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 今日は、昭和時代前期の1942年(昭和17)に、昭和天皇臨席の第9回御前会議で、「大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針」が決定された日です。
 「大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針」(だいとうあせんそうかんすいのためのたいししょりこんぽんほうしん)は、太平洋戦争開戦から1年が過ぎた、昭和天皇臨席の第9回御前会議で決定された、太平洋戦争における主に中国対策に関する方針でした。その主要な方向は、「国民政府参戦ヲ以テ日支間局面打開ノ一大転機トシ、日支提携ノ根本精神ニ則リ専ラ国民政府(注:汪兆銘政府のこと)ノ政治力ヲ強化」し、重慶の国民党政府(蒋介石政権)や対アメリカ・イギリスとの戦争を遂行して行こうとするものです。
 具体的には、①国民政府の政治力强化(汪兆銘政府との間での「戦争遂行に関する日華共同宣言」の締結および租界還付および治外法権撤廃等の協定など)、②経済政策(戰爭完遂上必要な物資獲得の增大を主眼とする生産の増強)、③対重慶方策(蒋介石国民党政府とは一切の和平工作をしない)、④戦略方策(今までの方針による)とからなっていました。これに基づいて、翌年1月9日に、中国の南京において、重光葵全権大使と南京政府(汪兆銘政府)との間に、「日華共同宣言」がなされ、両国がアメリカ、イギリスに対する共同の戦争を完遂するために軍事、政治、経済上完全に協力することとし、同時に「租界還付および治外法権撤廃等に関する日華協定」が調印されています。
 同日に、南京政府(汪兆銘政府)はアメリカ、イギリス両国に宣戦を布告、これに対し、アメリカ、イギリス両国は国民党政府(蒋介石政権)との間に新条約を締結、在華特権を放棄して対処することになりました。
 
〇「大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針」 (全文)  1942年(昭和17)12月21日御前会議決定 

大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針

第一 方針 

一、帝國ハ、國民政府參戰ヲ以テ日支間局面打開ノ一大轉機トシ、日支提携ノ根本精神ニ則リ專ラ國民政府ノ政治力ヲ强化スルト共ニ、重慶抗日ノ根據名目ノ覆減ヲ圖リ眞ニ更新支那ト一體戰爭完遂ニ邁進ス 

二、世界戰局ノ推移ト睨合セ米英側反攻ノ最高潮ニ達スルニ先チ前項方針ニ基ク對支諸施設ノ結實ヲ圖ル 

第二 要領 

一、國民政府ノ政治力强化 
  (イ)帝國ハ國民政府ニ對シ、勉メテ干涉ヲ避ケ極力ソノ自發的活動ヲ促進ス 
 (ロ)極力占據地域內ニ於ケル地方的特殊性ヲ調整シ國民政府ノ地方政府ニ對スル指導ヲ强化セシム 
 (ハ)支那ニ於ケル租界、治外法權ソノ他特異ノ諸事態ハ、支那ノ主權及領土尊重ノ趣旨ニ基キ速ニ之カ撤廢乃至調整ヲ圖ル、九龍租借地ノ處理ニ關シテハ、香港ト併セ別途之ヲ定ム 
 (ニ)國民政府ヲシテ、不動ノ決意ト信念トヲ以テ各般ニ亘リ自彊ノ途ヲ講セシメ廣ク民心ヲ獲得シ、特ニ戰爭完遂ノ爲必要トスル生產ノ增强、戰爭目的ニ對スル官民認識ノ普及並ニ治安維持ノ强化等ノ確實ナル具現ヲ圖リ、戰爭協力ニ徹底遺憾ナカラシム 
 (ホ)帝國ハ、將來國民政府ノ充實强化並ニソノ對日協力ノ具現等ニ照應シ、適時日華基本條約及附屬取極ニ所要ノ修正ヲ加ウルコトヲ考慮ス 

二、經濟政策 

  (イ)當面ノ對支經濟施策ハ、戰爭完遂上必要トスル物資獲得ノ增大ヲ主眼トシ、占據地域內ニ於ケル緊要物資ノ重點的開發取得並ニ敵方物資ノ積極的獲得ヲ圖ル 
 (ロ)經濟施策ノ實行ニ當リテハ、勉メテ日本側ノ獨占ヲ戒ムルト共ニ、支那側官民ノ責任ト創意トヲ活用シ、ソノ積極的對日協力ノ實ヲ具現セシム 

三、對重慶方策 

  (イ)帝國ハ、重慶ニ對シ之ヲ對手トスル一切ノ和平工作ヲ行ハス 
    狀勢變化シ、和平工作ヲ行ハントスル場合ハ別ニ之ヲ決定ス 
 (ロ)國民政府ヲシテ、右帝國ノ態度ニ順應セシム 

四、戰略方策 

  帝國ノ對支戰略方策ハ、旣定方針ニ據ル

         「日本外交年表竝主要文書 下巻」外務省偏より

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