昭和39)伊豆大島大火で584棟418戸が焼失する詳細
1974年(昭和49)劇作家・小説家山本有三の命日(1.11忌)詳細