ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2021年12月

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 今日は、昭和時代前期の1942年(昭和17)に、昭和天皇臨席の第9回御前会議で、「大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針」が決定された日です。
 「大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針」(だいとうあせんそうかんすいのためのたいししょりこんぽんほうしん)は、太平洋戦争開戦から1年が過ぎた、昭和天皇臨席の第9回御前会議で決定された、太平洋戦争における主に中国対策に関する方針でした。その主要な方向は、「国民政府参戦ヲ以テ日支間局面打開ノ一大転機トシ、日支提携ノ根本精神ニ則リ専ラ国民政府(注:汪兆銘政府のこと)ノ政治力ヲ強化」し、重慶の国民党政府(蒋介石政権)や対アメリカ・イギリスとの戦争を遂行して行こうとするものです。
 具体的には、①国民政府の政治力强化(汪兆銘政府との間での「戦争遂行に関する日華共同宣言」の締結および租界還付および治外法権撤廃等の協定など)、②経済政策(戰爭完遂上必要な物資獲得の增大を主眼とする生産の増強)、③対重慶方策(蒋介石国民党政府とは一切の和平工作をしない)、④戦略方策(今までの方針による)とからなっていました。これに基づいて、翌年1月9日に、中国の南京において、重光葵全権大使と南京政府(汪兆銘政府)との間に、「日華共同宣言」がなされ、両国がアメリカ、イギリスに対する共同の戦争を完遂するために軍事、政治、経済上完全に協力することとし、同時に「租界還付および治外法権撤廃等に関する日華協定」が調印されています。
 同日に、南京政府(汪兆銘政府)はアメリカ、イギリス両国に宣戦を布告、これに対し、アメリカ、イギリス両国は国民党政府(蒋介石政権)との間に新条約を締結、在華特権を放棄して対処することになりました。
 
〇「大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針」 (全文)  1942年(昭和17)12月21日御前会議決定 

大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針

第一 方針 

一、帝國ハ、國民政府參戰ヲ以テ日支間局面打開ノ一大轉機トシ、日支提携ノ根本精神ニ則リ專ラ國民政府ノ政治力ヲ强化スルト共ニ、重慶抗日ノ根據名目ノ覆減ヲ圖リ眞ニ更新支那ト一體戰爭完遂ニ邁進ス 

二、世界戰局ノ推移ト睨合セ米英側反攻ノ最高潮ニ達スルニ先チ前項方針ニ基ク對支諸施設ノ結實ヲ圖ル 

第二 要領 

一、國民政府ノ政治力强化 
  (イ)帝國ハ國民政府ニ對シ、勉メテ干涉ヲ避ケ極力ソノ自發的活動ヲ促進ス 
 (ロ)極力占據地域內ニ於ケル地方的特殊性ヲ調整シ國民政府ノ地方政府ニ對スル指導ヲ强化セシム 
 (ハ)支那ニ於ケル租界、治外法權ソノ他特異ノ諸事態ハ、支那ノ主權及領土尊重ノ趣旨ニ基キ速ニ之カ撤廢乃至調整ヲ圖ル、九龍租借地ノ處理ニ關シテハ、香港ト併セ別途之ヲ定ム 
 (ニ)國民政府ヲシテ、不動ノ決意ト信念トヲ以テ各般ニ亘リ自彊ノ途ヲ講セシメ廣ク民心ヲ獲得シ、特ニ戰爭完遂ノ爲必要トスル生產ノ增强、戰爭目的ニ對スル官民認識ノ普及並ニ治安維持ノ强化等ノ確實ナル具現ヲ圖リ、戰爭協力ニ徹底遺憾ナカラシム 
 (ホ)帝國ハ、將來國民政府ノ充實强化並ニソノ對日協力ノ具現等ニ照應シ、適時日華基本條約及附屬取極ニ所要ノ修正ヲ加ウルコトヲ考慮ス 

二、經濟政策 

  (イ)當面ノ對支經濟施策ハ、戰爭完遂上必要トスル物資獲得ノ增大ヲ主眼トシ、占據地域內ニ於ケル緊要物資ノ重點的開發取得並ニ敵方物資ノ積極的獲得ヲ圖ル 
 (ロ)經濟施策ノ實行ニ當リテハ、勉メテ日本側ノ獨占ヲ戒ムルト共ニ、支那側官民ノ責任ト創意トヲ活用シ、ソノ積極的對日協力ノ實ヲ具現セシム 

三、對重慶方策 

  (イ)帝國ハ、重慶ニ對シ之ヲ對手トスル一切ノ和平工作ヲ行ハス 
    狀勢變化シ、和平工作ヲ行ハントスル場合ハ別ニ之ヲ決定ス 
 (ロ)國民政府ヲシテ、右帝國ノ態度ニ順應セシム 

四、戰略方策 

  帝國ノ對支戰略方策ハ、旣定方針ニ據ル

         「日本外交年表竝主要文書 下巻」外務省偏より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1854年(安政2)「日露和親条約」が締結される(新暦1855年2月7日)詳細
1917年(大正6)大之浦炭鉱(福岡県)でガス爆発事故があり、死者・行方不明者369人を出す詳細
1943年(昭和18)東條内閣が「都市疎開実施要綱」を閣議決定する詳細
1946年(昭和21)昭和南海地震(M8.0)が起き、死者1,443人を出す詳細
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 今日は、昭和時代中期の1947年(昭和22)に、社会党首班政権である片山哲内閣の下で、「臨時石炭鉱業管理法」(昭和22年法律第219号)が公布(施行は翌年4月1日)された日です。
 「臨時石炭鉱業管理法」(りんじせきたんこうぎょうかんりほう)は、炭鉱を国家管理する3年の時限立法でした。太平洋戦争敗戦後、日本での生産復興をめぐって、石炭増産を中心に据えて復興を図っていこうとし、そのために石炭産業の国家管理を打ち出したものです。
 1947年(昭和22)9月に、社会党首班政権である片山内閣によって法案が国会に提出されましたが、国家管理される炭鉱主側が反発が強く、保守系会派と結んで抵抗した結果、生産現場の国家直接管理の方針は撤回され、経営者を通じた間接管理に修正され、炭鉱自体の経営権に触れる条項はなくなりました。その上で、一時的に石炭産業を政府の管理下に置き、商工省の下に石炭庁を設置、北海道札幌市、福島県平市(現在のいわき市)、山口県宇部市、福岡県福岡市に石炭局を置き、商工省・石炭局に諮問機関を置いて、政府指定の特定炭鉱で、政府が決定した事業計画の実施を強制する一方で、必要物資を優先的に調達するというものとなります。
 そして、3年間の時限立法(1948年4月1日~)とされて、同年12月に修正案がようやく成立しました。その後、1948年(昭和23)10月15日の芦田均内閣崩壊による社会党下野によって廃止論が優勢となり、1950年(昭和25)5月20日に期限を半年余り残して、廃止されています。
 以下に、「臨時石炭鉱業管理法」(昭和22年法律第219号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「臨時石炭鉱業管理法」(昭和22年法律第219号)

第一章 総則

第一条 この法律は、産業の復興と経済の安定に至るまでの緊急措置として、政府において石炭鉱業を臨時に管理し、以て政府、経営者及び従業者がその全力をあげて石炭の増産を達成することを目的とする。

第二条 この法律で炭鉱とは、石炭の堀採を目的とする事業場(これに附属する事業場を含む。)をいう。

第三条 商工大臣その他この法律の施行の責に任ずる官吏及び炭鉱管理委員会の委員は、炭鉱の事業主が、生産協議会の議を経て定められた事項以外の事項について、炭鉱の従業者が組織する労働組合法に規定する労働組合と団体交渉をする権限と責任を尊重しなければならない。

第四条 この法律の規定に基いてした命令その他の処分及びこの法律の規定に基いて炭鉱の事業主がした行為は、炭鉱の事業主の承継人に対してもその効力を有する。

第二章 炭鉱の管理

第五条 炭鉱の事業主は、命令の定めるところにより、その経営する炭鉱ごとに毎年度の予定事業計画及び毎四半期の事業計画を作成して、所轄石炭局長に届け出なければならない。予定事業計画又は事業計画を変更したときも同様である。
  石炭局長は、必要があると認めるときには、地方炭鉱管理委員会に諮つて、前項の事業計画の変更を命ずることができる。
  事業主は、前項の命令が著しく不当であると認めるときには、商工大臣に対して不服の申立をすることができる。
  商工大臣は、全国炭鉱管理委員会に諮つて、前項の申立を理由があると認めるときは、当該石炭局長に対して当該命令を取り消し、又は変更すべきことを命じなければならない。

第六条 炭鉱の事業主は、政府の監督に従い、事業計画の実施の責に任ずる。

第七条 炭鉱の事業主は、命令の定めるところにより、事業計画の実施状況を所轄石炭局長に報告しなければならない。

第八条 石炭庁長官又は石炭局長は、炭鉱の事業主の業務の状況に関し必要な報告をさせ、又は当該の官吏をして生産拡充用の資金及び資材の使途、生産の状況並びに拡充工事の達成状況に関して、監査させることができる。
  前項の規定により当該の官吏に監査させる場合には、その身分を示す証票を携帯させなければならない。

第九条 この法律の規定による報告又は監査に基き必要があると認めるときには、石炭庁長官は、全国炭鉱管理委員会に、石炭局長は、地方炭鉱管理委員会に諮つて、炭鉱の事業主に対し、監督上必要な命令をすることができる。

第十条 炭鉱の事業主は、商工大臣の許可を受けなければ、その経営する石炭鉱業の全部又は一部を廃止し、又は休止してはならない。
  商工大臣は、前項の許可をしようとするときには、全国炭鉱管理委員会に諮らなければならない。

第十一条 石炭鉱業の全部若しくは一部の賃貸、譲渡若しくは経営の委任又は炭鉱の事業主である会社の合併若しくは解散は、商工大臣の認可を受けなければ、その効力を生じない。
  商工大臣は、前項の認可をしようとするときには、全国炭鉱管理委員会に諮らなければならない。

第十二条 特に必要があると認めるときには、石炭庁長官は、全国炭鉱管理委員会に、石炭局長は、地方炭鉱管理委員会に諮つて、炭鉱の事業主に対し、その所有する設備又は資材を他の炭鉱の事業主に譲渡し、又は貸し渡すべきことを命ずることができる。
  前項の規定により命令を受けた者は、他の法令の規定にかかわらず、譲り渡し、又は貸し渡すことができる。
  第一項の場合における譲渡又は貸渡の条件は、当事者間の協議によりこれを定める。協議が調わないとき、又は協議をすることができないときには、石炭庁長官又は石炭局長が、これを裁定する。
  前項の裁定中対価について不服のある者は、その裁定の通知を受けた日から三十日以内に、訴を以てその金額の増減を請求することができる。
  前項の訴においては、譲渡又は貸渡の当事者を被告とする。
  第一項の規定による命令をする場合におけるその担保の処理その他必要な事項は、命令でこれを定める。

第三章 指定炭鉱の管理

 第一節 指定炭鉱の指定

第十三条 商工大臣は、全国炭鉱管理委員会に諮つて、前章の規定によるの外、この章の規定による管理を行うべき炭鉱(指定炭鉱)を指定する。
  前項の規定による指定の基準は、能率、生産費、品位、出炭量等に基いて、これを毎六箇月に定めるものとする。
  第一項の規定による指定は、告示により、これを行う。

第十四条 商工大臣は、指定炭鉱について、この章の規定による管理を行う必要がなくなつたと認めるときには、全国炭鉱管理委員会に諮つて、その指定を取り消すことができる。
  前条第三項の規定は、前項の場合に、これを準用する。

 第二節 業務計画

第十五条 指定炭鉱の事業主は、第十七条の規定により、当該指定炭鉱につき、毎四半期の詳細な事業計画(業務計画)の案を作成し、所轄石炭局長に提出するものとする。
  指定炭鉱については、前章中事業計画に関する規定は、これを適用しない。

第十六条 石炭局長は、地方炭鉱管理委員会に諮つて、指定炭鉱ごとにその業務計画の案の作成上基準となるべき事項を定めて、これを当該指定炭鉱の事業主に指示しなければならない。

第十七条 前条の規定による指示があつたときには、その指示に従い、命令の定めるところにより、指定炭鉱の事業主は、炭鉱管理者をして業務計画の案を作成せしめ、所轄石炭局長に提出しなければならない。
  炭鉱管理者は、前項の案を作成する場合には、生産協議会の議を経なければならない。
  前項の場合において、生産協議会の議を経ることができないときには、事業主は、当該業務計画の案を作成して提出するとともに、命令の定めるところにより、その旨を所轄石炭局長に報告しなければならない。

第十八条 石炭局長は、前条第一項又は第三項の規定による業務計画の案の提出があつたときには、これを審査した上で、地方炭鉱管理委員会に諮つて、当該指定炭鉱の業務計画を決定し、これを指定炭鉱の事業主及び炭鉱管理者に指示しなければならない。
  前項の規定による指示があるまでは、事業主は、前条第一項又は第三項の規定により所轄石炭局長に提出した業務計画の案により、指定炭鉱の業務を行わなければならない。

第十九条 指定炭鉱の事業主は、やむを得ない事由により前条第一項の業務計画を変更する必要があると認めるときには、命令の定めるところにより、所轄石炭局長に、業務計画の変更案を提出することができる。
  第十七条の規定は、前項の場合に、これを準用する。
  石炭局長は、第一項の規定により業務計画の変更案の提出があつた場合において、業務計画を変更する必要があると認めるときには、遅滞なく、地方炭鉱管理委員会に諮つて、業務計画を変更し、これを事業主及び炭鉱管理者に指示しなければならない。
  石炭局長は、特に必要があると認めるときには、地方炭鉱管理委員会に諮つて、指定炭鉱の業務計画を変更し、これを事業主及び炭鉱管理者に指示することができる。

第二十条 石炭局長は、指定炭鉱の業務計画の実施上必要があると認めるときには、地方炭鉱管理委員会に諮つて、指定炭鉱の事業主に対し、監督上必要な命令をし、又は必要な指示をすることができる。
  指定炭鉱の事業主又は炭鉱管理者は、前項の命令又は指示に不服があるときには、命令の定めるところにより、商工大臣に対して、不服の申立をすることができる。
  商工大臣は、全国炭鉱管理委員会に諮つて、前項の申立を理由があると認めるときには、当該石炭局長に対して、当該命令又は指示を取り消し、又は変更すべきことを命じなければならない。

第二十一条 指定炭鉱の事業主は、命令の定めるところにより、業務計画の実施状況を所轄石炭局長に報告しなければならない。

 第三節 炭鉱管理者

第二十二条 指定炭鉱の事業主は、指定炭鉱の指定があつたとき、又は炭鉱管理者が欠けたときには、遅滞なく、指定炭鉱ごとに炭鉱管理者一人を選任しなければならない。
  事業主は、前項の規定による選任をしたときには、その旨を商工大臣に届け出なければならない。

第二十三条 炭鉱管理者は、所轄石炭局長の監督を受け、当該炭鉱の最高能率の発揮を目途として、業務計画の実施の責に任ずる。

第二十四条 生産協議会の委員の定数の過半数に相当する委員が、炭鉱管理者を著しく不適任であると認めるときには、その旨を、所轄石炭局長を経由して、商工大臣に申し立てることができる。この場合には、商工大臣は、指定炭鉱の事業主の意見を徴した上で、全国炭鉱管理委員会に諮つて、事業主に対し、当該炭鉱管理者を解任すべきことを命ずることができる。
  商工大臣は、炭鉱管理者が著しく不適任であると認めるときには、事業主の意見を徴した上で、全国炭鉱管理委員会に諮つて、事業主に対し、当該炭鉱管理者を解任すべきことを命ずることができる。

第二十五条 指定炭鉱の事業主は、業務計画の実施に関し、命令の定めるところにより、必要な権限を炭鉱管理者に委任しなければならない。

 第四節 生産協議会

第二十六条 指定炭鉱ごとに生産協議会を置く。

第二十七条 生産協議会は、炭鉱管理者及び委員で、これを組織する。
  委員は、業務委員及び労働委員とし、各々同数とする。
  生産協議会の議長は、炭鉱管理者を以て、これに充てる。

第二十八条 生産協議会の委員の数は、命令の定めるところにより、炭鉱管理者が、これを定める。
  炭鉱管理者は、必要があると認めるときには、生産協議会の議を経て、委員の数を増加し、又は減少することができる。但し、委員の数を減少するのは、委員の任期の満了した際に限る。
  前二項の場合においては、炭鉱管理者は、遅滞なく、委員の数を、適当な方法で、公示しなければならない。

第二十九条 業務委員は、当該指定炭鉱の業務に従事する者の中から、炭鉱管理者が、これを選任する。
  労働委員は、当該指定炭鉱の坑内従業者三坑外従業者二の比率とし、指定炭鉱の従業者の過数が労働組合を組織している場合において、その労働組合の数が一であるときにはその推薦により、労働組合の数が二以上であるときには、それらの労働組合の共同の推薦により、労働組合の推薦がない場合及び指定炭鉱の従業者の過半数が労働組合を組織していない場合には、当該指定炭鉱の従業者又はこれを代表する従業者の過半数の推薦により、炭鉱管理者が、これを選任する。
  前項の従業者には、指定炭鉱の事業主の利益を代表すると認められる者を含まない。
  第二項で労働組合とは、指定炭鉱ごとに組織する労働組合法に規定する労働組合をいう。
  業務委員と労働委員とは、互にこれを兼ね、又は代理することができない。

第三十条 生産協議会の委員の選任は、第二十八条第一項の場合又は委員の任期が満了した場合には、同条第三項の規定による公示があつた日又は委員の任期が満了した日から二週間以内に全員につき同時に、委員が欠けた場合又は同条第二項の規定により委員の数が増加した場合には、委員が欠けた日又は同条第三項の規定による公示があつた日から二週間以内に、これを行わなければならない。

第三十一条 生産協議会の委員の任期は、一年とする。但し、補欠委員及び第二十八条第二項の規定により委員の数が増加した際にあらたに選任された委員の任期は、他の委員の残任期間と同一とする。

第三十二条 生産協議会の委員の選任が行われたときには、炭鉱管理者は、遅滞なく、その委員の氏名を所轄石炭局長に届け出なければならない。

第三十三条 生産協議会は、議長がこれを招集し、その議事は、出席した委員の過半数でこれを決する。但し、第三十五条第一項但書の場合には、出席した委員全員で、これを決する。

  生産協議会は、業務委員及び労働委員各々一人以上が出席しなければ、議事を開くことができない。

  議長は、いかなる場合においても、議決に加わることができない。

第三十四条 炭鉱管理者は、業務計画の実施に関し、左に掲げる事項の基本について、生産協議会の議を経てこれを定めなければならない。
 一 作業計画に関する事項
 二 労働能率の向上又は作業条件の合理化に関する事項
 三 労働条件の適正化に関する事項
 四 労働力の保全に関する事項
 五 安全保特に関する事項
  炭鉱管理者は、前項の場合を除くの外、業務計画の実施に関し必要と認める事項について、生産協議会の議を経てこれを定めることができる。
  第二十条第一項の命令又は指示を受けた事項については、前二項の規定は、これを適用しない。
  生産協議会は、第一項又は第二項に規定する審議のため必要があると認めるときには、指定炭鉱の事業主に対して、事業の経理内容に関する報告を求めることができる。

第三十五条 炭鉱管理者は、前条第一項又は第二項の場合において、生産協議会の議を経ることができないときには、命令の定めるところにより、所轄石炭局長の裁定を求めることができる。但し、労働条件の適正化その他従業者の待遇に関する事項については、石炭局長の裁定を求めることにつき、生産協議会の議を経た場合に限る。
  前項の規定による石炭局長の裁定は、地方炭鉱管理委員会に諮つて、これを行わなければならない。
  第一項但書の事項について、石炭局長の裁定を求めることにつき、生産協議会の議を経ることができない場合の処置については、労働関係調整法の定めるところによる。

第三十六条 この法律及びこの法律に基いて発する命令に定めるものの外、生産協議会に関し必要な事項は、生産協議会の議を経て、炭鉱管理者が、これを定める。

 第五節 雑則

第三十七条 指定炭鉱の事業主である会社は、商工大臣の認可を受けなければ、利益金を処分することができない。

第三十八条 特に必要があると認めるときには、石炭庁長官は、全国炭鉱管理委員会に、石炭局長は、地方炭鉱管理委員会に諮つて、指定炭鉱の事業主に対し、指定炭鉱の設備の新設、拡張若しくは改良又は新坑の開発若しくは坑道の掘進を命ずることができる。
  指定炭鉱の事業主は、前項の命令が著しく不当であると認めるときには、命令の定めるところにより、商工大臣に対して、不服の申立をすることができる。
  商工大臣は、全国炭鉱管理委員会に諮つて、前項の申立を理由があると認めるときには、石炭庁長官又は当該石炭局長に対して、当該命令を取り消し、又は変更すべきことを命じなければならない。

第四章 協力命令

第三十九条 主務大臣は、特に必要があると認めるときには、石炭の生産に要する物資の生産又は販売の事業を営む者に対して、その所有する物資を、炭鉱の事業主に譲り渡すべきことを命ずることができる。
  主務大臣は、特に必要があると認めるときには、遊休設備の所有者に対して、当該設備を、炭鉱の事業主に譲り渡し、又は貸し渡すべきことを命ずることができる。
  主務大臣は、特に必要があると認めるときには、左に掲げる事業を営む者に対して、炭鉱の事業主の業務に必要な機械の修理、工事の施行又は貨物の運送若しくは取扱に関し必要な命令をすることができる。
 一 機械の修理の事業
 二 土木、建築その他工作物の建設(改造及び修理を含む。)の事業
 三 貨物の運送又は取扱の事業

  第十二条第二項乃至第六項の規定は、前三項の場合に、これを準用する。但し、同条第三項中「石炭庁長官又は石炭局長」とあるのは、「主務大臣」と読み替えるものとする。

第五章 損失の補償

第四十条 政府は、この法律の規定に基いてした命令又は指示に因り損失を受けた者に対して、その損失を補償する。
  前項の規定により補償すべき損失は、通常生ずべき損失とする。
  第一項の規定による補償を伴うべき命令又は指示は、これによつて必要となる補償金の総額が国会の議決を経た予算の金額を超えない範囲内で、これをしなければならない。
  第一項の規定による補償の金額は、商工大臣が、大蔵大臣に協議して、石炭鉱業損失補償審査会の議を経てこれを定める。
  前項の石炭鉱業損失補償審査会に関する事項は、政令でこれを定める。
  前五項に定めるものの外、損失の補償に関し必要な事項は、命令でこれを定める。

第六章 石炭局

第四十一条 この法律の施行に関する事務その他石炭の生産に関する事務を掌らしめるため、石炭局を置く。
  石炭局は、商工大臣の管理に属する。

第四十二条 石炭局の名称、位置及び管轄区域は、別表の通りとする。

第四十三条 石炭局に左の職員を置く。
  局長
  局員
  主事
  局員及び主事の定数は、各石炭局ごとに、商工大臣が、これを定める。

第四十四条 局長は、石炭の生産に関し学識経験ある一級の商工事務官又は商工技官を以て、これに充てる。
  局長は、商工大臣(石炭庁長官の権限に属する事項については石炭庁長官)の指揮監督を受け、局中全般の事務を掌理する。
  局長に事故があるとき、又は局長が欠けたときには、商工大臣の指定する局員が、臨時に、局長の職務を行う。

第四十五条 局長は、所部の職員を指揮監督し、三級官吏の進退を行う。

第四十六条 局員は、石炭の生産に関し学識経験ある者又は一級若しくは二級の商工事務官若しくは商工技官の中から、商工大臣が、これを命ずる。
  局員は、局長の命を受け、局務を掌る。
  第四十三条第二項の規定による各石炭局の局員の定数の過半数に相当する局員は、石炭の生産に関し学識経験ある者及び石炭の生産に関し学識経験ある官吏の中から、命ぜられた者でなければならない。

第四十七条 主事は、三級の商工事務官又は商工技官の中から、これを命ずる。
  主事は、上司の指揮を受け、局務に従事する。

第四十八条 官吏でなくて局員を命ぜられた者の服務については、官吏服務紀律を準用する。

第四十九条 商工大臣は、石炭局の局務の一部を分掌させるため、必要に応じ、石炭局の支局を置くことができる。
  支局の名称、位置及び管轄区域は、商工大臣が、全国炭鉱管理委員会に諮つて、これを定める。

第七章 炭鉱管理委員会

第五十条 炭鉱管理委員会は、全国炭鉱管理委員会及び地方炭鉱管理委員会とする。
  全国炭鉱管理委員会は、商工省にこれを置く。
  地方炭鉱管理委員会は、石炭局ごとにこれを置き、当該石炭局の名称を冠する。
  全国炭鉱管理委員会は、商工大臣の、地方炭鉱管理委員会は、石炭局長の監督に属する。

第五十一条 全国炭鉱管理委員会は、この法律の他の規定によりその権限に属せしめられた事項を調査審議するの外、商工大臣又は石炭庁長官の諮問に応じ、石炭の生産に関する左の事項を調査審議する。
 一 石炭鉱業の管理の運営方針に関する事項
 二 石炭の生産に関する計画に関する事項
 三 石炭鉱業の最高能率発揮に関する事項
  地方炭鉱管理委員会は、この法律の他の規定によりその権限に属せしめられた事項を調査審議するの外、石炭局長の諮問に応じ、石炭の生産に関する前項各号の事項を調査審議する。
  炭鉱管理委員会は、石炭の生産に関する事項について、関係行政庁に建議することができる。

第五十二条 全国炭鉱管理委員会は、会長一人、委員三十人、特別委員若干人及び臨事委員若干人で、これを組織する。
  地方炭鉱管理委員会は、会長一人、委員四十五人以内及び特別委員若干人で、これを組織する。

第五十三条 全国炭鉱管理委員会の会長は、商工大臣を以て、これに充てる。
  全国炭鉱管理委員会の委員は、石炭の生産に関し学識経験ある者五人、炭鉱の事業主を代表する者十人、炭鉱の従業者(炭鉱の事業主の利益を代表すると認められる者を除く。)を代表する者十人及び石炭の需要者を代表する者五人とし、商工大臣が、これを命ずる。
  商工大臣は、必要があると認めるときには、石炭鉱業と密接な関係を有する事業を代表する者を、臨時委員として依嘱することができる。

第五十四条 地方炭鉱管理委員会の会長は、石炭局長を以て、これに充てる。
  地方炭鉱管理委員会の委員は、石炭の生産に関し学識経験ある者五人以内、当該石炭局管轄区域内の炭鉱の事業主を代表する者二十人以内、当該石炭局管轄区域内の炭鉱の従業者(事業主の利益を代表すると認められる者を除く。)を代表する者二十人以内とし、石炭局長が、これを命ずる。
  前項の規定による炭鉱の従業者を代表する委員は、坑内従業者三坑外従業者二の比率とする。

第五十五条 炭鉱管理委員会の会長は、労働能率の向上に関する事項その他炭鉱管理委員会の所掌事項に係る事門的事項を分掌させるため、労働事門部会その他の専門部会を置くことができる。
  地方炭鉱管理委員会の会長は、地方炭鉱管理委員会の所掌事項のうち地区的事項を分掌させるため、石炭局の支局ごとに、地区部会を置くことができる。
  地方炭鉱管理委員会は、その定めるところにより、地区部会の決議を以て、地方炭鉱管理委員会の決議に代えることができる。

第五十六条 商工大臣又は石炭局長は、関係官公吏の中から特別委員を依嘱することができる。

第五十七条 特別委員及び臨時委員は議決権を有しない。

第五十八条 この法律に定めるものの外、炭鉱管理委員会に関し必要な事項は、命令でこれを定める。

第八章 罰則

第五十九条 左の各号の一に該当する指定炭鉱の事業主(事業主が法人である場合には、その違反行為をした代表者)は、これを三年以下の懲役又は三万円以下の罰金に処する。
 一 第九条に規定する石炭庁長官又は石炭局長の監督上の命令に違反した者
 二 第十条第一項の規定に違反した者
 三 第十二条第一項に規定する石炭庁長官又は石炭局長の命令に違反した者
 四 第二十条第一項に規定する石炭局長の監督上の命令に違反した者
 五 第三十八条第一項に規定する石炭庁長官又は石炭局長の命令に違反した者

第六十条 第三十七条の違反があつた場合においては、その違反行為をした会社の代表者は、これを一年以下の懲役又は一万円以下の罰金に処する。

第六十一条 第八条の規定による当該の官吏の監査を拒み、妨げ、又は忌避した者は、これを六箇月以下の懲役又は五千円以下の罰金に処する。

第六十二条 左の各号の一に該当する者(法人である場合には、その違反行為をした代表者)は、これを一万円以下の過料に処する。
 一 第五条第一項の規定に違反して、予定事業計画又は事業計画を届け出なかつた者
 二 第七条、第八条第一項又は第二十一条の規定に違反して、報告を怠り、又は虚偽の報告をした者
 三 第九条に規定する石炭庁長官又は石炭局長の監督上の命令に違反した者(第五十九条の規定により処罰される者を除く。)
 四 第十条第一項の規定に違反した者(第五十九条の規定により処罰される者を除く。)
 五 第十二条第一項に規定する石炭庁長官又は石炭局長の命令に違反した者(第五十九条の規定により処罰される者を除く。)
 六 第十七条第一項又は第三項の規定に違反して業務計画の案を提出しなかつた者
 七 第二十二条第二項の規定による炭鉱管理者の選任を届け出なかつた者
 八 第二十四条の規定による解任の命令に違反した者
 九 第三十九条第一項、第二項又は第三項に規定する主務大臣の命令に違反した者

附 則

第六十三条 この法律施行の期日は、昭和二十三年四月一日とする。

第六十四条 この法律の有効期間は、この法律の施行の日から、三年とする。但し、その期間満了の際における経済事情により特に必要があるときには、これを延長することができる。
  前項の場合について必要な事項は、法律でこれを定める。

 別 表
名称位置管理区域
札幌石炭局札幌市北海道
平石炭局平市青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 東京都 茨城県 群馬県 栃木県 埼玉県 千葉県 神奈川県 山梨県 新潟県 長野県 岐阜県 愛知県 静岡県 三重県 富山県 石川県
宇部石炭局宇部市滋賀県 京都府 大阪府 兵庫県 奈良県 和歌山県 福井県 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県
福岡石炭局福岡市福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県

   「衆議院ホームページ」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1879年(明治12)青森県の尻屋崎灯台に日本初の霧笛(霧信号所)が設置された(霧笛記念日)詳細
1930年(昭和5)岡崎駅~多治見駅間・瀬戸記念橋駅~高蔵寺駅間で省営自動車(国鉄バスの前身)が運行開始される詳細
1962年(昭和37)首都高速道路初の開通区間である京橋~芝浦間(4.5km)が開通する詳細
1984年(昭和59)小説家藤原審爾の命日詳細
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 今日は、南北朝時代の元中8年/明徳2年に、守護大名一族・山名氏清・満幸が室町幕府に叛乱(明徳の乱)を起こした日ですが、新暦では1392年1月13日となります。
 明徳の乱(めいとくのらん)は、南北朝時代の1391年(元中8/明徳2)に山名氏(山名氏清、山名満幸等)が室町幕府に対して起こした反乱でした。山名氏は、この頃一族で11か国の守護職をして勢力を振るい、六分一殿と呼ばれていて、室町幕府3代将軍足利義満はその勢力を抑えるため、山名氏の内紛に乗じて、山名満幸を丹波に追放します。
 しかし、満幸は妻の父氏清と結び、山陰の兵を率いて挙兵することになりました。それに対し、室町幕府側は大内・細川・畠山らの兵を集めて戦い、山名氏清を敗死させ、満幸を敗走させます。これによって、山名氏の勢力は衰退することになり、翌年10月27日の足利義満による南北朝の合一(明徳の和約)の実現へと向かい、室町幕府の将軍の権威が確立しました。
 以下に、明徳の乱のことを記した『明徳記』の一部を抜粋して、現代語訳・注釈付で掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇『明徳記』より

山名満幸[1]、和泉へ馳越て[2]奥州[3]に申されけるは、『抑[4]近日京都の式法[5]何とか思召され候、只事[6]に触て此一門を亡ぼさるべき御結構[7]なり。其故は、去年は貴殿[8]・我等に仰付られて予州[9]の一跡[10]を失はる。当年は又彼等を御免[11]の上は、定て我等が讒訴[12]の所存[13]を此時彼等申開べし。さるに於ては又我等を御退治[14]の沙汰[15]に及ぶべし。所詮[16]、事体を案ずるに、当家世を取とも人驚にも侍らず、一族悉く同心[18]して分国[19]の勢を併せ方々より京都に責上[20]ば、今程誰か在京の大名の中に、味方と対揚[21]の合戦をも仕るべき。先ず京をだにも一度打随へなば、他家一族も大略[22]同心[18]こそ仕候はんずらめ。其外土岐[23]・富樫[24]を始として、近日世にせばめられ面目[25]を失者あまた侍れば、是等は最前に同意仕べし。(中略)時の儀に随ひて御旗を揚らるるの事、何の子細[27]か侍るべき』と終宵[28]かき口説[29]申されたり。

【注釈】

[1]山名満幸:やまなみつゆき=南北朝~室町時代の武将。山名師義の4男。丹後、出雲の守護。
[2]馳越て:はせこえて=馬で駈け越えてきて。
[3]奥州:おうしゅう=陸奥守山名氏清のこと。南北朝時代の武将で、山名時氏の4男。丹波、和泉、山城、但馬の守護。
[4]抑:そも=一体。さて。
[5]式法:しきほう=儀式・作法。また、定まった形式。特定のきまり。
[6]只事:ただごと=ふつうのこと。世のつねのこと。あたりまえのこと。
[7]結構:けっこう=心の中で、ある考えを作りかまえること。計画。意図。企て。
[8]貴殿:きでん=男性が目上または同等の男性に対して用いる。あなた。貴兄。貴堂。
[9]予州:よしゅう=伊予守山名時義のこと。美作国・伯耆国・但馬国・備後国守護で、第3代将軍足利義満から命じられた山名氏清・満幸らの追討を受けた。
[10]一跡:いっせき=後継ぎに譲る物のすべて。遺産。転じて全財産、身代。
[11]御免:ごめん=容赦、赦免することを、その動作主を敬っていう語。
[12]讒訴:ざんそ=他人をおとしいれようとして、事実を曲げて言いつけること。
[13]所存:しょぞん=心に思う所。考え。おもわく。
[14]退治:たいじ=こらしめたり殺したりして、害を与える者がいなくなるようにする。退治する。うちほろぼす。うちたいらげる。
[15]沙汰:さた=決定したことなどを知らせること。通知。また、命令・指示。下知。
[16]所詮:しょせん=詮ずるところ。つまるところ。要するに。結局。また、こうなったからには。
[18]同心:どうしん=ともに事にあたること。仕事を手伝うこと。また、戦闘で味方すること。
[19]分国:ぶんこく=守護や大名の領国。
[20]責上:せめあげ=徹底的に責める。
[21]対揚:たいよう=ある事柄や相手に応じること。あい対すること。
[22]大略:たいりゃく=おおよそ。大体。あらまし。
[23]土岐:とき=土岐康行のことで、美濃の乱で鎮圧された。
[24]富樫:とがし=富樫詮親のことで、明徳の乱に乗じて幕府に反抗して滅ぼされた。
[25]面目:めんもく=世間や周囲に対する体面・立場・名誉。また、世間からの評価。
[26]最前:さいぜん=いちばん先。真っ先。
[27]子細:しさい=特別の理由。こみいったわけ。
[28]終宵:しゅうしょう=一晩中。夜通し。終夜。
[29]口説:くどく=くどくどと繰り返していう。嘆きのことばを繰り返す。しつこくいう。

<現代語訳>

山名満幸は、和泉国へ馬で駈け越えてきて、山名氏清に言われたことは、『さて近頃の京都(室町幕府)のなされ方をどのように思われていますか、あたりまえの事にかこつけて、この一門を亡ぼそうとしている企てではないか。その理由は、去年はあなたと私たちにご命令されて山名時義の身代を失わせた。今年はまた彼等を赦免されたことに対しては、明らかに我等を陥れようとする考えであることをこの時彼等に申し開きするべきだ。その内に、また私たちをうち亡ぼすというご命令に及ぶことであろう。要するに、事体を思案するに、当家は代々人の驚にかしこまって控えるものではない、一族すべて力を合わせて領国の勢力を併せて、各方面より京都(室町幕府)を徹底的に責めたならば、今時、誰か在京の大名の中に、味方と相対する合戦をすることができようか。まず京都(室町幕府)だけでも一度打ち負かしてしまったならば、他家の一族も大方は味方してくれるのではないか。その他、土岐康行・富樫詮親をはじめとして、近頃に世間に肩身のせまい思いをさせられ面目をつぶされた者が多くあるので、これらは真っ先に同意してくれるであろう。(中略)時節に従って、錦の御旗を立てて戦を起こしとのことだが、どのような特別の理由かあったのか』と一晩中しつこく言われたことであった。

☆南北朝関係略年表(日付は旧暦です)

・1333年(正慶2/元弘3年5月22日) 鎌倉を落とし、得宗北条高時以下を自殺させて、鎌倉幕府が滅亡する
・1334年(建武元年1月) 建武の新政が行われる
・1335年(建武2年7月) 関東で北条時行の反乱(中先代の乱)を平定する
・1335年(建武2年10月) 足利尊氏が後醍醐天皇に叛いて挙兵する
 ※南北朝の対立が始まる
・1336年(建武2年12月11日) 箱根・竹ノ下の戦い(○足利軍×●新田軍)が起き、南北朝動乱が始まる
・1336年(延元元/建武3年5月25日) 湊川の戦い(○足利軍×●新田・楠木軍)で、楠木正成が戦死する
・1336年(延元元/建武3年5月29日) 尊氏方に京都が占領される
・1336年(延元元/建武3年8月) 光明天皇が擁立される
・1336年(延元元/建武3年10月13日) 恒良・尊良両親王を奉じて越前金ケ崎城に立て籠る
・1336年(延元元/建武3年11月) 足利尊氏により「建武式目」が制定される
・1337年(延元元/建武3年12月) 後醍醐天皇が吉野へ逃れる
・1337年(延元2/建武4年3月) 足利尊氏が高師泰に越前金ヶ崎城を攻略させる
・1338年(延元3/暦応元年3月6日) 越前金ヶ崎城が陥落する
・1338年(延元3/暦応元年5月) 足利尊氏が北畠顕家を堺の石津浜に敗死さる
・1338年(延元3/暦応元年閏7月2日) 足利尊氏が新田義貞を越前藤島の戦いにおいて戦死させる
・1338年(延元3/暦応元年8月) 足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられ、京都に室町幕府を開く
・1339年(延元4/暦応2年8月16日) 後醍醐天皇が亡くなる
・1341年(延元6/興国2年) 足利尊氏が天竜寺船を元に送る
・1348年(正平3/貞和4年1月) 四条畷の戦い(○高軍×●楠木軍)
・1349年(正平4/貞和5年9月) 足利尊氏が関東管領をおき、足利基氏をこれに任じる
 ※このころ倭寇が中国の沿岸を荒らす
・1350年(正平5/観応元年10月) 足利直義・直冬が足利尊氏に叛旗を翻す(観応の擾乱(~52))
・1351年(正平6/観応2年8月) 足利尊氏が直義派に対抗するために、子の義詮と共に南朝に降伏する(正平一統)
・1352年(正平7/観応3年2月) 南朝軍は約束を破って京都に侵入する
・1352年(正平7/観応3年2月26日) 足利尊氏が鎌倉へ入り、直義を殺害する
・1352年(正平7/観応3年7月) 観応半済令が出される
・1353年(正平8/観応4年6月) 足利直冬や山名時氏らの攻勢により、足利尊氏らが一時的に京都を奪われる
・1355年(正平10/観応6年1月) 再び、足利尊氏らが一時的に京都を奪われる
・1356年(正平11/延文元年8月23日) 足利義詮が従三位に昇叙する
・1358年(正平13/延文3年4月) 足利尊氏が亡くなる
・1359年(正平13/延文3年12月18日) 足利義詮が征夷大将軍に宣下され、室町幕府第2代将軍となる 
・1361年(正平16/延文6年) 細川清氏・畠山国清と対立した仁木義長が南朝へ降り、さらに執事(管領)の清氏までもが佐々木道誉の讒言のために離反して南朝へ降る
・1361年(正平16/康安元年) 南朝軍が入京する
・1362年(正平17/康安2年) 幕府・北朝側が京都を奪還する
・1362年(正平17/貞治元年7月) 清氏の失脚以来空席となっていた管領職に斯波義将が任命される
・1363年(正平18/貞治2年) 大内氏、山名氏が幕府に帰参して政権は安定化しはじめる
・1363年(正平18/貞治2年1月28日) 足利義詮が権大納言に転任する
・1363年(正平18/貞治2年) 大内弘世、山名時氏を帰服させて中国地方を統一する
・1363年(正平18/貞治2年7月29日) 足利義詮が従二位に昇叙、権大納言如元
・1365年(正平20/貞治4年2月) 三条坊門万里小路の新邸に移る
・1366年(正平21/貞治5年8月) 斯波氏が一時失脚すると細川頼之を管領に任命する(貞治の変)
・1367年(正平22/貞治6年1月5日) 足利義詮が正二位に昇叙する
・1367年(正平22/貞治6年11月) 足利義詮は死に臨み、側室紀良子との間に生まれた10歳の嫡男・義満に家督を譲り、細川頼之を管領に任じて後を託す
・1367年(正平22/貞治6年12月7日) 足利義詮が京都において、数え年38歳で亡くなる
・1368年(正平23/応安元年3月11日) 南朝の後村上天皇が亡くなる 
・1368年(正平23/応安元年6月17日) 「応安半済令」が出される
・1369年(正平23/応安元年12月30日) 足利義満が室町幕府第3代将軍に就任する
・1371年(建徳2/応安4年)以降 足利義満が今川了俊に九州を統一させる
・1372年(応安5/建徳3年) 足利義満が判始の式を行なう
・1378年(天授4/永和4年) 室町に新邸(花の御所)を造営して移住する
・1379年(天授5/康暦元年閏4月14日) 細川頼之に帰国が命じられ(康暦の政変)、斯波義将が管領となる
・1382年(弘和2/永徳2年1月26日) 足利義満が左大臣となる
・1382年(弘和2/永徳2年) 足利義満が開基として相国寺の建立を開始する
・1383年(弘和3/永徳3年1月14日) 足利義満が准三后宣下を受ける
・1386年(元中3/至徳3年) 足利義満が五山制度の大改革を断行、南禅寺を「五山の上」とする
・1388年(元中5/嘉慶2年) 足利義満が東国の景勝遊覧に出かける
・1390年(元中7/明徳元年閏3月) 美濃の乱で土岐康行が鎮圧される
・1391年(元中8/明徳2年12月) 明徳の乱で山名氏清が鎮圧される
・1392年(元中9/明徳3年10月27日) 足利義満が南北朝の合一(明徳の和約)を実現する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1596年(慶長元)豊臣秀吉の命で26人のカトリック信者(日本二十六聖人)が長崎で磔刑となる(新暦1597年2月5日)詳細
1876年(明治9)三重県飯野郡の農民が一揆(伊勢暴動)を起こす詳細
1941年(昭和16)「言論・出版・集会・結社等臨時取締法」が公布される詳細
1955年(昭和30)「原子力基本法」が公布される詳細
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nojima41
 今日は、幕末明治維新期の1869年(明治2)に、日本2番目の洋式灯台である野島埼灯台が初点灯した日ですが、新暦では1870年1月19日となります。
 野島埼灯台(のじまざきとうだい)は、房総半島最南端の千葉県安房郡白浜町の岬に立つ、白亜の八角形をした美しい大型灯台で、幕末の1866年(慶応2)5月に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税約書」(別名「江戸条約」)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台の一つでした。これらを条約灯台とも呼び、日本で最初に建設された一群の洋式灯台でもあります。
 これらが順次建設され、 観音崎灯台に続いて、日本で2番目に初点灯しましたが、野島崎は東京湾に出入りする船舶にとっては、昔からの重要ポイントでした。F・L・ヴェルニーを首長とするフランス人技師たちの設計によって建設された当初は、白色八角形のレンガ造灯台で、基礎から灯火までが30mの高さで、フランス製の第1等フレネル式レンズを使用した第1等灯台で、石油灯器の6,500カンデラだったそうです。
 しかしながら、関東大震災で、地上6mの所で折れて、大音響と共に倒壊してしまいました。 現在の白色塔形(八角形)コンクリート造 りの灯台は、その後1925年(大正14)8月15日に、再建されたものですが、1945年(昭和20)太平洋戦争の攻撃で大きな被害を受け、1946年(昭和21)11月12日に完全復旧したものです。
 尚、野島埼とあるは昔の書き方で、1962年(昭和37)に埼を崎と改め、サキをザキと呼ぶようになったそうですが、灯台の方は以前の呼び方のままとされてきました。現況は、灯塔高(地上~塔頂)29m、標高(平均海面~灯火)38m、第2等フレネル式レンズを使い、光度73万カンデラ(実効光度)で、光達距離は17海里(約32km)です。
 ここは、一般公開(有料大人200円)されている参観灯台で、上まで登ることができ、灯台上からは太平洋や遠く伊豆半島までも見渡せる、すばらしい眺望として知られてきました。また、灯台資料館(愛称「きらりん館」)が併設されていて、以前烏帽子島灯台で実際に使われていた第2等フレネル式の灯台レンズなど貴重な灯台関係資料も展示されています。
 1998年(平成10)11月1日には、第50回灯台記念日の行事として、「日本の灯台50選」にも選定されました。

〇「改税約書」(別名「江戸条約」)とは?

 幕末の1866年(慶応2年5月13日)に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国との間で結ばれた「安政五か国条約付属貿易章程」の改訂協約で、江戸において締結されたので、別名「江戸条約」とも呼ばれていました。
 1863年(文久3)に長州藩がアメリカ、フランス、オランダの船を砲撃した下関事件に関連して、1865年(慶応元年9月)に、兵庫沖に集結した四国連合艦隊 (英・仏・米・蘭) の威嚇により、4ヶ国は、上京していた第14代将軍徳川家茂に対し、長州藩の下関での外国船砲撃事件の償金の3分の2を放棄する代りに、1858年(安政5)に結んだ「修好通商条約」の勅許、兵庫開港、関税率低減を要求します。これに対し、幕府は兵庫開港延期の代償として、関税率の引下げ要求に応じるほかなくなりました。
 そして、輸入税に関して、「修好通商条約」の5~35%の従価税を廃止し、4ヵ年平均価格を原価とする一律5%を基準とする従量税とされ、きわめて不利な関税率となります。これによって、安価な外国商品が日本市場に流入し、産業資本の発達が厳しく阻害されることとなりました。その他、無税倉庫の設置や外国向け輸出品の国内運送非課税、貿易制限の撤去などがあわせて規定されます。
 この後、明治時代における条約改正の主目標となり、ようやく1894年(明治27)に廃棄されました。
 尚、この条約第11条「日本政府は外国交易の為め開きたる各港最寄船々の出入安全のため灯明台浮木瀬印木等を備ふへし」(灯明台規定)により、灯台を建設することを約束させられ、日本で初となる洋式灯台が8ヶ所(観音埼灯台、野島埼灯台、樫野埼灯台、神子元島灯台、剱埼灯台、伊王島灯台、佐多岬灯台、潮岬灯台)建設されることとなります。

☆「改税約書」(江戸条約)により建設された灯台(条約灯台)一覧 

・観音埼灯台(神奈川県横須賀市)初点灯:1869年2月11日(旧暦:明治2年1月1日) 
・野島埼灯台(千葉県南房総市)初点灯:1870年1月19日(旧暦:明治2年12月18日) 
・樫野埼灯台(和歌山県串本町)初点灯:初点灯:1870年7月8日(旧暦:明治3年6月10日) 
・神子元島灯台(静岡県下田市)初点灯:1871年1月1日(旧暦:明治3年11月11日)  
・剱埼灯台(神奈川県三浦市)初点灯:1871年3月1日(旧暦:明治4年1月11日) 
・伊王島灯台(長崎県長崎市)初点灯:1871年9月14日(旧暦:明治4年7月30日) 
・佐多岬灯台(鹿児島県佐多町)初点灯:1871年11月30日(旧暦:明治4年10月18日) 
・潮岬灯台(和歌山県串本町)初点灯:1873年(明治6)9月15日 

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1914年(大正3)東京駅の開業式が行われる(東京駅完成記念日)詳細
1947年(昭和22)「過度経済力集中排除法」が公布施行される詳細
1948年(昭和22)連合国最高司令官総司令部(GHQ)が日本経済自立復興の為の「経済安定9原則」を指令する詳細
1997年(平成9)東京湾横断道路(愛称:東京湾アクアライン)が開通する詳細
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nakamikadotennou01
 今日は、江戸時代中期の元禄14年に、第114代の天皇とされる中御門天皇の生まれた日ですが、新暦では1702年1月14日となります。
 中御門天皇(なかみかどてんのう)は、京都において、東山天皇の第5皇子(母は藤原賀子)として生まれましたが、名は慶仁(やすひと)と言いました。1707年(宝永4)に儲君に治定されて、親王宣下し、1708年(宝永5)に立太子します。
 同年6月21日に、父・東山天皇の譲りを受けて践祚し、翌年11月に数え年9歳で、第114代とされる天皇として即位式が行われましたが、霊元上皇、東山上皇が院政を行いました。閑院宮創設、朝儀再興にみられるように江戸幕府とは協調関係にあり、第6代将軍徳川家宣から第7代家継を経て第8代吉宗にわたって良好な関係が続きます。
 1711年(正徳元)に元服の儀が行われ、1716年(享保元)には、近衛尚子(摂政関白太政大臣近衛家熙の娘)が入内し、女御宣下を受けました。1729年(享保14)に第8代将軍徳川吉宗自ら注文した交趾(ベトナム)広南産の象の「拝謁」を霊元上皇とともに受けています。
 朝儀に対する関心が深く、古記録から朝儀の記事を抄出、分類した『公事部類』などを著し、また多才で知られ、管絃(特に笛)、和歌、書道を能くしたものの、1735年(享保20)には、皇太子昭仁親王(桜町天皇)に譲位し、太上天皇となりました。しかし、1737年(元文2年4月11日)に京都において、数え年37歳で亡くなり、陵墓は京都泉涌寺内月輪陵(現在の京都市東山区今熊野)とされています。

<中御門天皇の代表的な歌>

・「わが代にも ところをえてや 民までも 心のどかに 春をたのしむ」(享保15年御会始)
・「時しあれは 人の国なる けたものも けふ九重に みるがうれしさ」

〇中御門天皇関係略年表

・1702年(元禄14年12月17日) 京都において、東山天皇の第5皇子(母は藤原賀子)として生まれる 
・1707年(宝永4年3月) 儲君に治定される
・1707年(宝永4年4月) 親王宣下される
・1708年(宝永5年2月) 立太子する
・1708年(宝永6年6月21日) 父・東山天皇の譲りを受けて践祚する
・1709年(宝永7年) 閑院宮創設、朝儀再興が行われる
・1709年(宝永7年11月11日) 即位式が挙行される
・1710年(宝永6年12月17日) 父・東山上皇が亡くなる
・1711年(正徳元年1月1日) 元服の儀が行われたが、天皇元服の儀は近来稀なことであった
・1716年(享保元年11月13日) 近衛尚子(摂政関白太政大臣近衛家熙の娘)が入内し、女御宣下を受ける
・1720年(享保5年1月1日) 第1皇子昭仁親王(後の桜町天皇)が生まれる
・1729年(享保14年) 第8代将軍徳川吉宗自ら注文した交趾(ベトナム)広南産の象の「拝謁」を霊元上皇とともに受ける
・1732年(享保17年8月6日) 祖父・霊元上皇が亡くなる
・1735年(享保20年3月21日) 皇太子昭仁親王(後の桜町天皇)に譲位し、太上天皇となる
・1737年(元文2年4月11日) 京都において、数え年37歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1709年(宝永6)第113代の天皇とされる東山天皇の命日(新暦1710年1月16日)詳細
1902年(明治35)小学校教科書の採定をめぐる府県担当官と教科書会社の贈収賄事件(教科書疑獄事件)が発覚する詳細
1938年(昭和13)日本画家小川芋銭の命日詳細
1957年(昭和32)恩賜上野動物園内に常設では日本初のモノレールが開業する詳細
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