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 今日は、明治時代中頃の1891年(明治24)に、第2回帝国議会において、海軍大臣樺山資紀の「蛮勇演説」が行われた日です。
 蛮勇演説(ばんゆうえんぜつ)は、第2回帝国議会の衆議院本会議において、薩摩藩出身の海軍大臣樺山資紀(すけのり)によって行われた演説でした。その内容は、民党(立憲自由党・立憲改進党)の海軍艦艇建造費・製鋼所設立費を含む約800万を削減要求に激怒して、「薩長政府トカ何政府トカ言ッテモ、今日国ノ此安寧ヲ保チ、四千万ノ生霊ニ関係セズ、安全ヲ保ッタト云フコトハ、誰ノ功カデアル。」と、薩長藩閥政府を擁護し、民党側の海軍・政府批判に反論したものです。
 しかし、民党側議員の猛反発を受け、議場は大混乱となり、結局民党側の賛成多数により、衆議院で約800万を削減した予算改定案が可決されました。このため、松方正義首相は12月25日に初めて衆議院解散を断行することとなり、翌年2月15日に第2回衆議院議員選挙が行われます。
 この時、内務大臣品川弥二郎の指揮によって、史上空前の選挙干渉が行われたものの、民党側は29議席を減らしつつも計142議席を得て、吏党側の計137議席を上回りました。
 以下に、この時の樺山資紀の「蛮勇演説」の速記録を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「樺山資紀の蛮勇演説」 1891年(明治24年)12月22日の第2回帝国議会において

・国務大臣(子爵樺山資紀君) 国体[1]ニ対シテ、ドレ程……国権[2]ヲ汚シタコトガアルカ。

 サウイフ今日事業[3]ヲ見ズニシテ於テ、徒ニ唯目前ノ事ヲ以テ一億二千万[4]ヲ使用シタト云フハ(問題外ト呼ブ者アリ[5])、本大臣ニ於テ意外千万[6]ノコトデアル。サウイフ事ヲ以テ、今日海軍大臣ガ不信用ダト言ッテハ、カクテハ事ノ事実ヲ損ヒ、事ノ即チ虚妄[7]ノ事ヲ連ネテ、海軍大臣ガ不信用デアルト云フノハ、自ラ不信用ヲ招クノ所以デハナイカ。分カッタ話デアルジャロウ。其処デ今日此新事業ノ新事業二件[8]ヲ削除セラレタト云フ如キハ、此ノ如キノ事件ヨリ起コレリ、此ノ如キ事由ニ依ッテ削除スルト云フコトナレバ、本大臣ニ於テ遺憾千万[9]デアル。
 此何回ノ役[10]ヲ経過シテ来タ海軍デアッテ、今迄此国権[2]ヲ汚シ、海軍ノ名誉ヲ損ジタ事ガアルカ。却ッテ国権[2]ヲ拡張シ海軍ノ名誉ヲ施シタ事ハ幾度カアルダラウ。四千万ノ人民モ其位ノ事ハ御記憶デアルダラウ。先日井上角五郎君ガ四千万ノ人民ハ八千万ノ目ガアルト云フタ。四千万ノ人民デ今日幾分カ不具ノ人ガアルト見テモ、千万人ノ目ハアルダラウ。其目ヲ以テ見タナレバ、今日海軍ヲ今ノ如キ事ニ見て居ル人がアルデアラウカ(アルアルト呼ブ者アリ)。
 此ノ如ク今日此海軍ノミナラズ、即チ現政府デアル。現政府ハ此ノ如ク内外国家多難ノ艱難[11]ヲ切リ抜ケテ、今日迄来タ政府デアル。薩長政府[12]トカ何政府トカ言ッテモ今日国ノ此安寧[13]ヲ保チ、四千万ノ生霊[14]ニ関係セズ、安全ヲ保ッタト云フコトハ、誰ノ功力デアル(笑声起ル)。甚ダ……御笑ニ成ル様ノ事デハゴザイマスマイ。ドレ程倒レ且ツ廃疾[15]ニ成リ、実ニ泉下[16]ニ対シテ我輩死ンダ時ニハ面目[17]ガナイ。夫ニ依ッテ今ノ即チ此軍艦製造費、此製鋼所設立ノ件ニ就イテ、此ノ如キ理由ニヨリ削除シタト云フコト成レバ、本大臣ニ於テ決シテ……不満足ニ考へル。他ニ理由ガアレバ宜シイ。能ク御分リニナリマシタロウ。

・議長(中島信行君) 海軍大臣ニチョット申シマスガ。

・海軍大臣(子爵樺山資紀君) 趣意[18]ノ起コルトコロヲ只今申しタノデアル。

・議長(中島信行君) 海軍大臣ニ申シマス。

   〔此時議長号鈴[19]ヲ鳴ラス〕

・海軍大臣(樺山資紀君) 諸君ヨ、諸君ヨ。

   〔此時議長号鈴[19]ヲ鳴ラス〕

   〔議長ノ命令ニ従ワヌカト呼ブ者アリ〕

   〔無礼千万[20]ト呼ブ者アリ〕

   〔海軍大臣ニ退場ヲ命ゼヨト呼ブ者アリ〕

   〔帝国議会ヲ何ト思フト呼ブ者アリ〕

   〔退場セヨト呼ブ者アリ議場喧騒[21]ス〕

   〔議長マタ号鈴[19]ヲ鳴ラス〕

   〔海軍大臣演壇ヲ降リル〕

・議長(中島信行君) 静カニ。

   「衆議院第2回本会議第20号速記録」より

【注釈】

[1]国体:こくたい=国のあり方。国家の根本体制。
[2]国権:こっけん= 国家の権威。国家権力。また、国家の支配や統治を行なう権力。
[3]事業:じぎょう=これまでの海軍の活躍を指す。
[4]一億二千万:いちおくにせんまん=これまでの海軍費を指す。
[5]問題外と呼ぶ者あり:もんだいがいとさけぶものあり=この樺山の発言は上奏案の内容を批判したものであり、予算審議の場で取り上げる問題ではないという趣旨の野次。
[6]意外千万:いがいせんばん=非常に思いがけないさま。まったく予想もしていなかったさま。主として好ましくない場合にいう。
[7]虚妄:きょもう=根拠も理由もないこと。
[8]新事業2件:しんじぎょうにけん=海軍艦艇建造費・製鋼所設立費を含む約800万を削減したことを指す。
[9]遺憾千万:いかんせんばん=非常に心残りであるさま。残念この上ないさま。
[10]何回の役:なんかいのえき=台湾出兵(1874年)、西南戦争(1877年)、壬午軍乱(1882年)、甲申事変(1884年)などを指す。
[11]艱難:かんなん=困難。苦労。
[12]薩長政府:さっちょうせいふ=薩長両藩の出身者によって組織された藩閥政府のこと。
[13]安寧:あんねい=安らかなこと。安泰。
[14]生霊:せいれい=生物の霊長。人類。人民。生民。民。
[15]廃疾:はいしつ=身体障害を伴う回復不能の病。
[16]泉下:せんか=黄泉(こうせん)の下。死後、人の行くというところ。あの世。よみじ。冥途。
[17]面目:めんぼく=人に合わせる顔。世人に対する体面や名誉。また、世間からの評価。
[18]趣意:しゅい=物事をなすときの考えやねらい。また、言わんとする意味。趣旨。
[19]号鈴:ごうれい=旧衆議院規則第181条に「議長号鈴ヲ鳴ラストキハ何人モ総テ沈黙スヘシ」となっていた。
[20]無礼千万:ぶれいせんばん=はなはだしく礼儀にはずれていること。このうえなく失礼なこと。
[21]喧騒:けんそう=物音や人声のうるさく騒がしいこと。また、そのさま。

<現代語訳>

・国務大臣(子爵樺山資紀君) 国家の根本体制に対して、どれほど……国家の権威を汚したことがあるだろうか。

 そういうこれまでの海軍の活躍を見ずにしておいて、いたずらにただ目前の事をもって1億2,000万円を使用したと言うことは(問題外と呼ぶ者あり)、本大臣において非常に思いがけないことである。そういう事をもって、こんにち海軍大臣が不信用だと言っては、そうしてかえって事の事実を損ない、事のすなわち根拠も理由もない事を連ねて、海軍大臣が不信用であると言うのは、自ら不信用を招くの理由ではないのか。分かった話であるじゃろう。そこで今日この新事業の新事業2件(海軍艦艇建造費・製鋼所設立費)を削除せられたということは、このような事件より起こったことだ、このような事由によって削除するということなれば、本大臣において非常に残念である。
 この何回かの戦争を経過して来た海軍であり、今までこの国家の権威を汚したり、海軍の名誉を損なった事があるだろうか。逆に国家の根本体制を拡張し海軍の名誉を施した事は何度かあるだろう。4,000万の人民もそのくらいのことは記憶されているだろう。先日、井上角五郎君が4,000万の人民は8,000万の目があると言った。4,000万の人民で今日幾分か身体不自由の人があると考えても、1000万人の目はあるだろう。その目をもって見たなれば、今日の海軍を今のように見ている人があるであろうか(あるあると呼ぶ者あり)。
 このように今日この海軍だけではなく、すなわち現在の政府である。現在の政府はこのように内政・外交と国家多難の苦労を切り抜けて、今日までやって来た政府である。薩長藩閥政府とか何とか政府とか言われても今日の国のこの安泰を保ち、4,000万の人民に関係せず、安全を保ったということは、誰のお蔭であるか(笑い声が起こる)。甚だ……お笑いになるようのことではないであろう。どれほど命を落とし傷を負い、実に冥途に対して私が死んだ時には人に合わせる顔がない。それによって今のすなわちこの軍艦製造費、この製鋼所設立の件について、このような理由より削除したということであるならば、本大臣において決して……不満足だと考える。他に理由があればよろしい。よくご理解いただけたであろう。

・議長(中島信行君) 海軍大臣にちょっと述べますが。

・海軍大臣(子爵樺山資紀君) 言わんとする理由について、ただいま述べたのである。

・議長(中島信行君) 海軍大臣に述べます。

   〔この時議長号鈴[4]を鳴らす〕

・海軍大臣(樺山資紀君) 諸君よ、諸君よ。

   〔この時議長号鈴を鳴らす〕

   〔議長の命令に従わないのかと呼ぶ者あり〕

   〔このうえなく失礼だと呼ぶ者あり〕

   〔海軍大臣に退場を命ぜよと呼ぶ者あり〕

   〔帝国議会を何と思っていると呼ぶ者あり〕

   〔退場せよと呼ぶ者あり議場が騒然となる〕

   〔議長また号鈴を鳴らす〕

   〔海軍大臣演壇を降りる〕

・議長(中島信行君) 静かに。

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