今日は、大正時代の1926年(大正15)に、劇作家協会と小説家協会が合併して、文藝家協会が設立された日です。
文藝家協会(ぶんげいかきょうかい)は、1920年(大正9)発足の劇作家協会と1921年(大正10)発足の小説家協会とが合併して設立された、文芸を職業とする者の職能団体でした。初代会長は菊池寛が就任し、1934年(昭和9)には、社団法人となりましたが、1942年(昭和17)5月26日の日本文学報国会の創立に伴い、解散しています。
太平洋戦争後の1945年(昭和20)12月に、日本文藝家協会として再発足(会長:菊池寛)し、翌年には社団法人となり、1948年(昭和23)から理事長制をとり、会長・理事長の二本立てになりました。税対策、著作権、債権、言論表現の自由など様々な分野に渡り、文芸家の権利と利益の擁護を目的として活動を展開します。
1953年(昭和28)に、文芸美術国民健康保険組合を設立、チャタレイ裁判(1951~57年)被告の擁護、1957年(昭和32)に「原水爆実験禁止を世界各国の文学者諸君に訴う」という声明を発表、1960年(昭和35)に安保反対に取り組み、国語国字改革運動に反対声明を出すなど多彩な活動を行いました。また、1964年(昭和39)に日本文芸著作権保護同盟を発足させ、1969年(昭和44)に静岡県駿東郡小山町の冨士霊園内に、文学者之墓を建立するなど文学者の著作権の確立、福利増進、課税の適正化を目ざして尽力します。
菊池寛に続いて、広津和郎(1949~51年)、青野季吉(1951~61年)、丹羽文雄(1961~72年)、山本健吉(1972~84年)が会長に就きましたが、1984年(昭和59)には会長職が廃止されました。1990年(平成2)には、永山則夫連続射殺事件の犯人である永山則夫の入会拒否問題をめぐる対立をきっかけに、柄谷行人、中上健次、筒井康隆、井口時男らが抗議のため脱会しています。
2003年(平成15)に協会内に著作権管理部を設立し、解散した日本文芸著作権保護同盟の著作権管理業務を引き継ぎ、特定非営利活動法人・日本文藝著作権センターを設立、2011年(平成23)には、公益法人改革により、公益社団法人となりました。2020年(令和2)6月現在の代表は林真理子理事長で、文芸家である会員と、著作権継承者である準会員によって構成され、会員数は2,269名、著作権管理委託者数は3,780名となっています。
太平洋戦争後の1945年(昭和20)12月に、日本文藝家協会として再発足(会長:菊池寛)し、翌年には社団法人となり、1948年(昭和23)から理事長制をとり、会長・理事長の二本立てになりました。税対策、著作権、債権、言論表現の自由など様々な分野に渡り、文芸家の権利と利益の擁護を目的として活動を展開します。
1953年(昭和28)に、文芸美術国民健康保険組合を設立、チャタレイ裁判(1951~57年)被告の擁護、1957年(昭和32)に「原水爆実験禁止を世界各国の文学者諸君に訴う」という声明を発表、1960年(昭和35)に安保反対に取り組み、国語国字改革運動に反対声明を出すなど多彩な活動を行いました。また、1964年(昭和39)に日本文芸著作権保護同盟を発足させ、1969年(昭和44)に静岡県駿東郡小山町の冨士霊園内に、文学者之墓を建立するなど文学者の著作権の確立、福利増進、課税の適正化を目ざして尽力します。
菊池寛に続いて、広津和郎(1949~51年)、青野季吉(1951~61年)、丹羽文雄(1961~72年)、山本健吉(1972~84年)が会長に就きましたが、1984年(昭和59)には会長職が廃止されました。1990年(平成2)には、永山則夫連続射殺事件の犯人である永山則夫の入会拒否問題をめぐる対立をきっかけに、柄谷行人、中上健次、筒井康隆、井口時男らが抗議のため脱会しています。
2003年(平成15)に協会内に著作権管理部を設立し、解散した日本文芸著作権保護同盟の著作権管理業務を引き継ぎ、特定非営利活動法人・日本文藝著作権センターを設立、2011年(平成23)には、公益法人改革により、公益社団法人となりました。2020年(令和2)6月現在の代表は林真理子理事長で、文芸家である会員と、著作権継承者である準会員によって構成され、会員数は2,269名、著作権管理委託者数は3,780名となっています。
〇文藝家協会関係略年表
・1920年(大正9) 劇作家協会が発足する
・1921年(大正10) 小説家協会が発足する
・1926年(大正15)1月7日 劇作家協会と小説家協会が合併して文藝家協会が設立される。(初代会長:菊池寛)
・1934年(昭和9) 社団法人となる
・1942年(昭和17)5月26日 日本文学報国会の創立に伴い解散する
・1945年(昭和20)12月 日本文藝家協会として再発足する(会長:菊池寛)
・1946年(昭和21) 社団法人となる
・1948年(昭和23) 理事長制をとり、会長・理事長の二本立てになる
・1953年(昭和28) 文芸美術国民健康保険組合が設立される
・1957年(昭和32)4月 「原水爆実験禁止を世界各国の文学者諸君に訴う」という日本文芸家協会声明が出される
・1960年(昭和35) 安保反対に取り組む
・1964年(昭和39) 日本文芸著作権保護同盟を発足させる
・1969年(昭和44)11月6日 静岡県駿東郡小山町の冨士霊園内に、文学者之墓を建立する
・1984年(昭和59) 会長職が廃止される
・1990年(平成2) 永山則夫連続射殺事件の犯人である永山則夫の入会拒否問題をめぐる対立をきっかけに、柄谷行人、中上健次、筒井康隆、井口時男らが抗議のため脱会する
・2003年(平成15)10月 協会内に著作権管理部を設立し、解散した日本文芸著作権保護同盟の著作権管理業務を引き継ぎ、特定非営利活動法人・日本文藝著作権センターを設立する