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 今日は、奈良時代の757年(天平宝字元)に、皇族・公卿・歌人橘諸兄が亡くなった日ですが、新暦では1月30日となります。
 橘諸兄(たちばな の もろえ)は、684年(天武13)に、敏達天皇の玄孫で、従四位下の美努(みぬ)王の子(母は県犬養橘三千代)として生まれましたが、最初は葛城王と称しました。710年(和銅3)に無位から従五位下に叙され、翌年に馬寮監に任ぜられると、以後累進して、724年(神亀元)に聖武天皇の即位後間もなく、従四位下に昇叙されます。
 729年(神亀6)の「長屋王の変」後に行われたの叙位にて正四位下に昇叙され、続いて左大弁に任ぜられ、731年(天平3)には、藤原宇合、麻呂らと共に諸司の挙によって、参議に任ぜられ、公卿に列しました。732年(天平4)に従三位に昇叙し、736年(天平8)には、弟の作為王と共に、朝廷に請うて臣籍に降り、母の氏姓橘宿禰姓を賜わって、名を諸兄と改めます。
 737年(天平9)に天然痘の流行による藤原4卿(武智麻呂、房前、宇合、麻呂) の急死によって、大納言に任ぜられ、翌年に正三位・右大臣、翌々年には従二位に昇叙され、唐から帰国した玄昉や吉備真備らを顧問に起用しました。740年(天平12)秋に、大宰少弐の藤原広嗣が九州で大軍を率いて反乱(藤原広嗣の乱)を起こすと、鎮圧後に恭仁京を都と定められ、その遷都に尽力します。
 741年(天平13)に聖武天皇によって「国分寺建立の詔」が出され、743年(天平15)には、「墾田永年私財法」、「大仏造立の詔」が出され、それにあたりました。同年に従一位・左大臣に叙任されたものの、744年(天平15)に恭仁京の造営が中止され、翌年には難波宮行幸があり、諸兄の宣で難波を皇都とする詔が出されましたが、745年(天平17)には、平城京に還都し、諸兄の遷都計画は失敗に帰します。
 749年(天平感宝元)の東大寺行幸に際し、正一位に昇叙されて、翌年に朝臣の姓を賜るなど全盛を極めたものの、藤原仲麻呂の台頭によって、しだいに実権を失っていきました。755年(天平勝宝7年11月)に祗承人佐味宮守に、太上天皇不予の際、飲酒の庭で礼なしと告訴されると、翌年には辞職を申し出て致仕します。
 歌人としても知られ、『万葉集』に7首所載されましたが、757年(天平宝字元年1月6日)に失意のうちに、数え年74歳で亡くなりました。

<橘諸兄の代表的な和歌>

・「降る雪の白髪(しろかみ)までに大君に仕へまつれば貴くもあるか」(万葉集)
・「あぢさゐの八重咲くごとく弥つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ」(万葉集)
・「高山の巌に生ふる菅の根のねもころごろに降り置く白雪」(万葉集)

〇橘諸兄関係略年表(日付は旧暦です)

・684年(天武13年) 敏達(びだつ)天皇の玄孫で従四位下の美努(みぬ)王の子(母は県犬養橘三千代)として生まれる
・710年(和銅3年1月) 無位から従五位下に叙される
・711年(和銅4年12月) 馬寮監に任ぜられる
・717年(霊亀3年1月) 従五位上に昇叙される
・721年(養老5年1月) 正五位下に昇叙される
・723年(養老7年1月) 正五位上に昇叙される
・724年(神亀元年2月) 聖武天皇の即位後間もなく従四位下に昇叙される
・729年(神亀6年2月13日) 長屋王が自殺する(長屋王の変)
・729年(神亀6年3月) 長屋王の変後に行われたの叙位にて、正四位下に昇叙される
・729年(神亀6年9月) 左大弁に任ぜられる 
・731年(天平3年8月) 藤原宇合、麻呂らとともに諸司の挙によって、参議に任ぜられ、公卿に列する
・732年(天平4年1月) 従三位に昇叙される
・736年(天平8年11月) 弟の作為王と共に、朝廷に請うて臣籍に降り、母の氏姓橘宿禰姓を賜わって、名を諸兄と改める
・737年(天平9年9月) 天然痘の流行による藤原4卿の急死によって、大納言に任ぜられる
・738年(天平10年1月) 正三位に昇叙され、右大臣に任ぜられる
・739年(天平11年1月) 従二位に昇叙される
・740年(天平12年)秋 大宰少弐の)藤原広嗣が九州で大軍を率いて反乱(藤原広嗣の乱)を起こす
・740年(天平12年12月15日) 恭仁京を都と定める 
・741年(天平13年3月24日) 聖武天皇が「国分寺建立の詔」を出す
・743年(天平15年5月27日) 「墾田永年私財法」が制定される 
・743年(天平15年10月15日) 聖武天皇が「大仏造立の詔」を出す 
・743年(天平15年5月) 従一位に昇叙され、左大臣に任ぜられる
・744年(天平15年12月26日) 恭仁京の造営を中止する 
・744年(天平16年2月26日) 難波(なにわ)宮行幸があり、諸兄の宣で難波を皇都とする詔が出される
・745年(天平17年)頃 諸兄の子息・奈良麻呂が長屋王の遺児である黄文王を擁立して謀反の企図を始める
・745年(天平17年5月1日) 平城京に還都し、諸兄の遷都計画は失敗に帰する 
・749年(天平感宝元年4月) 東大寺行幸に際し、正一位に昇叙される
・749年(天平勝宝元年7月2日) 聖武天皇が譲位し、安倍内親王が孝謙天皇として即位する
・750年(天平勝宝2年1月) 朝臣の姓を賜る  
・752年(天平勝宝4年4月9日) 大仏開眼供養会が開催される 
・755年(天平勝宝7年11月) 祗承人佐味宮守に、太上天皇不予の際、飲酒の庭で礼なしと告訴される
・756年(天平勝宝8年2月) 辞職を申し出て致仕する
・756年(天平勝宝8年5月2日) 聖武上皇が崩御し、道祖王が立太子する 
・757年(天平宝字元年1月6日) 失意のうちに数え年74歳で亡くなる

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